彼女の読者と、僕の彼女

dede

君の彼氏さんと、僕の作家さん



「ねー、まーくん?」

「んー?」

「ねぇ、まーくんってば。こっち見てよ」

「なんだよ?」

僕は文庫本から顔を上げると、目の前には不貞腐れた顔をしたあーちゃんがいた。

「一緒にいるんだから、もっと話そうよー?」

「家にいる時ぐらいいいじゃんか?」

「そういって、デートも随分行ってないよ。おうちデートばっか」

「だっけか?」

「そうだよ」

そういえば、最後一緒に出掛けたのはどこだったか。

「でも、こういう僕を好きになったんだろ?」

「限度があるよ」

「わかったわかった。次は出かけよ?それでいいだろ?」

そうして僕はまた本に視線を落とした。

「……今日は帰るね。ご飯、作ってあるから早めに食べてよね?」

「ん」

きー……っぱたんと彼女は部屋から出て行った。

最後のあーちゃんの声は震えていた気もしたが、気づかないふりをしてまた物語に身を委ねた。

次に会うのは、また週末か。



どこに行こうかという連絡をしないまま、あっという間に週末になった。

やりとりは金曜の夜にあーちゃんから届いた「土曜、部屋に行くね」だけだった。

翌日の土曜、いつも通り部屋でゴロゴロしながら小説を読んでいると彼女はやってきた。

「やっほー」

「ん」

先週、あんな別れ際だったのに彼女の機嫌は良さそうだった。

いつも通りのお泊り道具の入った手提げと……あれ、もう一つバッグがある。

彼女はいそいそと、そのバッグから小さなノートパソコンを取り出して拡げた。

「ねえねえねえねえ、見てみて見てみて見てみて見てみて」

「……何を?」

彼女は満面の笑顔でじゃじゃーんと言った。

「まーくんが小説ばっかり読んでるので、私も書いてみましたー」

「あーちゃんが?」

「そうそう。読んでみてよ」

「……ちなみに今まで小説を書いた経験は?」

「?そんなのないよ?それが?」

「いーや、別に?それじゃ読ませて貰うね」

「どうぞどうぞ」

まあ、画面を見ればなかなかの文章量だ。途中で投げ出さなかっただけでも褒めてあげよう。

だがしかし。小説を書くことを舐めちゃいけない。初めて書いてモノになるほどヤワなモノじゃないんだ。

物語としての体裁を保つのだってとても困難なんだよ。

かくいう僕だって昔憧れて書いてみたことがある。

いや、夢中になって書いてみたけど後で見直して青ざめたね。

唐突な展開、無駄に格好つけたセリフ、やたら詳細な世界観。青ざめた後に真っ赤になって転げ回ったね。

いや、本当に世の中の作家さんは実に偉大だとつくづく思い知った経験だった。

……まあ、その時書いたテキストデータはパソコンの奥底にまだ残っているのは内緒なんだけど。

とはいえ、これだけたくさん本を読んでる僕だって面白く書けないんだし、あーちゃんに面白く書ける訳が……



~~~~~20分後~~~~~~~



「ちょ、ちょっとまーくん?そんな泣かなくても」

「ムリ。これはムリ。不可避。いや、本当に、最期に言葉を交わす事が出来て本当に良かったよ……」

目頭を押さえてむせび泣いている僕がいた。

「ど、どうかな、まーくん?面白かったかな?」

「すっごい面白かった」

「……そっか。えへへ、そっか」

そう言って、彼女ははにかんだ。

「続き、ないの?」

「まだないけど、幾つか展開は考えてるよ。だから、まーくんの好きな展開教えて欲しいんだけど……」



それから数か月間、彼女が笑顔でいる時間が増えた。

僕らはあれから随分と彼女の書く小説について語り合ったものだ。

そうしてある程度書かれた小説が貯まった頃、僕は彼女に提案した。

「公開?」

「そう。ネットに投稿しない?正直、あーちゃんの小説を僕一人が読むのは勿体ない」

僕は彼女が喜ぶかと思ったけど、彼女の反応は淡泊だった。顎に指を当て少し思案するとようやく答えた。

「私は別にどっちでもいいけど、まーくんがそうしたいならいいよ」

「じゃ、今まで貰った分はこっちで投稿するね?」

「うん、任せるよ」

そうしてネットに公開したところ、瞬く間に人気作品の一つになった。



「あーちゃん、聞いてよ。あーちゃんの小説、新入社員の給料ぐらいには収入になってるよ」

「え、あれってお金になるの?」

「うんうん、なるんだよ」

「へぇー、……でも、それよりさ」

「あとさ、昨日なんと!本にしませんかってオファーあったんだよ!」

「ふーん、本に?」

「なんだよ、もっと喜びなよ」

「いや、それよりさ、今度お出掛けない?」

「ん?取材?いいよ、付き合うよ」

「違うよ!デートだよ。たまには一緒に美味しいもの食べたりとか、観光とかしに行こうよ?」

「え、でもそんな暇あったら次の話書かないと。読者が待ってる」

その僕の言葉に彼女が遂にキレた。

