1. これは、彼が始める物語。
第2話
俺は悩みごとをよくする。
それは通勤の時。それは食事の時。それは着替えの時。それは風呂の時。
ほんの少しの時間でも思案にふけっている。
考えてみれば、いつも何かしらの悩みごとが俺にまとわりついている。
そして、どの悩みも難解なパズルのように正解が見当たらない。大抵、正解に近いけれども、腑に落ちないピースを見つけるにとどまる。
俺がいつも何か考えている様は第三者に頭を使える人だと誤解させることがしばしばだが、ただ困っているだけだから、そんな殊勝なものではない。
今日の悩みごとは兄である
その持論は以下の通りだ。
『真面目であることは色々と不便だ。分からない人間には一生分からないだろうが、とても面倒くさい
その不便さは社会人になるとより際立つ。
それは、先輩後輩関係なくあらゆる
そんな忠犬を周囲の人間は都合のいいように使うのだ。
同僚たちは事あるごとに『
とはいえ、こっちの不満なんか同僚に言えるわけもなく、転職する勇気もわかず、ただただ家で愚痴を吐き出すことでしかストレス発散できない。
またそれは時に、あらゆる面において、他者と比べて優れた高い質が要求される。真面目という
優れた会話術を持つ
そんなことを続けると次第に心が荒んでいく。病気にかかる人間が増える。鬱になっていく。
それが真面目という
客観的に見ると、悠也の持論はなかなかの極論だ。
しかし、主観的に見ると悠也が言っていることが理解できてしまう。なぜなら思い当たる節があるからだ。けれども、その論説の安易な肯定は俺のプライドが許さなかった。
ただ、それについて論理的に説明できないところが悩みの種だ。
俺より四つ上の実兄、悠也は社会人四年目に鬱になり、休職した後、会社を辞めて俺が新卒社会人として一人暮らしを始めたアパートに転がり込んできた。
もうあれから二年も経っている。
両親には迷惑をかけたくないと言ってはいたが、俺が迷惑することは考慮していないのだろうかと何度も思った。
しかし、幸い少し余裕がある間取りの物件だったため、邪魔にはならなかった。むしろ、悠也は俺が後回しにしてきたあらゆる家事をこなした。
それだけではなく、近所のコンビニでバイトまで始めて、俺の銀行口座にバイト代の一部を入れるようになった。
本当に鬱だったのかと疑いたくなるし、いつの間に俺の口座を知っていたのかと戦慄するし……。もしかしたら悠也には専業主夫が天職だったのかもしれない。
幼いころから一緒に過ごしていたはずなのに、未だに生態がよく分からないような悠也は過去の話を実に生々しく語る。さっきの持論のように皮肉めいた毒を俺に散々吐いてきた。
確かに悠也の言う通り、俺は真面目な人間として今まで生きてきた。社内で淡々と仕事をこなして、『
もちろん、言われたような辛いことはたくさんあったが、その中で素晴らしい出会いだってあった。言うほど悪いものではないんじゃないか。そう内心感じる一方、悠也は俺の将来を案じてその言葉をかけているんじゃないかと思ったことも無かったわけではなかった。
高校時代の同級生が激務だけど楽しいと語っていた仕事を辞めてしまったことを、久しぶりに会った飲みの席で聞いた時は、悠也に言われたその言葉がフラッシュバックした。
その同級生の顔には、あの時の悠也と同じように疲労感が詰まっているような気がした。俺もそのまま続けていたら悠也やその同級生と同じ様なことになってしまうのかとゾッとしてしまう—————————。
————————それでも、このやり方を貫く。俺はそう再び心に決める。悠也の持論を論破することは出来ないが、経験則から大丈夫だと自分に言い聞かせる。
このくだりは何度目だろうか……。悠也の言葉にとりつかれているのか。それほど俺の核心を突いた言葉だったということを再三意識させられて、たびたび嫌悪感が湧いてくる。その対象は悠也だけでなく、自分自身でもあった。
あれこれと考えるうちに自宅の目の前にまで来ていた。悩みごとをしていると職場と自宅の行き来も片道一時間かかっているはずなのに、一瞬のように感じる。
家の扉を開くと、悠也がリビングから玄関へ顔を出して、俺を雑に出迎えた。
「遅かったな。仕事がつらくて五月病になるとか言うなよ。マジで」
「こっちも色々あるんだよ。毎度毎度言わないでくれ」
今日は少し残業してきたので、それに伴って帰宅時間もそれなりに遅くなっていた。
「はいはい。あと、お前にはがきが来てたからテーブルに置いといた」
そう言って悠也はリビングへ戻って家事を再開する。おそらく俺の晩飯を電子レンジで温めているのだろう。
俺は仕事を終えて会社から帰宅してヘロヘロな体を動かしてテーブルまで移動する。
そして、実家にいた頃に撮った家族写真の傍に置かれたそのはがきを手に取った。置かれたままだと俺の名前と住所しか書いていないようにしか見えないが、手に取って見ると二つ折りになっていることに気が付く。
俺はそのはがきを開くと一瞬で内容を理解した。
高校の同窓会開催を知らせる往復はがきだ。
悠也がテーブルに晩飯を並べている横でそのはがきを読んだ。まぁ、実にありきたりな内容だった。むしろ、奇抜なはがきが来られても困るが。
「飯田悠悟様。都立松山高校第四十八回生同窓会の案内………か。」
「俺も同窓会行ったな………」
俺ははがきの文字を読み上げてみる。兄が俺の言葉に続いて何か言っているが、無視して当時のことを思い出す。
高校時代、真面目だからと言って学級委員を務めていたこと。人の願いを聞いて答えたり、先生との関係を円滑に進めるために犠牲になったりしていたこと。
思い返してみれば、とんでもない役割を押し付けられていたんだなと改めて感じた。兄の皮肉めいたあの言葉は高校時代の記憶にも刺さっている。
ただ、クラスをまとめるために東奔西走していただけあって、ほぼクラスメイト全員としっかり会話できるような関係値を作っていた。だから、高校卒業後も友達と出かけたり、飲みに行ったり、旅行に行ったりと付き合いは続いていた。
しかし、最近のことを思い返してみると、確か半年前に仕事の後に飲みに行った記憶が掘り起こされる。最近は誰とも遊んでないし、会ってもないということだ。
「また、あいつらに会いに行くか」
「あーあの頃俺と話してくれていた陰キャ仲間たちは誰一人として来ていなかったな………」
いや、それは本当の理由じゃない。
俺はその言葉を口にして気づく。
「卒業以来、会っていないクラスメイトと久しぶりに話すのは楽しいかもな」
「高校時代にほとんど話したことのない陽キャに絡まれて大変だったな………」
それも本心じゃない。俺は本当に気にしていることを棚に上げて、もっともらしい理由付けしようとしている自分に気づく。
「なんだよ、俺。本当に会いたい奴なんて一人しかいないだろ」
「なんだよ、俺。本当に会いたい奴なんて誰一人いなかっただろ」
俺の頭の中でその顔が浮かんでくる。
「それで俺、久しぶりに会った
「うるさいから黙ってろよ」
俺はいちいち自分が言ったことに近いような言葉選びをしてちょっかいをかけてくる悠也の脳天をたたき割り、冷たく言い放った。
やっぱり俺は、あいつ会いたいのか。
「
俺に叩かれた頭を抑えてうずくまる兄をよそに、静かなリビングで時計の秒針の音が一定のリズムで刻む中、兄に聞こえないようにそっとつぶやいた。
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