第36話

 ひどく心に傷を負って、視線さえ定まらないような人と会うことを楽しみにする人間なんてそうそういない。

 それは例外なく私にも当てはまる。


 カフェで会った時の飯田はまさにそれだった。傷心状態を通り越して放心しきっていた。

 その痛々しい様子はまるで昔の私を見ているようだった。



 舞菜の記憶から幼なじみとしての小笠原紅羽が消滅したことを目の当たりにした時、きっと私も同じくらいの傷を負って、茫然自失状態だっただろう。


 その時の私を支えてくれたのは舞菜の姉であり、誰よりも辛い思いを抱えているはずの由梨姉さんだった。


 舞菜はその時には既に由梨姉さんとの日常の多くの記憶を失っていた。それでも由梨姉さんは周囲には弱音を吐かず気丈にふるまっていた。強い人なんだと私はそう思っていた。


 しかし、それは違った。


 とある夕方、私が舞菜の見舞いに行った時、由梨姉さんは舞菜の病室の前で立ち尽くしていた。

 そしてドアノブに手をかけては放し、手をかけては放しを繰り返していた。

 そんな由梨姉さんの顔には涙が伝っていた。


 その涙が辛かったからなのか、怖かったからなのかは分からないけれども、今までは無理やり強がって私に接していただけだったのだと、そう感じた。


 それ以来、私と由梨姉さんは頻繁に会うようになり、舞菜に関しての話をした。

 時には舞菜とは関係ない愚痴のような話の時のあったけれども、由梨姉さんはどんな言葉でも優しく受け止めてくれた。


 そして次第に、由梨姉さんの方から私にため込んできた言葉を吐いてくれるようになった。

 その時はほんとにうれしかった。認められたというか、受け入れられたというか、信用されたというか、どのような言葉で表せばいいのか分からないが、とにかくうれしかった。


 そんなある日、私は高校の同窓会に参加した。


 舞菜がいない同窓会なんて行く意味ないだろうなんて思っていたら、由梨姉さんから言ってきてほしいという連絡をもらった。どうやら、舞菜からお願いされたようだった。あまり気が進まないけれども、「舞菜が言うなら」ということで同窓会へと向かった。


 とはいえ、先に言ったように行く意味ないと思うほどだ。別に会いたい人がいるわけでもないし、聞きたい話があるわけでもないし、私の近況なんて誰にも話す気もなかった。


 適当にご飯を食べて、同窓会の雰囲気を舞菜に話せる程度に感じ取ったら帰ってしまおうなんて考えていた。


 そう思っていたら、一人の男に声をかけられた。


 それが飯田悠悟だった。


 飯田は私に会って一番に舞菜のことを聞いてきた。

 確かに、誰かが舞菜が来ていない事を聞いてくるとは思っていたけれども、完全に想定外だったのは舞菜が今どこにいるのかを問い詰めてきたことだった。


 ただ、私は他の人に話していいのか、どこまで話していいのかを判断しかねる状態だった。


 けれども、言うのをためらう私に向ける飯田の目が不思議と私を信頼できるような気にさせた。


 今思うと、私はあの時の飯田に舞菜を何とかしてくれるのではないかという期待をわずかながら抱いていたのかもしれない。


 しかし、飯田はその期待に応えることは出来なかった。いや、飯田になんとかできるほど舞菜の病は甘くなかったと言うべきだろう。


 考えてみれば当たり前のことだ。

 治療方法がほとんど分かっていない病気を医者や研究者でもない一般人がどうこうできるはずがない。大学院で研究をしている人間らしくない根拠のない期待を信じた私自身に驚きを感じた。


 そして、飯田は舞菜から拒絶された結果、心に深い傷を負った。その姿を私は今さっき見てきた。飯田の気持ちは理解できなくない。


 ただ、それは私や由梨姉さんが既に通った道なだけであって、今の私たちはそれを飲み込んで前に進もうとしている。そのことを精一杯言ったつもりだ。

 その言葉がどう響いたかは分からないが、少しでも前に進むきっかけになってくれればいいと思うばかりだ。


 けれども、傷を負ったのは飯田だけではないはずだ。拒絶した本人である舞菜も相当の傷を負っているだろう。

 問題はこちらの方だ。


 今のままだと、その傷は放置されたままになってしまう。

 舞菜と深く接触していたのは飯田だった。その当人が拒絶された今、舞菜の傷を癒せる人間は誰一人いない。


 私たちよりも飯田の方が舞菜から欲されていたという現実は、私にとっては受け入れがたく、飯田に対しては嫌悪感さえ抱く。ただ、それは今に始まったことではなかった。高校時代はいつも舞菜が口にしていた『悠悟くん』が嫌いだった。


 でも、舞菜のことを拒絶した私たちは、舞菜の気持ちが落ち着き、晴れやかになって欲しいと願うことしかできない。


 ねえ、舞菜………………。私たちには何もできない。


 大切な人が苦しんでいるというのに、それに目を背けて逃げていることは分かっていた。


 本当は————————不甲斐ない私が一番嫌いだ。


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