1 周りの人は、よく本音を言う人だ
「〇〇さんってこれこれこういう性格がよくなくて面倒くさいんだよね。なんとかしてくれないかな」
「××さんはこれが足りなくていつもイライラする。どうにかしてくれないかな」
僕の周りの人は、よく本音を言う。
ここが良くない。ここが悪い。
ここを改善して欲しい。
そういうことを、べらべら喋る。
「□□さんは考えが甘いっちゅうか。先のことまで考えて動けばいいものを、なんにも考えないもんだからダメだよな。簡単なことならまだしも、重要なときにそれやられちゃたまったもんじゃないでしょ」
ひとくちのスナック菓子を食べる感覚で。
ほんの簡単な雑談の時間に。
ひとの批評をする。
誰だって言っている、愚痴というやつだ。
「君もそう思わない?」
周りの人は、よく本音を口に出す。
反論か、不満か、共感のためか、同意して欲しいのか。
バカげている。
僕は、愚痴を声に出さない。
「あぁ、そうかもしれないですねぇ」
薄っぺらい紙一枚の返事。
僕は曖昧な同意めいた言葉を返す。
本当に、この程度の返事で十分。
「だってさ、考えてもみてよ。もしあの時ああだったら……」
聞いてもいないのに、続きの説得が飛んでくる。
ひとの愚痴を聞いていると、よくあることだ。
「どれだけああやったって、意味ないじゃん。どうせすぐあれだろ、お得意のさ……」
気の向くまま愚痴を吐く。
気が乗ったから言葉を足す。
聞いてくれそうだから続ける。
そんなふうな、愚痴の第二小節。
「だから変えた方がいいって思ったんだ。あいつのためでもある。そう思わないか?」
好き放題言っていた本音も打ち止め。
同意しているか伺うように向けられる視線。
「そうですねぇ」
こちらが軽く同意。
「違う?」
すると少し疑うような聞き方の「違う?」。
言い換えればまるで、「あってるよね?」「私間違ったこと言ってないよね?」と言いたげな。
まるで、もともと自信がないみたいな様子の言葉。
本音を言いはしたけれど、勢いにまかせすぎて周囲の同意が得られているか不安がるみたいに。
この持論が異端とされていないか気にするみたいに。
強気に見えて、本質は弱さからくる一言の確認。
そんなに不安なら、言わなきゃいいと僕は思う。
言わば、今本音を吐いたことで、浮き足立っている。
それが今の状況だ。
周りから同意が得られなければ、異端は本音の矛先ではなく言った本人ということになってしまう。
わかるだろうか。
この後の僕の返答は、少し強い同意だ。
「そうですね、もしそうなるんだったら、変えた方があの人のためかもしれないですね」
相手が話したことのオウム返しをする。
これが、少し強い同意。
僕が本音を口にしなくなってから、しばらくが経った。
結果は問題なくだいぶ快適に生活できている。
それでこれを書こうと思った。
いわば、これが僕の本音というものだ。
本音を聞いてもらうためではない。
格言を与えたいとかそういうのでもない。
どうやらこれが正解らしい、と思った。
それが執筆の理由になる。
多くの人は、人目を気にすることなく本音を口にする。
いい顔したい人が近くにいても、おっかない人が近くにいても、言う時は言う。人目は気にしない。
全ての人がそうという訳ではない。
全ての人を僕は見てきた訳ではないから。
それでも、大勢だ。
人数がどうとかは置いておいて聞いて欲しい。
バカげている。
本音を言うのは、バカげていると思う。
口にしない方がいいし、口にするのはバカだからやめた方がいいと思う。
そこにはそう思う明確な理由がある。メリットもリスクに合わない。
効果を考えても口にするものでは無いと思う。
愚痴も本音だ。
口にするのは愚かだと思う。
本音も、愚痴もまた、口にしてはならない。
まず言いたいのが、本音とは、いわば内臓だ。
本音とは自分本人の思いや考え。
その人自身。
それで、内臓というたとえを出した。
もしこのたとえが的を射ていなくて、伝わりづらいものであれば申し訳ないと思う。
内臓。それぞれが大切な臓器で、あんまり外に出すものではなくて。
とても重要で人の弱点とも呼べる。
本音とは、内臓。
もしそれが、攻撃されたらどういう意味をもつか。
その人自身が部分なりとも攻撃されるではないか。
攻撃とは、否定だとか、そういうもので言い換える。
その人自身が否定される。
たとえの通りに、弱点を突かれる形だ。
本音をさらけだすということに、そういうリスクがあると思ってる。
いや、本音を言った側が否定されるのはたいした事ではないのかもしれない。
リスクなど、個人の問題。
本音をさらけだして火傷しても自己責任、それは自身のまいた種ととれるかもしれない。
しかしもっと重要な点がある。
こっちはすごいぞ。
より重大なことがある。
本音で人を非難したのなら、その人はどう認識されるようになるか。
それが分かっていない人は多くいる。
これが、本音を口にすることの最大のバカげている点。ろくでもない理由。
まず、本音で話すということは、その人は『そういう中身の人だ』と認識されること。
本音というのは、なんだか分かる。
この人の本音、本心はこれなんだろうな。
そういうのが雰囲気でわかってくる。
ということは、聞く側はどう聞くか?
本音を喋っている時、「あっこれが本心でこの人の本質なんだろうな」と認識して聞くわけだ。
非難するということは、言ってしまえば『攻撃すること』。
暴力による解決が、悪口による引っ掛け合いに代替されて現代もしばらく経った。
「あいつは大馬鹿者だ」
そう言った人が、本音でそう言ってそうな雰囲気をしていたらどうなるか。
周りはこう受け取る。
「……あっ、これがこの人の本心で、この人の本質なんだろうな」
つまり、本音で人の事わるく言うと、
『根っから人の事悪く言って攻撃する性格の悪いやつ』と認識される。
そういうことになるのだ。
こういう認識をされると、結構厄介なことになる。
性悪は嫌われる。嫌われると肩身が狭い。
物理的にも、精神的にも。
社会の中で生きる、今後も生きる人間にとって。
『人の事攻撃する悪いやつ』になった後のことは想像するに容易。
そういう人も本音で愚痴を吐かれていく。
誰からもレッテルを張られ、居心地がすこぶる悪い。
心身ともに悪影響。
それがバカげていると思う理由だ。
本音を口にするのはろくでもないし、やめておいたほうがいい。
木を隠すなら森の中。
本音を言っても、その影響が小さいのが現代の特徴だと思う。
皆が本音を言っているから。
だからなんとか、本音を言ってもすぐには社会から排斥されていない環境ができている。
よほど嫌われない限り、悪口のひとつやふたつ、人間としてしょうがない。
そういう免罪符はあるだろう。
しかし少しでも度を超えるといけない。
悪い部分が明るみになれば、復讐のためにあらを探される。
そこで本音を、弱点をさらけだしてもみれば、たちまち刺される。
意趣返しされ、嘘まで吐かれたらもう目も当てられない。
だから多少は許されるとしても、本音を口にするのはろくでもないし、やめておいたほうがいいというわけだ。
むしろ本当にバカげていると思う。
皆も言っているというだけで、本音は無かったことにならない。
許されても愚痴は愚痴。嫌なイメージは残り続ける。
本音で人を愚痴ったら、巡り巡って誰かから後ろ指を刺される。
後ろ指を刺した者も、同じく刺される。
皆が後ろ指をさし合う。
そんなフリーフォーオール、引きずり合いに参加するなどバカげてる。
そこで本音を言うことが、アリジゴクのフチだと僕は思う。
本音は独り歩きする。
許されても本音をさらけ出すのは愚かな選択だ。
僕は、愚痴を声に出さない。
分かっていても言いたくなる、ということもない。
分かっても言わない。
思っても言ったりしない。
本音を吐くことがとんでもなくバカげていると分かっている。
声に出さないということは、人に言ったりもしないというわけだ。
だから、ここから話すことは全て『ここでしか聞けない本音』ということになる。
あえて言おう。
本音で喋るやつはおおばかものだ。
本音を言う場所はありません!! しゃべるそら @Ludier_kak
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