第43話
俺が病院に着いた時にはすっかり日が落ちていた。
これは着くのが遅くなったというわけでは無かった。俺が乗ったタクシーのドライバーの丸眼鏡のおじさんはホントに速度制限すれすれまでスピードを出して、頑張って運転してくれた。むしろ、想定より早く着いた。
正直、面会時間は少ししか取れないと踏んでいたところ、面会終了の三十数分前に到着していた。
タクシードライバーのおじさんに代金を渡してお礼を言って、病院の中へと早足で入っていく。
手続きを素早く済ましてから舞菜の待つ病室へと向かう。
急いで病室に入ると、目をつぶって横になっている舞菜が目に入った。
俺は舞菜が眠るベットの横の椅子に座る。
舞菜は目をつむりながらも小さく何かを呟いていた。夢の中で話しているのかもしれない。
その言葉の内容を理解していくたびに、涙があふれそうになる。
それは俺に向けた言葉だった。そして、舞菜が今まで心の中でため込み、口に出来なかった本当の思いだった。かつて、俺に向けて言い放った言葉の意味を伝えるための言葉だった。
俺はその一言一言に目が潤む。
俺が隣にいることには気づいていないようだが、俺に一生懸命伝えようとしていることが伝わる。
その中で、舞菜は俺に謝罪の言葉を口にした。
その言葉に俺は反応してしまう。舞菜に謝る理由なんてないのだから。
「謝らなくていいんだよ。俺はその言葉が聞けただけでうれしいから」
舞菜の漏らした言葉を聞いて、そう俺は答えた。
俺には声をかけて舞菜のことを起こしてしまわないかなんて気にしている余裕はなかった。
それほど俺の蓋をしていた感情が溢れていた。
「それに、俺の方も伝えられなかったことがいっぱいあるから………………」
少し息をのむ。今まで言えなかった一番大切な言葉を伝える瞬間。全身が緊張する。
そして俺はついにその言葉を口にした。
「俺は………………舞菜のことが好きだ。愛している」
遂に言い切った。それから、俺の中にたまっていた言葉、感情がなだれ込む。
「ずっと………………素直に言えなくてごめん………………。ちゃんと言葉にできなくてごめん」
一つ一つの言葉が俺の重りを溶かしていく。涙が溢れてくる。どんなに涙を抑えようとしても、とめどなく流れてくる。それほど心の中に溜まっていたものが大きかった。
「うん」
舞菜は相づちをうった。
俺は涙を気にすることなく、舞菜に必死に語り掛けた。
「どうしたらよかったのかなんて……もう分らない。舞菜が何を望んでいたのかも分らなかった……………。少しでも早く話してくれれば何かできたかもしれないのに………………」
分かっている。俺の言葉はただの俺の行き場のない怒りをぶつけているだけ。何を言っても意味がない。
だけど、伝えたかった。俺が何を思っているかを。
それは舞菜が本音を口にしてくれたからだ。
「舞菜と再会したことからデートのことも忘れてしまったら、俺との思い出も全部無くなっちゃう。色んな楽しかったことが無かったことになっちゃう。そんなの辛いよ………………」
でも、どんなに愚痴を吐いても、全てがこの気持ちに行きつく。
「それはさ………………、舞菜が好きだからなんだよ。ずっと一緒にいたいんだよ。二人の思い出の全部を共有していたいんだよ。だからさ………………、どうしてこんなことになっちゃったんだよ。俺にはどうにもできないよ」
そうしたら、舞菜が俺の言葉に反応してぽろっと答えた。その言葉はさっきと同じ謝罪の言葉だった。
「ごめんね………………。私がこんなんばっかりで………………」
「そんなことない。舞菜がどうこうできることでもないから」
「ありがとう。そう言ってくれてうれしい。あと、『舞菜』ってやっと呼んでくれたね」
俺はハッとした。舞菜が目を覚ましていたのだ。舞菜の瞳は俺のことをじっと見つめていた。
