「貴方の家族になりたくて」

ずみ

貴女の家族になりたくて

 海が見える学校がいいな。近くに高い建物も無くて、教室の窓から壮大な太平洋が見える。そんなくだらない理由で選んだ高校だ。何かやりたくて入ったというわけじゃない。とにかく地元から離れたかった。俺を誰も知らない、誰も俺に憐みの目を向けない場所に行きたい、そんな気持ちで。

「秋夜(しゅうや)くん、だよね」

 それなのに、貴女は。俺を今、この世で一番俺のことを知っている貴女は。

「やっぱり!久しぶりだね秋夜くん!」

 俺の先輩で幼馴染だった「夜桜閑(よるおうしずか)」は、そこにいた。





運命。まさしく運命といってもいいだろう。

料理研究部も私一人だけになって、その私も今年で卒業する。別に何の思い入れもないこの放課後の調理実習室で、いつものようにコーヒーを飲んで本屋で買ってきた鴎外を読んでいたら、急にドアが開いて。

「失礼します、入部したいんですが。」

久しぶりに聞いた、あの声。かなり前に声変わりして、すっかり男の声になった、私がこの高校に入って二年。ずっと聞きたかった声。

「秋夜くん、だよね」

まさしく運命。私は心の底からそう思った。





先輩とは小学校の頃、学童クラブで出会った。放課後、両親が働いていたりして家に一人でいる子たちが集まる場所。そこで先輩と会った。

「よろしくね、しゅうやくん」

たかが6歳の子供だった俺にとって、先輩はすごく大人に見えて。生まれてすぐ両親を失って祖父に引き取られた俺にとって、唯一そばにいてくれた女性で。だから姉のように慕って。

 中学も先輩について行って、先輩と同じ料理研究部に入って。1年間先輩と毎日放課後を過ごしていた。ただ家庭科室で本を読みながら雑談して、たまにゲーセンに行ったりする日々。そして先輩が卒業して、俺は同時に祖父という唯一の家族が永い眠りについて。

 俺は一人になった。

 2年間放課後に家庭科室にいって、本を読んで、コーヒーを飲んで。一年生の時と違うのは机の向かい側に先輩がいないことだけ。色の無い世界だった。

 中学の卒業式は欠席した。思い出がないから。さっさと引っ越して、こんな都会を抜け出したかった。息の詰まる、灰色に輝く都会から。




「秋夜くん、なんで今まで連絡くれなかったの?卒業式の時に連絡先渡したよね?」

「携帯、持ってないんですよ。もうガラケーが使えなくなって、別に必要ないんで。」

この部に入って半月。料理研究部という大層な名前がついているが、実際は料理の研究なんてしないし、そもそも部活中に料理してるとこを見たことがない。

「じゃあ買いに行こう!今時インスタもやってないようじゃダメだよ!」

「いいですよ別に。困ってることはないんで。」

 俺はそう言って淹れたコーヒーを先輩のカップに注ぐ。

「なんでいらないの?」

「だからさっき言ったじゃないすか。必要ないんですよ。爺さんが死んでから連絡とる人がいなくて。」

 爺さんが死んだあと、何とか使ってたガラケーは捨てた。要らなかったから。俺にとって携帯なんてそれくらいのものでしかなかった。

「じゃあ必要じゃんか!私とどうやって連絡とるつもりなの?」

「あ」

「おい!ほんとに忘れてたみたいなのやめようよ!ほんとに泣くよ!」

「マジで忘れてました。」

「泣くよ。結構大きな声で」

 こうして先輩とくだらない会話するのも懐かしい。今までずっと一人で本を読んでいたのだ。俺も、たぶん先輩も。

「じゃ、さっそく買いに行こう秋夜くん。」

 そういって先輩は読んでいた本をぱたん、と閉じてカバンに放り込んだ。

「え、マジすか。」

「マジだよ。ほらさっさとカップとか片して。」

 先輩が飲んだコップでしょ・・・とか思いながら片づける。といっても、コップ一個だけなのですぐに終わる。俺はさっさと棚にしまって、先に廊下に出てしまった先輩を追いかけた。









「あっついぃ・・・。」

 俺がこの部に入って3か月。開け放った窓から波の音に混ざってどこからか蝉の鳴き声が聞こえる。もうすっかり夏だ。先輩は半袖のワイシャツにスカートと薄着だがそれでも暑そうだ。机に突っ伏してうなだれている。

