第42話


 記憶の消滅は私が寝ているときに起きている。


 夢の空間でその思い出の一端を追体験した後、消えていく。何の夢を見ていたのかは全く覚えていない。ただ、ぼんやりと夢を見ていたこと、何か大事なものが消えてしまっていることは何となく分かった。


 夢から目を覚ます度、私は激しい頭痛に悩まされていた。これは記憶が無くなる影響だと病院に通うようになってすぐに先生から言われた。

 通院するようになって鎮痛剤を打つことで痛みは緩和したけど、朝起きた時はかすかな頭痛とともに涙を流していたことはあった。


 大事な記憶が、思い出が無くなってしまうのだから、辛いのは当然だし、泣きたくもなる。

 なんで私がこんな目に合わなくちゃいけないのかと憤慨したくなる。


 けれども、こんなの誰にもどうしようもない。諦めるしかない。

 きっと、私の記憶がこのまま消えてなくなってしまうことこそが私の運命なのだろう。


 そうやって私は、私の病気をとっくに受け入れたつもりでいた。


 だけど、話は私の思い通りには進まなかった。


 私に好きな人が出来てしまったからだ。


 それは初恋だった。今まで感じたことのない感情に初めは戸惑ったけれど、しばらくして気づいてしまった。これが恋心なんだって。


 そんな私の思い人は高校の同級生の飯田悠悟くんだった。彼の性格、仕草、言葉遣い、笑顔、何もかもが好きで好きでしょうがなかった。


 初めて会ったのがいつなのかは忘れてしまったけれど、その頃からとても大事な人だったことは覚えている。

 きっと、いろんな所へデートに行った。このことも覚えていないけど、絶対楽しい思い出でいっぱいだったはずだ。


 私の悠悟くんへの思いは一緒にいる時間が増える度、募っていくばかりだった。でも、その思いを叶えることは、私の病気を悠悟くんに背負わせることになる。


 私はこの頃にはすでに記憶崩壊症候群を患っている事を知っていた。

 このままだと悠悟くんとの記憶を消してしまう。悠悟くんと共有してきた思い出を忘れてしまう。

 そのことは絶対に悠悟くんを苦しめる。私のせいで人生がゆがんでしまうかもしれない。

 それは嫌だった。悠悟くんには悠悟くんの人生があって、幸せになって欲しい。


 だから、私は気持ちに蓋をしていた。


 ただ、それも限界を迎えた。


 高校へ登校する最後の日。私は悠悟くんと二人きりになる機会があった。


 私はこの日を最後に入院することが決まっていた。悠悟くんと会うこともこの日を最後にするつもりだった。


 どうしても、私の気持ちを伝えたい。そして願わくば、その思いを成就させたい。それでも、悠悟くんを巻き込むわけにはいかない。

 この矛盾する気持ちを整理するのは簡単なことではなかった。


 私は考え抜いた結果、両方の思いを一緒に、簡潔に伝えることにした。


 そしてこの言葉が出てきた。


「私は悠悟くんが好き。だけど、その願いは叶わないままがいい」


 その言葉を口にした瞬間、私は悠悟くんを突き放したことに気が付いた。悠悟くんの顔を見ると、それはすべての終わりを察したかのような呆然とした表情を見せていた。


 私はたまらず、悠悟くんから逃げた。


 あの日のことはまだ覚えている。

 忘れたいくらいの記憶だけど、まだ私にとりついている。

 都合が悪い思い出は簡単には消えない。

 何気ない時にふと思い出す度に、私の胸を締め付ける。


 それは悠悟くんの方もそうだろう。私が悠悟くんを有無も言わせず拒絶して、傷つけたのだから……。


 でも、私が悠悟くんを忘れることを知るよりはいいだろうと自分を何とか納得させようとした。そして、納得したつもりだった。


 ————————しかし、それは壊れてしまった。



 ————————悠悟くんが私のもとへ再び現れたからだ。



 同窓会で私が入院していることを聞いて、お見舞いに行きたいということだったそうだ。


 お見舞い自体は嬉しかった。面会してくれる知り合いなんてほとんどいなかったし、頻繁に来てくれていた小笠原さんも全く来なくなった。両親は面会に来ないし、よく面会に来てくれる姉は少ししか話してくれない。会話ができないのは物足りなさを感じさせる。だから、少しでも長く会話したかった。


 ただ、私は悠悟くんには病気のことを話さないようにしたかった。悠悟くんに過度な心配をさせてしまうと思ったから……………。少しでも距離を詰めてしまうと、あの頃に抑え込んだ思いが出てきてしまうと思っていた。


 しかし、悠悟くんは私が記憶崩壊症候群を患っていることを知ってしまった。


 それ以降、案の定悠悟くんは私に凄く気を使うようになった。頻繁にお見舞いに来るようになり、誰よりも長く時間しゃべるようになった。

 欲しいものがあれば買ってきて、知りたいことがあれば調べてきてくれた。


 極めつけは、私を外に連れ出そうとした。

 実質デートだ。


 私は新しい思い出を作るようなことは止めた方がいいのは分かっていたのに、悠悟くんの提案に乗ってしまった。


 実際のところ、デートは楽しかった。私が行きたいところから、悠悟くんが興味あるところまで、色々な所に行けた。


 ただ、二人の思い出をなかったことにしてしまう罪悪感と記憶の消失による日々の苦痛は私の中で日に日に積もっていた。


 その事がついに再び拒絶することで爆発してしまった。しかも、高校最後の時よりも強い言葉をかけてしまった。再会によって心の奥底から引きずり出された悠悟くんへの思いを霧散させようと必死だった。


 それでも、再び手に取ってしまった思いはもう戻せないところまで来ていた。最後にもう一度伝えとけばよかったのに………………。


 というか、悠悟くんに全てを打ち明けて、飲み込んで受け入れてくれたらこんな思いしなかったのかもな………………なんて思ったりもする。そんなことを試すほどの度胸は私に持ち合わせていなかった。


 悠悟くん………………。素直に言えなくてごめんね。本当は伝えたいことがいっぱいあったんだ。謝らなきゃいけないこともあったんだ。


 でも、一歩踏み出すことは出来なかった。悠悟くんを傷つけるのが怖かった。傷つけて、私の方が拒絶されるのが怖かった。きっと優しく受け入れてくれるのに………………、温かい言葉を掛けてくれるのに………………信じることが出来なかった。



 本当にごめんね。



 それでね………………悠悟くん、…………好きだよ。愛してる。



 私は夢の中で何度も思い浮かべ、言おうとした『愛』の言葉をやっと口にした。その言葉は今までの言えなかった思いが詰め込まれたものになっていた。


 ふと、悠悟くんの温かい声が聞こえる気がした。私を肯定してくれる優しい言葉が………………。その言葉にいつも救われていたことを思い出す。



 本当に、本当に、大事な人。ありがとう………………。


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