第6話

 広い駐車場の先にある松山病院のエントランスは数年前に俺が訪れた時と何一つ変わらない様子だった。


 俺が以前訪れたのは、高校時代の体育の授業でうっかり大けがをした時だったというのは語る必要のないものだが………………。


 受付を済ませると、彼女が待つ病室へと案内された。とは言っても部屋の前まで案内するのではなく、ナースステーションまでで、あとは部屋番号を伝えられて自力で行くことになった。


 由梨さんは担当の先生のもとに行くと言って途中で別れた。それによって、一人で病室に入るという状況が作り出されたのだった。


 俺は何も話すことなく病室へと向かった。


 冷静になると、突然ただの知り合いがお見舞いに行きたいなんて言われたと困ってしまっているかもしれないと思ったが、そう考え始めたのは福山の病室を前にしてからだった。


 そして今に至るというわけだが…………。


 再び言おう。俺は今、すごい緊張している。

 初めて一人で取引先に行った時よりも緊張していた。はっきり言ってパニックになりかけていた。


 俺は何度目か分からない深呼吸をした後、ついに意を決して病室の扉を開けた。



 俺が入ったその個室には、花の入った花瓶とそれを見つめる入院着姿の彼女の姿があった。当たり前のことだけども………………。


 およそ六年ぶりに会った彼女は、あの頃と変わらぬミディアムと呼ばれるくらいの長さの茶髪と少し大人びた美しい顔つきをしているのだが、何だか寂しさをにじませるような不思議な雰囲気を帯びていた。


「あっ、あの」


 あまりにも緊張していて、言うことも考えずに入ってしまったものだから、俺の口からうまく言葉が出てこない。

 さらに、あまりにも久しぶりに会う彼女の姿を入った時の一瞬だけしか見ることが出来ず目をそらしてしまう。


「えっっっっ?!」


 俺は意図していない声が聞こえたため、ちらりと彼女の表情を見た。


 すると………………彼女は俺を見て絶句して固まっていた。その状況に俺はさらに困ってしまった。


 どういう意味の絶句なのかを理解することが出来ずに困惑している俺を見て冷静になったのか、彼女は口元を正し、少し首をかしげて、その口を開いた。


「悠悟くん……なの?」


 彼女から発せられた第一声は疑問形だった。


 まあ、そうだよな。七年も会っていなければ全然違うよな。


『悠悟くんは変わってないねぇ。』


 ついこの前の同窓会で言われた言葉が突然フラッシュバックしてきた。やめろ! 俺だって大人になって変わったんだよ。というか、ここで茶々入れるな。俺の方こそ挙動不審な言動してるんだから、何か言える立場じゃないだろ。


 虚空とのキャッチボールを済ませ、俺はしっかり彼女の問いに答える。


「そうだよ。飯田悠悟だよ。久しぶりだね、福山さん」


 俺の言葉に彼女の顔は一気に晴れていく。

 しかし、最後の言葉にムッとした顔を見せた。それはぶりっ子的な表情ではなく、不満を露骨に顔いっぱいに表したものだった。そして、その気持ちを言葉に吐き出す。


「やめて、舞菜って呼んでよ」


 彼女のその言葉で由梨さんとの会話での既視感の正体に気が付いた。


 彼女とは高校時代、学級委員として一緒に仕事をしていた。その仕事をこなす中で、彼女は舞菜と呼ぶことを強要しようとしてきたのだった。


 一度決めたことは何が何でも押し通そうとする性格な彼女は、会うたびに名前で呼んでくれないのかと問い詰めてきた。不満の原因はそこにあったようだ。


 でも、俺の中での異性への呼び捨てはかなりハードルが高い話だった。これは由梨さんとの会話とリンクしている。


 そこで俺がたどり着いた結論も由梨さんの時と同じものだった。


「はいはい、分かったよ舞菜さん」


 ただ、時間軸的には逆で彼女改め舞菜の方の結論が先だから、由梨さんの方はそれを模倣して同じものになっていただけだった。


「うんうん、それだよ。悠悟くんに苗字呼ばれると、何か違うんだよねぇ~」

「なんだよそれ」


 舞菜は高校時代のように無邪気な笑顔を見せた。


 その顔を見た瞬間、心のどこかが傷んだ。その笑顔が年齢を重ねた結果生まれた年相応だったころとの微妙な違いを感知したのか、それとも………………。


 いや、六年前のことは気にしないでおこう。舞菜と話す方が優先。考え事しない。うん、それで行こう。


「何か失礼なこと考えてない?」

「そんなことないさ」


 舞菜は何かを感づいていたようで、俺はとっさに取り繕った。

 俺ってそんなに心の声が出ているのか? 顔に出ているのか? おかしいな………………。


 よく考えれば、舞菜はあの頃から心の声を見透かしたようなことを言っていた。お前はエスパーなのかと何度も突っ込んだ記憶がある。


 先生からの頼みで仕事を請け負った時には、「嫌そうな顔しない」と何度言われたことか。イヤに決まってんだろと心の中で思うと、すぐに気づいて「文句言うな」と言ってくる。心を読まないでくれと散々思ったものだ。