「エアコンどころか扇風機もないんすかこの教室……」

 今時、この部屋にはクーラーと呼べるものがない。せっかくの夏休みなのに先輩から毎日呼び出されてはコーヒーを淹れられる毎日。まぁ何も予定はなかったから良いのだが。

「先輩、夏休みくらい部室来なくてもいいんじゃないですか?」

 俺はうちわをぱたぱた仰ぎながら先輩に問うた。

「秋夜くんに毎日会いたいからね。君も暇なんでしょ?」

 先輩は机から顔を上げてにこっと笑いかけてくる。中学の時に比べたら先輩はすっかり大人の女性になってしまって、先輩のちょっとしたしぐさにドキッとしてしまう。

「……そうっすか」

「照れちゃって、かわいいね」

 先輩は微笑みながら俺をからかう。きっと俺の顔は真っ赤になってるんだろう。先輩はそれを見て満足そうに笑みを深める。

「……ねぇ、秋夜くん」

 さっきとは違って、まじめな声。

「君、高校卒業したらどうするの?」

 俺は少し驚いた。というのも、高校に入ってまだ半年足らず。卒業後の進路なんてまだ意識したこともなかったから。

「正直考えてないっす。まだ一年ですし」

「私はもう三年だよ」

  先輩は少し寂しそうに言った。

「私がもうこの学校に来るのはもう半年とちょっと。だから、少しでも君と長く一緒にいたい」

 先輩は座って対面の俺の手を机越しに両手でぎゅっと握りこんだ。

 先輩は俺以外の誰かと話しているのを見たことがない。以前三年の教室をのぞいた時も、窓際の一番後ろで本を読んでいた。その時はもしかしたら、としか思っていなかったが、今ので確信した。

「先輩って友達いないんすか?」

「怒るよ。……でもまぁ、そう。高校に入ってから、ずっと一人でさ。ほら、田舎の高校って小学校から築いてた友人関係がそのまま続いてるじゃん。そこに私一人が都会から来たところで入りにくいんだよ」

 それはそうだと思った。田舎では特に、小学校から高校まで全員が顔見知りのクラスなんてざらにある。そこに都会から来た人が入りづらいというのも。

「それで、毎日一人ぼっちのところに君が来てくれて。すごくうれしかったんだからね」

 俺は知り合いのいない高校を目指してこの高校に来たが、結果的にそれが孤立した先輩を救えたのかもしれない。





「で、なにこのカップ麺の山は」

 現在午後の六時。俺は先輩の前で正座している。

 夏休みもあと一週間といった今日。珍しく先輩の呼び出しがないと思ったら先ほど近所のスーパーの袋を携えて先輩が家に来た。

「一人暮らしだからってたるみ過ぎ。秋夜くんは一応料理研究部の副部長なんだよ? 」

 恥ずかしくないの?と笑いながらも圧力をかけてくる。その恐ろしいまでの重圧に耐えがらも反論しようと試みる。

「いやでも、料理研究部っつってもあんまし料理したりとかは「は? 」黙りますごめんなさい」

 勝てなかった。あまりにも恐ろしい。

「……はぁ。秋夜くんって料理できなかったっけ。中学の時はできてなかった?」

 先輩はため息を吐いて聞いてくる。

「出来ます。ただ、一人暮らしなら別に自炊しなくてもいいかなって」

 じいちゃんが生きてた頃はまだ料理はしていた。ただ、一人暮らしが始まってからはスーパーで買ったお弁当やカップ麺で済ませていた。

「ダメ。秋夜くんが不摂生な生活を送って体調悪くなったらどうするの」

 そう言って先輩はスーパーの袋から魚やら野菜やらを家の冷蔵庫に入れていく。

「先輩、それは? 」

「私がこれから毎日秋夜くんの晩御飯作るよ。二人分一緒に作っちゃった方が楽だし。」

 そういってなおも小さい冷蔵庫がパンパンになるほどに食材を入れていった。いままで冷蔵庫に入っていたのは食パン、飲み物、バターくらいなのでなかなか新鮮な光景だ。いや、そうじゃなくて。

