まばゆい閃き

犀川 よう

まばゆい閃き

 「まばゆい閃きが走った」と姉は言った。視界にガラスのようなキラキラとした星たちが右から左へと流れていったそうだ。それは夜空に浮かぶポツンとした光ではなく、わたしたちが星型と呼んでいる形状をしていて、クリスマスツリーの頂上に飾れるような煌びやかで、お土産屋のガラス工芸のように透明で光を反射する輝きであったという。

 姉がその言葉を残してわたしたち家族のもとを離れてから、ほぼ一年が経った。街はクリスマスツリーと年末の慌ただしさに埋もれ、ケーキ屋ではアルバイトの女性がケーキの予約注文を請けていた。わたしはその予約をしようとしている一人で、今回はどんなケーキにすれば良いかを悩みながら、長い列を並んでいた。

 姉は生クリームが苦手だと言い、わが家のクリスマスケーキはいつもチョコレートケーキだった。それは小さい頃から変更の余地がなく、わたしはあの真っ白な生クリームに鮮やかな苺がのっているケーキが食べたくて仕方がなかった。姉は頑なにショートケーキを拒絶した。チョコレートケーキとはいえ、中には生クリームが入っているタイプなのに、姉はそれについては構うことなく食べていた。スポンジに挟まれている生クリームなど歯牙にもかけず、大きな口を開けて食べるのだ。

 わたしはそれを見て、「おねえちゃん、生クリーム食べれるじゃないの」と抗議をすると、姉はきまって星型の飾りのついたヘアバンドをわたしに渡してから、「まばゆい閃きが走った」と言った。それが何を意図しているのかは今でもわからないのだが、姉はそれだけを言うと、またケーキを食べ始めた。生クリームが舌に直接当っても、姉はその閃きとやらに守られているかのように、おいしそうに食べる事ができた。そうして、わたしは表面が黒いクリスマスケーキを、姉の一言によって食べさせられ続けたのであった。

 だから、姉がいないこの年、初めてショートケーキを予約した。両親も何も言わなかった。潔癖な白は姉の存在を亡き者にしたのだ。


 だけど、新年を迎えるといきなり姉が家に戻ってきた。両親が心配と安堵と怒りを三等分したような表情で姉を迎えると、悲鳴のような声をあげた。姉の懐には小さな赤ちゃんが熊の着ぐるみ姿で眠っていたのだ。熊のぬいぐるみを抱いている奇妙な女にしか見えなかった。

 姉は驚くわたしたちを前にして、「ごめんなさい。あの時は、まばゆい閃きが走ったの」のと言って、母に赤ちゃんを渡してから革のブーツを脱ぎだした。母はどういう理解をすれば正常な正月が戻ってくるのかを懸命に考えているようであったが、結局、子熊を抱いた祖母になるしか選択肢がなかった。

 詳しい事情など、姉から聴取できるとは誰も思っていなかった。姉は一瞬に感じた事のみに従って行動する人だからだ。おそらく、前回も姉の身体の中にある閃きが嘔吐となり、家を飛び出したのだろう。その後、姉の彼氏に連絡をしても、電話やメールがつながることはなかった。

「どうして、今まで黙っていたの?」

 そうは尋ねるが無駄であることは皆が理解していた。両親はすぐに家族会議を諦め、赤ちゃんに必要な物を買いに飛び出していった。姉は赤ちゃんに対する道具をほとんど持ってなかったのだ。何枚かのオムツとタオル、哺乳瓶、慌ててかき集めたと思われる母子手帳や見知らぬ病院の診察券、行政からの書類、ボールペン、それと何粒かの飴。それだけが姉のバッグの荷物であった。わたしは呆れ、どうか赤ちゃんという存在が危険な状態にだけはならないようにと、祈りながら授乳をする姉を見守るしかなかった。

「今まで、どうしていたの?」

 とは言うものの、しばらくすると心配と沈黙に耐えられなくなったわたしは、姉に声をかけた。姉はわたしを見ると、「閃きだったはずなの」と返してきた。わたしは次の言葉を探しながらも、姉と子熊の妖精を眺めていた。姉の持ち物や態度から粗方の察しはつく。それよりも、姉は何故、家を出たのだろうという疑問に答えが欲しくなってしまっていた。――わたしを捨てたの? その真なる質問をしたい自分を抑えるのに苦労をしていた。

 姉はそんなわたしの顔を見ると少しだけ笑った。そして、出ていった際に話をした星型の閃きについて語り始めた。どこか懐かしそうな表情をしながら、あのヘアバンドをポケットから取り出し、眩しそうな顔をして振り返ったのだ。

 わたしはその理由について、寸分たりとも理解することができなかった。だけど、チョコレートケーキでしか駄目であるのと同じくらいに、理不尽で自分勝手なまばゆい閃きという魅力の虜になって行動できる姉が、少しだけ羨ましくなった。

「今まで、チョコレートケーキだったこと。ごめんね」

 授乳が終わった姉はそう言うと、赤ちゃん熊の背中をトントンしてゲップをさせた。その匂いは、この前のクリスマスに初めて食べたショートケーキの生クリームのような、寂しい脂っこさであった。

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