第5話 聖女イザベル

 夜が明けて、ニーナは騎士のヴィオラを連れて教会を訪れていた。

 応接室の扉を開けると赤い長髪の女が一人、席に着いてじっと壁を見つめている。


「長旅お疲れ様です」


 女は二人の方へと視線を移す。

 年齢はニーナよりも一回りほど上か、ずいぶんと物腰が柔らかい。

 彼女の名前はイザベル、ファルムの街を守る当代の聖女である。


「はじめまして、イザベル様」


 ニーナは一礼してイザベルと対面の席に腰を下ろす。


「教会本部から来ました、ニーナと申します」

「あなたが次の聖女さん? ふふっ、とてもお若い方でしたのね」


 イザベルは愛想良く上品な笑みを浮かべる。

 それを見ながらニーナは少し申し訳なさそうに話を切り出した。


「あのぉ、聖女の引き継ぎについてなのですが……」


 イザベルは何の事かと少し驚いた様子で目を見開く。


「どうか私を死んだことにしていただけないでしょうか?」


 あまりにも素っ頓狂な要求にイザベルは頭上にハテナを浮かべる。

 ニーナが何故そのようなことを言い出したのかは彼女にとってどうでも良い。

 ひとえにその要望を受け入れるとどんな事象が起こるかがイザベルにとっての焦点である。


「えーっと、つまりアナタがいない場合は聖女が不在になるから……アタシにまだこの街に居ろ、ってことかしら?」

「はい、結果的にはそういう事になります」


 一瞬の静寂。

 イザベルは両手でテーブルを強く叩いて、勢いよく立ち上がった。


「嫌よ! せっかく王都へ移れるのに、なんでその機会を見ず知らずのアンタのために棒に振るわなきゃいけないのよ!」


 先ほどまでとは打って変わった柄の悪い口調にニーナは少し気押される。

 が、そこで引くほどニーナもヤワではない。


「お願いします、どうか本部に私は死んだとお伝えください!」

「絶対に嫌ッ! アタシはこんなド田舎さっさと出て行って夢のシティライフに華を咲かせるの!」


 頼むニーナと断るイザベル。

 両者一切譲らずに話は平行線を辿るばかり。


「ニーナ様、イザベル様にも事情というものが……」


 ヴィオラはニーナを優しく諭す。

 しかし、やはりニーナは止まらない。


「どうしてイザベル様はそんなに王都へ行きたいのですか? あんな所、人が多いだけで行っても何も楽しくないですよ!」

「都会籠りの世間知らずが、なに知った気になってるのよ! それだけ沢山の出会いがあるってモノじゃない! アンタもしかして、人付き合いとか苦手なタイプ?」


 嘲笑するようなイザベルの言い草が気に障ったのか、今まで中庸を貫いてきたヴィオラのこめかみに青筋が走る。


「イザベル様も三十路です、こんな片田舎では枯れた者同士の出会いしかなくてお辛いでしょうね」


 割って入ったヴィオラの言葉がイザベルの胸に深く深く突き刺さる。

 実際、イザベルの都会へ対する憧れはヴィオラの予想する通りのものであった。

 それゆえに図星を突かれたイザベルの怒りは頂点へと達する。


「あんた、なに大上段からモノ申してるのよ! そっちだってアタシと大して歳変わらないじゃない!」

「あっ、私、婚約者いるので」


 金切り音のような悲鳴がイザベルの口から漏れ出る。

 完全敗北。

 敗者に与えられた選択は二つに一つ。


「うぅぅぅ……まだ三十路じゃないもん! もう知らないッ!」


 イザベルは涙目で部屋を飛び出した。

 大の大人の本気の発狂を前にして閉口するニーナと、その傍らでガッツポーズをするヴィオラ。


「ちょっと、なに喜んでるんですか!」

「勝利を享受することに何か問題がありましょうか?」


 無表情で勝ち誇るヴィオラにニーナは両手で頭を抱える。


「ちなみに先ほど婚約者がいると申しましたが、あれ嘘です」


 ヴィオラはさらりと自白する。

 舌戦において彼女は無類の狂戦士だった。


「まあ、イザベル様も元より協力はしてくれなそうでしたので」

「そういう話ではありません!」


 ヴィオラのずれた返答にニーナは一層頭を抱える。

 しかしイザベルの協力を得られないであろうというのは事実。

 ニーナは一旦帰り作戦を練り直すことにした。

 教会を出て、ニーナとヴィオラは馬車に乗り込む。


「さて、プランAは頓挫した訳ですが」


 淡々と現状をまとめるヴィオラ。


「刺客探しは根気強くやるとして……」


 聖女訃報の虚偽報告による敵の炙り出し。

 それができないからとて、ニーナにはまだ取れる択がある。


「暫くはユリウス様にずっと一緒にいてもらうしかないですね」

「えっ?」


 聞かされていないプランの登場にