第11話


 あの日から一週間がたった。


 俺は出来るなら、由梨さんに一刻でも早く会って話をしたかった。

 ただ、お互いの仕事の都合がどうしても合わなかったことによって、いつもの日曜日に会うことになった。


 今日は舞菜との面会はできない日だそうで、予定が何もない日だった。


 だから、何かしらの予定が入ることは暇を持て余す必要がなくなるため少しうれしいお誘いだった。


 ただ、今回ばかりはうれしいという感情はない。自分自身が真剣に向き合わなくてはいけない話だから————————。



 俺は重い足取りで指定の店に行った。


 都心の隠れ家のようにひっそりとやっている、ちょっと洒落た居酒屋だ。

 昼頃だからか日光が窓から入るため、木材を積極的に使った内装と相まって神秘的な光景を生み出していた。


 店員が俺の入店に気づくと、「いらっしゃい」と優しげに声をかけられる。


 この店はあまり大きな声を発するような居酒屋じゃないのかもしれない。会社の同期たちと行く居酒屋はほとんどが騒がしい店なものだから、この店の雰囲気が新鮮に感じる。


 そんなことを考えながら店内の奥に入っていくと、カウンター席に由梨さんが座っていた。俺を見つけた由梨さんは手を振って俺を迎えた。


 由梨さんの目の前には既に食べ物が並んでいた。俺が来る前から注文して食べていたようだ。

 俺が隣の椅子に座ると、由梨さんは和やかな笑みを浮かべて語り掛けてきた。


「悠悟くん。ちゃんと来てくれてうれしいよ。正直来てくれないことも覚悟していたからね」


 由梨さんは俺が来ない可能性も想定していたようだった。だから、すでに注文して舌鼓を打っていたのかもしれない。


 俺は不意に由梨さんの言葉で電話に出ることが出来なかったことが頭の中によぎった。社会人として、しっかり謝るところは謝らなくてはならない。


「電話出られなくてすみません」

「いやいや、そんなに気にすることじゃないよ」


 俺は重ねて返信が遅れたことを謝った。由梨さんはそんな俺に「別にいいよ」と軽く声をかけてきたが、俺からしたら電話は完全に無視して、メッセージの方は既読をつけてから返信まで一日かかったわけなので、謝らないといけないし、俺が謝らないと済まないのだ。


「それでも本当にすみません。自分のほうもしっかり話をしないといけないと思っていたので」

「……そうだね。私の方からも具体的なことは何も話さないまま、安易に舞菜に会わせていたからね」


 由梨さんは少し反省したように語る。

 そして彼女は俺に飲み物の注文を促した後、横道にそれることなく本題に入っていった。


「私が今日一番話したかったのは、舞菜の病気のこと。あんなことがあって、何も伝えないわけにはいかないから……。いずれは話すつもりだったんだけどね……………」

「はい。そこが一番聞きたかったところです」

「そうだよね。舞菜は言いたくなかったみたいだけど……」


 由梨さんが少し申し訳なさそうな顔を見せた。舞菜が隠そうとしたことについて話してしまう罪悪感からなのかもしれない。


 そこから顔を正して、横に座っている由梨さんは俺に顔を向けることなく、その口を開いた。


「——————————舞菜は、記憶崩壊症候群なんだ」

「えっ?」


 由梨さんが口に出した病名は、つい最近とあるニュース番組で取り上げられ、大衆に広く知られることになった奇病のことだった。



 記憶崩壊症候群は過去の記憶が脳内から年々消失していき、失った記憶を思い出そうとすることをトリガーに激しい苦痛を脳に与えるという病気のことを指す。


 この病に侵されている人は世界でもごくわずかで、日本には数えられるほどしかいないそうだ。


 記憶崩壊症候群が大々的にニュースに取り上げられたのは、とある芸能人がその病気を理由に自殺をしたことがきっかけだった。


 研究によると、患者の記憶は昔の物から少しずつ無くなっていくらしい。

 そして、消える頻度は罹ってすぐの頃は数年おきに失っていくため、あまり気づかれないそうだが、時間がたっていくにつれて頻度が増え間隔が短くなっていく。記憶の消失速度には諸説ありだが、記憶の密度が関わると言われている。

 どこからどこまでが事実なのかは調べようがないけれども…………。


 自殺したその芸能人は病気療養を理由に休業していたのだが、直近の記憶を失うまで記憶崩壊症候群が進行してしまい、病から逃れるためだと遺書を残して病院から飛び降りたそうだ。


 かなりショッキングな内容だったので、その病気については少しばかり記憶に残っていた。


 病に侵されてしまった人が今まで大事に積み上げてきた記憶を無残に壊していく様に恐怖の念と、少しの憤りを感じたことを今も覚えている。



 舞菜の病名を聞いて思案すると気になることが一つ生まれた。


 それは今の舞菜がどこまで失ってしまっているのかについてだ。


 俺が舞菜に負荷を与えたトリガーは高校入学以前の話題だった。小笠原に対してやけに他人行儀な様に感じた俺が、舞菜に小学校の頃から仲が良かったのかと聞いたタイミングだった。


 その頃の記憶がないのなら、由梨さんとの幼少期の記憶もなくなってしまっているのではないか。俺はその思い浮かんだ疑問を由梨さんにぶつけた。


「それなら、由梨さんとの記憶も………」

「——————そうだよ」


 由梨さんは俺の指摘に辛そうに答えた。


「舞菜は中学時代までの記憶が、もう無くなっているの。かろうじて私を姉として認識できている程度なんだよね……」


 俺は絶句した。舞菜は俺に会うまでの記憶の全てを失っているということだ。


「………………もう、そこまで進行しているんですか」

「そうなの。舞菜は高校入学前ぐらいに症状がでてきたの。お医者さんは、中学生になった頃くらいから始まっていたかもしれないって言っていた」


 由梨さんは真剣なまなざしで俺に語った。絶対に辛いはずなのに、俺にはそんな気を見せようとしない由梨さんの姿が目に焼き付く。



 まとめると、舞菜は中学生になった頃から記憶崩壊症候群になっていて、今は高校入学直前ぐらいまで記憶が崩壊している。

 その結果、由梨さんとの幼少期の記憶や小笠原との記憶が欠落してしまった。


 そして、この前は舞菜が失った小笠原との記憶を掘り返そうとしたから、舞菜の脳に大きな負荷をかけてしまったということだったそうだ。


 普段は頭痛薬を服用しているため、大きな頭痛に悩まされることはなかったのだが、あの日は昼間の服用時間にきちんと薬を飲むことが出来なかったことが良くなかったらしい。

 ちょうど薬の効果が切れた頃に脳に負荷を与えてしまった結果があのときの状況だったようだ。


 もしかしたら、俺が面会したタイミングが良くなかったのかもしれないと自責の念が湧いてくる。


 すると、由梨さんは舞菜が病気に抗おうとした様子を口にする。


「それでもさ。舞菜は病気を知ってもね、高校は行くって言い張っていたの」

「……………それはどうしてですか?」


 俺は疑問になって質問する。


「舞菜が入学式を終えた後だったんだけどね、頑張るって言いだしたの。高校頑張っていくって。それでね、誰かに会ったのかって聞いたら、顔を赤くして逃げていったの。それでいい男にでもあったんだと勝手に踏んでいたんだけどね、この間確信したんだ」

「確信?」


 由梨さんは悪戯に俺に笑いかけて言い放った。


「悠悟くんだよ」

「えっ?」


 鳩が豆鉄砲を食ったように唖然とした俺に由梨さんは言葉を続ける。


「舞菜が入院してから、今まで見舞いにきてくれたのは紅羽ちゃんだけだったの。自分が紅羽ちゃんのことを忘れてしまうことを舞菜は知っていたから、あまり会わないようにしていたらしいんだけどね」

「……」

「それでね、悠悟くんだけは来るって知った時、すごく喜んでいたの」

「それは…………」


「舞菜は悠悟くんに恋をしてたんだよ」


 由梨さんは俺の言葉をさえぎって食い気味に言ってきた。『まあ、紅羽ちゃんがいてくれたってのもあったんだけどね』と付け足す言葉を由梨さんはぽろっとこぼしたが、俺は前者で頭がいっぱいになった。


 確かに、卒業前に舞菜から言われた言葉があった。

 それは俺が舞菜にタイミングがあれば聞いてみたかった言葉でもあり、俺の頭の中からずっと離れなかった言葉だった。


 言われた後、舞菜とそれ以来会うことが出来なかった。

 どうしてそんなことを言ったのか、舞菜の口から聞かないと気が済まなかった。俺が今抱いている感情がどんな感情なのか、自分の気持ちがどうなのか、考えることもないまま————。


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