「別に大丈夫ですよ先輩! 自炊くらい自分でできますって! 」

「やってなかったじゃんか(笑)」

「はい、ごめんなさい」

 再びすさまじい圧を受けて素直に引きさがる。顔が笑ってるっつっても目が怖い。目が。

「……ごめんね。こんな好き勝手言っちゃって」

 先輩はいつも、俺に無理やり意見を通した後に謝る癖がある。俺が押しに弱いことを知ってやってることからの罪悪感なのだろうか。

「いえ、先輩がしたいことなら尊重するっすよ」

 これは本心だ。先輩は今まで一人だっただろうし、寂しかったはずだ。

「……ありがとう」





「今年はクリぼっち回避成功かな」

 雪の降る町。目の前には大きなクリスマスツリーが光り輝いて、その光がたくさんの雪を映し出して。その光は目の前の先輩の長い黒髪を暗闇から映し出す。。

 結局先輩はあれから本当に毎日俺の家でご飯を作ってくれて、毎日一緒に食べた。

「やっぱ先輩この二年クリぼっちだったんす……痛って!! 」

 ちょっとからかったら脛を思いっきり蹴られた。パンプスの先端で思いっきり。

「ごめんなさい、ごめんなさいって!」

「次言ったら顔蹴る」

 怖すぎる。顔て。

「……でも、君のおかげだよ。こんなに楽しいクリスマスは初めてだもん」

「ただ二人で歩いてるだけっすよ? 」

「それが嬉しいの」

 先輩は笑いながら俺の手を握って。

「今日の晩御飯、どうする?」






 三月。校庭の禿げた桜の木には蕾が付き、これから始まる春に備えている。

 卒業式があった。この高校は生徒数が多くないから、在校生も全員出席する。

「……今日で最後か」

「……そうっすねぇ」

 今までに比べれば多少暖かくなってきた今日この頃。俺と先輩はもはやこの一年料理研究部しか使わなかった調理実習室にいた。先輩の手には卒業証書が入った角筒。

「もうここには来ないのかー。……ちょっと寂しいね」

「……はい」

 先輩も俺も、いつもより喋らなかった。コーヒーがなかったからなのかもしれないし、ただ喋りたくなかったのかもしれない。

「……ねぇ秋夜くん」

「……はい」

「私たちさ、付き合わない?」

 先輩は、ごく自然な流れで言ってきた。

「……俺は」

 俺は。

「俺より、もっといい人がいますよ」

 断ってしまった。

 先輩を幸せにする、自身がなかった。

 ただ先輩に晩御飯を作ってもらっていただけで、先輩に何かしてあげることができなかった。

「……そっか」

 先輩はわかっていたかのようにそう言って、俺に背中を向けた。

「……そっかぁ……」

 たぶん先輩は泣いているんだろう。

「……じゃあね」

 先輩はそう言って歩いて出て行ってしまった。俺はただ立ち尽くすことしか出来なかった。






五月。開け放った窓から、波の音が聞こえる。最近は少し暑くなってきてもう初夏か、と思う。調理実習室は俺一人だ。

 先輩がいなくなってから、俺は先輩の二年間と同じ孤独を味わっていた。

 教室の端で鴎外を読み、放課後は先輩と一緒に過ごした調理実習室で一人コーヒーを飲みながら過ごす。学校が閉まる時間になったら帰って晩御飯を作る。

 先輩と食べたものと同じものを作って食べる。明らかに美味しくない。その生活を一か月過ごして分かった。先輩の料理がどれだけ俺を支えてくれていたのかを。

「……先輩」

 先輩の連絡先を無意識に携帯に表示してしまう。だが告白を断った手前、連絡するのも何か違う。連絡したら先輩は笑いながら来てくれるだろう。でもそれは俺のプライドが許さない。

「先輩……」

「呼んだ?」

 振り返る。声のしたほうを見ると、入り口に彼女はいた。

 告白を断ったのに。あんなひどいお別れをしたのに彼女は。

 それなのに、貴女は。俺を今、この世で一番俺のことを知っている貴女は。

「久しぶりだね、秋夜くん」

 俺の先輩である夜桜閑は、そこにいた。

「先輩……?」

「驚いた?」

 首から下げる名札には「来賓」の二文字。

「……先輩」

「秋夜くん痩せた?なんか骨見えてない?」

 先輩は俺のもとに歩み寄って首やら頬やらをぺちぺち叩いてくる。

「……最近、飯食えてなくて。」

「だろうねぇ。そんな感じだって顧問先生に聞いたから来たんだよ」

 ほら、と先輩は肩にかけたスーパーの袋を見せてくる。去年、家に初めて来たときと同じスーパーの袋だ。

「ほら、ご飯作るから一緒に食べよ! 」





「おいしい? 」

「はい」

 久しぶりにおなかいっぱい食べられた。味はたぶん俺が作ったのと変わらないだろう。たぶん、先輩と一緒に食べてるから美味しいんだ。

「先輩」

「ん~? 」

「付き合ってください」

「……いいよ」








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「貴方の家族になりたくて」 ずみ @Zumikas

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