「暇だからデートするんじゃない!私は小説なんかよりよっぽどそっちが大事なの!」

「いや、でも読者が」

「読者って誰!?私にとって読んで欲しいのはまーくんだけだし!なんだったら私の小説読むより私の事見て欲しいし!」

「でもたくさんの人が君の小説を待ってるんだよ?」

「そんなの知ったこっちゃないって!……ねえ、私が付き合ってって言った時、なんでOKしてくれたの?」

そう聞かれて、当時の事を振り返る。

「えーと、僕の事を好きだって言うから?」

彼女は涙目を瞬かせる。

「え、それだけ?」

「うん、どんな人か興味が湧いた。そういうあーちゃんこそ。なんで僕の事好きなの?」

「そんなの……私、分からないよ」

「分からないの?」

「わからないよ!何でまーくんに惹かれるのか分からないんだよ!

どーしてこんなに好きで好きで堪らないのか本当に分からないんだよ!

でも好きで好きでしょうがないのは分かってるから、なんでなんてこれから知ればいいと思ってたよ。

付き合ってから、いっぱい話して、いっぱい色んな体験して、そうすればいつか分かると思ってたんだ。

でもね?まーくんはそんな機会すら私にくれなかったんだよ」

「……」

「もうね、私疲れたよ。もう、終わりにしよ?ね?」

さすがに「小説の続きは?」とは、僕でも言えなかった。




それから数か月後、彼女の部屋の近所の喫茶店に彼女を呼び出した。

久しぶりに会った彼女は、最後に会った時より髪は短くなっており、……血色がよくなっていた。

今なら、だいぶ彼女に無理をさせていたんだなと分かる。

堅い表情の彼女は席に座ると店員に「アイスコーヒー」と告げた。

「それで、話って?」

「今までアレコレごめんなさい」

「今さら?」

「君の書いた小説を全部読み返すのに昨日まで掛ったんだ」

僕は悪い読者だ。いつだって君は僕の欲しいものを最高の形で届けようとしてくれていたし、読み返せば小説の中でどうしたいかをいつも語っていた。

それに僕は感動していたくせに、その意図を読み取れないでいたんだ。

「もういいよ。私も回りくどい事はせずに、そばにいたんだから直接言えば良かった」

「言ってたじゃんか。言って僕が聞かなかったから回りくどい方法を選んだんだろ?」

彼女はそこでくたびれた感じにふぅーと息を吐く。

「で?」

「うん、で、だ。新しい彼氏、できた?」

彼女は目を丸くして、意図を探るように僕の目を真っすぐに見つめる。

「……より、戻したいの?」

「うん、戻したい」

「なんでまた?」

「君の小説を読み直して、君の小説は好きだけど、それ以上にこれを書く君の事が好きなんだと気が付いたんだ。で、いるの?」

「いたら?」

「困る」

「困るの?」

「うん、君の事を困らせたくはないから、困る」

店員がやってきた。彼女は「ありがと」と短く礼を言うと、しばらく迷った末、ミルクとガムシロップを一つずつ足した。

「諦めるとかじゃないんだ?」

「少々は粘らないと諦めがつかない」

「結構情熱的なところ、あったんだ?」

「僕も意外だ」

彼女はずずずーっとストローでコーヒーを吸い上げる。

「いないよ」

「なら」「でもよりを戻すかは別だけど」

僕が喜びかけたところでピシャリと言った。確かに。それはそうだ。

「ねえ?」

「なに?」

「ここ、奢ってよ?」

「うん」

しばらくコーヒーを無言で啜っていたが店員が近くに来た時にブラウニーを追加した。

「あのさ?」

「うん」

「小説の投稿サイトなんだけどさ?」

「ああ、君が気にすることじゃないよ。……話が終わらずに放置なんてよくある話だよ」

「最近読んでるんだ」

「え、君が?」

「うん。それでさ、まーくんが読者が読者がって言ってたの、少しは分かったよ。

だいぶ離れていったけど、今でも続き楽しみにしてくれてる人、結構いるんだね……」

「君が気にすることじゃない」

「ううん。そうかもしれないけど、私とまーくんで始めた事だから。それでね、続きが幾つかあるから、投稿して貰ってもいいかな?」

「え、あれからも書いてたの?」

「うん。……私も結構、小説書くことにはまってたみたい。でね、もう一つお願いがあるんだ」

「なんでも」

「より戻す前にデートしよ?それでどこにデート行こうか、話して決めよ?」

「そんな事でいいの?」

「そんな事も私達、出来てなかったんだよ?私の好きな場所、知ってる?」

「……知らない」

「ね?私も、まーくんの好きなお話の展開はだいぶ詳しくなったけど、それ以外は全然知らないんだ。だからさ、これからはもっと話そうよ」

「……うん、わかった」

そこで彼女は思い出したかのように茶目っ気たっぷりな笑顔で、口にした。

「それではハッピーエンドが大好きなまーくん。これからお互い頑張ろ?」

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