 まあ、昔のことだから、もうそんな子供みたいなことは言わないが。


「そういえば、悠悟くん。この前同窓会があったんでしょ。どうだったの?」


 舞菜の言葉から、話はこの間の同窓会の話へと移る。


「そうだなぁ。すごい人数がいたな。ウチのクラスも半分以上は来てたんじゃないか」

「へえ~いいなぁ~~。そういえば紅羽にもあったの?」

「ああ。小笠原に舞菜さんのことを聞いたんだ。あと、舞菜さんに面会したいっていうのも小笠原にやってもらった」

「そうだったんだね。お礼を言わなくちゃね……。他には他には?」


 舞菜は目を輝かせながら俺の話を聞いた。かつてのクラスメイト達がどうなっているのか気になっているのだろう。


 それから、誰かがもう結婚したとか、海外で働いてるとか、同窓会で聞いた同級生たちの近況を話した。

 その流れから俺の話に流れていき、社会人になってしてしまったやらかしエピソードまで話させられた。


 舞菜と話すと時間があっという間に過ぎ、楽しくて言葉がぺらぺらと出てくる。声をかける直前のあの挙動不審さとは明らかな違いだった。

 これも、舞菜のコミュニケーション技術が高いからだろうか。どんな言葉でも受け取って、上手く返してくれる辺りに妙な心地よさを感じる。


 しかし、時間は有限だ。面会時間に差し迫ろうとしている頃だった。昼過ぎに来たはずが、いつの間にか夕方になっていた。


 看護師さんにあと五分だと告げられ、俺たちの間で白熱した元クラスメイトの話にひと段落下。


 今だ、と意を決して舞菜に言葉を投げかけた。


「そういえば聞いてなかったけど、舞菜さんはどうして入院してるの?」


 俺が最後に投げかけたその言葉に、舞菜は返事に詰まっていた。


 そんなに言いにくい事なのだろうか。俺はそう感じたが、彼女の表情が事態の深刻さをのぞかせた。何かは全くわからないけど。


「私ね、結構長い間入院してるの」

「それは何で?」

「まあ、いろいろあるらしくてね……………。あ、そういえば悠悟くんは、今日は由梨と来たの?」


 舞菜は嫌なことを隠すかのように、露骨に話をそらしてきた。

 まあ、人間言いずらい事の一つや二つ、あってしかるべきだろう。俺だって誰にも知られたくないことはあった。黒歴史に関わる数々の品が山ほど眠っている自分の部屋に親が入ろうとしたときには死ぬ気で防ごうとしたものだ。まあ無力な俺にはどうすることも出来なかったけど。


 無理に聞かないほうがいいのだと自分を納得させて、舞菜の問いに答えることにした。


「そうだよ。由梨さんとは初めて会ったけど、話しやすい人だよね」

「……?! そ、そうなんだよ~~。自慢の姉なんだ。こうやって姉って言うと嫌がるんだけどね」


 舞菜は自分の姉を俺が由梨さんを名前で呼んでいることに驚いているように見えた。

 俺の気持ちを見透かすエスパー的な所がある舞菜だが、俺と同じ様に感情が表情に出やすい。そこは高校時代からお互いにバカにしあっていた点だったが、舞菜はあの頃よりもさらに感情が溢れ出ている気がした。卒業後から今までの間に何かしらの変化があったのだろうか。


「さあ~そろそろ、終わりの時間だよ」


 ずっと待っていたのだろうか、由梨さんが病室ドアを開けて俺に声をかけた。


「由梨はいつの間に悠悟くんと仲良くなったの~~名前で呼んでもらっちゃって。」


 その由梨さんに舞菜は口をへの字にして言葉を放った。その言葉に由梨さんは悪だくみしているかのように笑った。


「舞菜がその気じゃないなら私がもらっちゃうよ」


 脈絡なく放たれたその言葉を俺は理解できなかったが、舞菜はどの意味を分かったようで、頬を膨らませてつぶやいた。


「もう、そういうこと言う」


 その言葉の真意も分からなかったが、時間だというので部屋から出ることにした。


「悠悟くん。来てくれてありがとうね。話してて楽しかったよ」


 そんなのこちらこそだ。まさに時間を忘れて語らった感じだった。こんなに時間が過ぎるのが一瞬だった経験なんて久しぶりだ。

 だからこそ、俺は途中でなかなか言い出せなかった言葉を紡ごうとした。


「こちらこそだよ。また来るから、そこでいっぱい話そう」


 紡ごうとした言葉を超えて、半ば有無を言わせない形になってしまっ。けれども、これからも舞菜に定期的に会うことが出来る。聞きたいことは今後聞きに来れる。そのことを噛み締めながらドアを閉めた。


 俺は言い捨てる形になってしまったが、ドアを閉める間際に見えた舞菜の表情は歓喜そのものだった。その表情を見て、内心ほっとした。もし拒絶されたらと考えたら、怖くて仕方がなかったからだ。


 そんな俺の感情も顔に出ていたようで、隣にいた由梨さんはさっき舞菜にしていた悪だくみしているかのような笑顔を再び見せた。


「意外と大胆なんだね。ますます気に入っちゃう」


 最後の一言については苦言を呈さなくてはならないが、自分の恥ずかしいところを見透かされているようでばつが悪くなった。

 やめてください。恥ずいんで。

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