俺は舞菜を起こしてしまったなんて思うよりも、舞菜とやっと目を合わせて思いを伝えられるという嬉しさがこみあげてきた。
俺は舞菜に言われて、今までは『舞菜さん』と呼んでいたのに、今日は『舞菜』と呼び捨てにしていることにやっと気づくも、心の中ではずっとそう呼び続けていたことは胸の中で隠す。
「ああ。本当はもう少し早く呼びたかったんだけどね」
「いいや。十分だよ。なんだか距離が縮まった気がする………………。本当に………………本当に…………悠悟くんが大好きだよ」
舞菜がさっきは目をつむりながら口にした言葉を、今度は目を合わせて言う。
俺もそれに呼応するように、真っすぐ舞菜の綺麗な目を見てその言葉を伝える。
「俺もだ。舞菜が大好きだ」
「ああ………………。やっと………………だね。私が………………言いたかったことも………………、悠悟くんから………………聞きたかったことも………………全部聞けた」
舞菜はそう言って、心底幸せそうな顔をする。
舞菜自身の心が晴れやかになっていっていることがにじみ出ているような気がした。
俺はベットの上の舞菜を抱きしめる。
初めて抱きしめる舞菜の体は細く、今にも壊れてしまいそうに感じる。
抱き合って改めてお互いに『愛』の言葉を伝えあう。
俺は二人だけの幸せな空間、時間を精一杯かみしめる。
すると、舞菜は俺から離れ、深呼吸して表情を落ち着かせる。
「悠悟くん………………」
「どうした? 舞菜………………」
「あの時、忘れないでって言ったよね………………」
あの時とは舞菜と別れた病院の前での会話をした時のことだろう。
「ああ、そうだな」
「その答えを聞かせて………………」
俺の答えは聞かれる前から、最初から決まっていた。
その言葉を力強く、確かなものとして舞菜へと伝える。
「ああ。絶対に忘れないさ」
俺の言葉を聞いて、舞菜は穏やか表情を浮かべた。
「やっ……たね。その思い出………………今度の私にも………………教えてあげてね………」
「………………もちろんさ」
舞菜のその言葉には今の自分への思いと、未来の新しい自分への思いが混ざり合った、重く深いものが乗っかっていた。
それは、今の無念を未来の希望へと変換していくような、あるいは今の幸福感を未来の幸せへとおすそ分けするような、そんな言葉だった。
そして、その終わりの時間がやってくる。
「よろしくね。じゃあ……またね………………」
「ああ。またな………………、舞菜」
「うん。愛してるよ………………、悠悟………………く……ん」
そう最後の言葉を告げて、舞菜は口を閉じた。
二人の最期の時間はそれほど長くはなかった。面会終了ギリギリというわけではなく、それまでもう少し時間が残っていた。
贅沢を言うならば、もっと長く今の舞菜の顔を見て、もっと目を見て話したかった………………。
しかし、それは叶わない。
それでも、俺の隣の舞菜はとても晴れやかに、清々しい表情を浮かべていた。
その顔を見ると、俺は泣いていてはいけないような気がした。
俺は雑に頬を伝う涙を拭き、全力の笑顔を作った。気持ちがぐちゃぐちゃで、舞菜のようなきれいな笑顔には程遠いものだったかもしれない。
それでも、泣いている姿ばかり見せるわけにはいかない。
「俺もだ。俺も………………愛してる………………」
病室に泣く声はなかった。
静かな部屋に俺の言葉が響く。
ただ、笑っている二人が………………愛し合っていることを分かち合った二人だけが存在した。
俺はたとえ夢の中だとしても、消失してしまう記憶の中だとしても、懸命に愛を伝えられた。そして、その思いに今まで一緒に過ごしてきた舞菜が答えてくれた。
そのことが、俺を前を向いて進ませてくれる。これからの俺を後押ししてくれる。
そんな気がした。
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