第9.5話 輝光の断片:絶望と地獄の過去




 あれは私とルークが結婚して間もない頃のこと。

いつものように寝室のダブルベッドで穏やかに眠っていた夜だった。



「メア……エリー、コルト。エリオット、ガハルマ……」



 ルークのうわごとに気づき、私は眠りの中から目を覚ました。

彼は誰かの名前を呼んでいるようだ。



「んん、ルーク?何かあったの?」



 その時はまだ私はまだ半分眠ったままだったが、彼の異常な様子に心がざわつき、すぐに飛び起きた。


 そして愛する片割れの安らかな眠りを壊す何かがあると悟り、胸が締め付けられるような不安が押し寄せてきた。



「どうしたの?ルーク!?しっかりして!!」


「アゼルさん、ギャリ先輩、エジル、ジューク……守れなかった……」



 本能的に危険を感じた。

片割れの感覚を通じて、ルークが口にしている名前は、人体改造施設で犠牲になった人の名だと瞬時に理解した。


 彼の過去の闇が、今まさに彼に覆いかぶさっているのだ。



「ルシア……君も」


「大丈夫!私はここにいる!絶対にルークを一人にしない!!」



 私は全力で彼を抱きしめた。

ルークはまるで現実と夢の狭間を彷徨っているような虚ろな目をしている。


 彼の身体は冷たく、小刻みに震えているのが抱きめた腕の中から伝わってくる。



「みんな……そう言った......」


「大丈夫……大丈夫だから。私は片割れ。特別なの......あなたが何をしても絶対に離れないから。」



 抱きしめた瞬間、ルークが小さく震えているのが分かった。

これは過去の恐怖ではなく、未来への恐怖だ。


 私を失うことへの強い不安が、彼の心を蝕んでいるのだ。

時間が経ち、愛情が深まるほど、その恐怖は彼の中で増幅し続けているのだろう。


 いつもの彼は、その恐怖さえも飲み込み、覚悟を決めている。

しかし、それはルークの心に負荷がかかっていないという訳ではない。


 彼は強靭な精神力で、普通ならとうに壊れてしまう程の重荷を抱え続けているのだ。


しかも本人はその負担に気付いていない。



「いつか......ルシア以外殺......」


「大丈夫だから……何度でも止める。何度でも怒る。絶対見放したりしない。」



 私は、ルークの姿に心から悲しみを感じた。

大切なものができ、拷問まがいの施設から逃げ出してやっと幸せを手にしたのに。


 この人の重荷は消えるどころか、増していくばかりだ。


 幸せになればなるほど、その心は壊れていく。

そしてそのことに、普段の彼は気付くことさえない。



「そもそも……僕は……生きてるの?」


「!?」



 何を言っているの……?



「あの日もう……死……全部……夢」


「何言ってるの!生きてる!ルークちゃんと生きてるよ......夢なんかじゃない!ほら触って?ね?ちゃんと私もいる。冷たくないよ?」



 このままでは、彼の心はいつの日か粉々に砕け散ってしまう。


 まるでバッテリーが壊れて二度と稼働しなくなる......

そんな嫌な予感が私の脳裏から離れなかった。



「大丈夫……幸せになれる。絶対幸せになれるよ。だから......」


「でも……ルシアを……」



 それ以降の言葉は聞き取れなかったが、感覚で分かる。


ルークは、いつか心が粉々に壊れた時、自ら私を突き放してしまう日が来ることを恐れているのだろう。


 きっと今までに感情の暴走で自分の意思を失い、その時に放った言動で、誰かを失ってしまった経験があるのね……


「これから永遠を私と生きるの。拒絶しても一人にしない。嫌いになっても、絶対に離してあげないから……ね?」


「ぅぁ……ぁ」


 その後しばらく魘され続けて彼はある言葉を放った。

その言葉は安易に大丈夫だよと言ってあげる事のできない言葉。


 しかしそれは私が片割れでなかったら、の話だ。



「それでも……何あるか……分か…いつか……僕を置いて……殺さ」


「……そうしたら2人で消えるの。私がいない世界であなたは生きなくていいの。」



 片割れは運命共同体で、片方が死ぬともう片方も死ぬ。

しかし、生き続けている間は多くのメリットがある。


例えば、致命傷を負っても片方が無傷ならその力でゆっくりと回復できる。

毒や不治の病にも対応できる。


 傷の回復が間に合えば、良い状態に引き上げられるため、片割れ同士は簡単には死なない。


 また、感覚の共有、記憶の伝達、戦闘力の向上、緊急時の 自動転移など、多くの恩恵がある。


 ただし、二人とも不治の病にかかったり、大怪我をしたりすれば危険だ。

そして、片方が死ねば、もう片方も数時間以内に命を落とす。



「ぅぁ……」


「だから大丈夫。生きるのも死ぬのも全部一緒よ。絶対に1人にならないの。」


「……ぅぅ。スーー」


「これはエリーちゃんに連絡して聞いてみないと……」


 私は直感的に、妹のエリーなら何か知っているのではないかと感じた。

彼女なら、この状況を解決するための手がかりを持っているかもしれない。


そう思い立つとすぐにエリーに連絡し、家に来てもらうことにした。


「ルークごめんね。起きて欲しくないから睡眠神術を掛けさせて貰うね。」


 私はルークに強制睡眠の神術をかけた。

魔法や魔術なら、無防備な状態でもルークは容易に破ってしまうだろう。


 しかし、神術ならば確実に彼を眠らせることができる。



「私……信頼されてるんだ......私以外ならすぐに飛び起きて反撃するのに......」



 そうして私は寝室からエリーに連絡をした。



「エリーちゃん?今空いてたら少し家まで来てくれない?事情は来てから話す。」


「おねぇ?おけ。いく。起きてるし。」



 幸運なことに、ルークの妹エリーは起きていた。

あの子は一度寝入ると、普通の連絡ではまず起きないからだ。


しばらくして、エリーが私たちの自宅に到着した。


 私は再度通信魔術で連絡を取る。



「ごめんねエリーちゃん。迎えにいけないから寝室まで入ってきて......」


「......お、け。」



 強制睡眠神術で起きないとはいえ、私はルークを一人にはしたくなかった。

もちろん、ルークが起きて話を聞いてしまうリスクはある。


 しかし、それでも彼を一人にすることはできなかった。

今はどんな状況でも彼のそばについていていげたい。



「今……あなたを1人にはしたくないの。」



 そう言うとエリーが部屋に入ってきた。



「あれ?おにぃ。何で?寝てる?」


「強制睡眠の神術をかけたの。これからの話を聞かれたくなくて。私はこのままルークを抱きしめた状態で話させて貰うね。」



 その瞬間、エリーの顔色が急に悪くなった。何かを察したのだろう。


 いつも感情をあまり表に出さない彼女だが、今は目の奥に不安と恐怖が渦巻いているのを簡単に見て取れる。



「あ......おにぃ......?」


「やっぱり知ってるんだ......知ってること教えて欲しいの。何か解決方法があるならそれも。」


 彼女は下を向き、暗い表情で私に話しかけた。

しかし、その表情には何か安心したような影も見えた。



「おにぃのそれ。解決方法、ない。」


「そんな......じゃーせめて、どうしてこうなるかは分かる?」



 そう言った瞬間、エリーの握った拳から血が滴り落ちた。

やるせなさ、憎しみ、怒り、戒め……様々な感情が渦巻いているのが伝わってきた。


彼女の内に秘めた痛みが、押し寄せる波のように押し寄せてくる。



「色んな、積み重ね。理由ない。でもおにぃ、記憶と心。弄られてる。」


「え?それって......」



 記憶や心を……弄られてる?人格そのものに影響を与える幼少期の記憶を?



「まず。私とおにぃ。血の繋がりある。」


「え……?でもルークの記憶では......」



 かつて私に伝わってきたルークの記憶とはあまりにも異なる。

もし、あの記憶が嘘だとしたら……。


 心の中が再び大きくざわついた。

真実が一体どこにあるのか、私にはもはや見当もつかない。



「なら......両親に売られて研究施設に行ったっていうのも……」


「……別の人の記憶。沢山、埋め込まれ、てる。」


「なんて酷い事を……」


「私とおにぃの親。殺された。元々私達兄妹。特別な力あった。だから用済み。殺された。」



 私が想像していたよりも、はるかに闇が深い問題のようだ。


 ルークから聞いていた話では、自分は両親に売られたと言っていたし、エリーとは血の繋がりがないとされていた。


 しかし、真実はどうやら違うらしい。


「おにぃは特に特別。おねぇと同じ。その星の生き物と。根本から違う最強生命。魂干渉。できた。」


「更にそこから人体改造されたって事?」



 元々その星でも特異体質だったなら、何故あっさり捕まってしまったのだろうか。

 一抹の不安と疑問は残るが、一先ずこれは後にする。



「おにぃがーーでも。おにぃの記憶、だと。他の子。実験耐えられなず死んだ。変わってる。」


「ルークが望んでそんな事する訳ない!何があったの?どうしてそんな事に……」



 今のルークだってそんな事はできない。

当時のルークは明らかに命令を強制されていたとしか思えなかった。



「……ごめん。分からない。それ。おにぃにしか……でもそのおにぃの記憶はもう……」


「きっと記憶を変えられたり人格をねじ曲げられたり、脅されたりしたのね……」



 恐らく想像を絶するような改造を施されたのだろう。

事実ルークの肉体の3割は生身ではない。



「エリーちゃん。最後に教えて欲しい。元のルークってどんな人だったの?」


「……慎重、家族思い、好奇心旺盛、お人好し。でも大切なものを守るため。他を捨てる危うさ。元々持ってた。」



 思っていたよりも、ルークの性格は元のままだ。

しかし、元々はここまで冷徹に割り切る性格ではなかったのだろう。


 本来ならば、人並みに苦悩し、感情の波に揺れながらもバランスを保つことができたはずだ。


 しかし今のルークは、感情のバランスが大きく崩れてしまっている。


 その変化は、彼の心が受けた深い傷と、それに対する絶え間ない戦いの証であり、彼が背負っている重荷の重さを物語っている。



「おねぇ。ありがとう。私。何しても、ダメ......だった。起こすしかなかった。やっぱりおねぇ、おにぃの特別。」


「そうなんだ……嬉しいけど今は複雑......」



 でもそれを抱えて生きてきたのはルークだけじゃない。



「エリーちゃん。その真実をルークにも言えずにずっと背負ってきたんだね……」


「私。平気。ただ知ってるだ……」



 エリーはいつもの無表情な顔のままで涙を流していた。ルークだけじゃない。

妹の方も......この2人は兄妹揃ってもう限界が近いのかもしれない。



「あ......なんで。私、泣いてる?」


「お父さんやお母さんの事......実の兄とさえ分かち合えない。家族だった頃の思い出も、失った辛さも共有できないんだよ……エリーちゃん1人で背負ってるんだよ。」


「気付かなかった。私。やっぱり、おにぃの妹。似てる。みた......い。」


「今日はみんなで寝よ。ルークに話せない分、私が沢山聞くから。3人で家族なんだよ?」



 私はエリーを隣に寝かせて、ルークと一緒に抱きしめた。

私はこの二人の心の拠り所となれるのかもしれない。


 彼らが安心して寄り添い、心を休められる場所になってみせる......。

そう静かに決意した。



「それでね。お母さんはね......」



 エリーの顔はいつも通り無表情だったが、その瞳には確かに光が宿っていた。

これこそがエリー本来の姿なのだろう。


私は彼女の話を一晩中聞き続け、ようやく朝日が昇る頃に眠りについた。



 後から気がついたのだが、ルークにかけた神術を解くのを忘れた。

なので次の日彼は仕事に遅刻した。




 しかし、1つ不可解な点があった。



エリーは嘘をついている。



彼女は最も大切で重要な部分を隠しているのだ。


 恐らく、私に言いたくない内容なのだろう。

いや、言いたくても言えない何かがあるのかもしれない。




 いつか、家族3人で真の意味での幸せを見つけられる日が来るのだろうか?












「今度は......私が......おにぃを守る......」

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