チェリーブロッサム

船越麻央

染井芳乃さんの物語

 通勤のため駅に向かう。毎朝のことだ。途中に桜並木がある。春は満開の桜。そして爽やかな若葉の季節。夏はささやかな木陰を提供してくれる。僕は雨の日も風の日もその桜並木を通って会社にかよっていた。


 その日の朝。僕はいつも通りに桜並木を通過した。その時ふと一本の桜の木に目がいった。その木には「伐採予定」の札がかかっていた。近々伐採されるらしい。何やら理由が書いてあったが詳しく見る時間もなく、僕は駅へと急いだ。昔から桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿と言うんだがなあ。


 次の日の朝。僕は伐採予定の桜の木の前を通った。その時は特に何も感じなっかた。ただ……駅が近づくと何か……視線を感じた。思わず廻りを見まわしたが誰も僕に関心を払う人などいなかった。当然だよね、朝は忙しいんだから。でも本当に視線を感じたんだ。まあ気のせいだろうと僕はすっかり忘れて会社に向かった。


 その日、僕の職場に派遣会社から女性が一名派遣されてきた。名前は染井芳乃さんといった。ソメイヨシノ? どこかで聞いたような聞かないような。

 とにかく染井さんは美人だった。和装の似合いそうな日本的美貌。道を歩けば誰もが振り返ると思う。桜の時期は終わっていたけど、満開の桜が合いそうな女性だった。


 「小椋クンの所に来た派遣のコどう?」


 リフレッシュルームで缶コーヒーを飲んでいると同期の堀越理央が質問してきた。何か不機嫌みたいだ。


「……染井さんのこと? どうって言われても……来たばかりだし……堀越さん気になるの?」

「な、なんでわたしが……ちょ、ちょっと聞いただけよ! 小椋クン! いつまでもサボってないで仕事、仕事」


 堀越理央、良く言うよ。自分だってしょっちゅうリフレッシュルームで何やらやってるクセに。


 話がそれたが、染井芳乃さんは働き者だった。


 彼女が来て何日か経ったわけだが、すっかり職場に馴染んでしまった。コピーとりやら事務用品の補充、郵便物整理といった雑用から、パソコンでの書類作成も嫌な顔ひとつ見せずにやってのけていた。僕らの部署のマネージャーの受けも良かった。ただ、ひとつ困ったのは……彼女、やたらと僕の世話を焼くことだ。頼みもしないのに仕事を手伝ってくれたり、身の回りを整理整頓してくれたり。それはそれで助かるのだけれど……。

 一度など堀越理央に見つかって「どういうつもり?」となぜか僕が怒られた。なんで僕が……理不尽だよ、まったく。


 それと、それともう一つ。ちょっと気になることが……。


 あるよく晴れた日の昼休み。染井さんが何人かの女性社員と外に出るところに出くわした。何気なく彼女を見て驚いた。彼女には、影が……影がなかった。外は雲一つない快晴で他の女性社員にはもちろん影があった。しかし何度見ても染井芳乃さんには影がなかった。僕の見間違いかと思ったがやはり……。

 他の人はまるで気が付いていないようだったので、僕は黙っていた。とうとう目まで悪くなったとからかわれるのが関の山だと思った。確かにおかしいよね、影がないわけないし。


 やがて季節は秋になった。染井芳乃さんは相変わらず毎日しっかりと仕事をこなしている。そしてなぜか僕の世話も当然のことのように続けている。周囲も半ば呆れあきらめてしまった。もう完全に既成事実である。


 僕は毎日桜並木を通って通勤していた。


 ところがある夜。会社の帰り道、桜並木のうちの一本が根元から伐採されていた。昼間のうちに切られたのか。そう言えば確か伐採予定の札がかかっていたっけ。まあしょうがないね。


 翌日の朝、出社すると例の染井芳乃さんが来ていなかった。今まで無遅刻無欠勤だった彼女がだ。マネージャーが派遣会社に連絡すると、あわてて担当者がやって来た。

 結局彼女はそのまま僕らの前から姿を消した。


 僕は重い足取りで家路についていた。消えてしまった染井芳乃さんのことが頭から離れない。なぜだ、なぜだ。何度も自分に問いかけたが答えなど見つかるはずがなかった。


 駅からトボトボと歩いて、桜並木の伐採された桜の木の前まで来た。


「……小椋悠平さん……」


 突然名前を呼ばれた。染井芳乃さんの声だった。

 僕は驚いて振り返ると、そこには……染井芳乃さんが立っていた。


「そ、染井さん!」


「……悠平さん……ごめんなさい。どうしてもお別れが言いたくて……」


 染井さん、涙を流しているようだ。


「待って! 染井さん! なぜ、どうして!」


「……悠平さん……さようなら……ありがとう……」


 染井芳乃さんは静かに消えていった。


 跡には伐採された桜の木の切り株だけが残っていた……。


 了




 


 

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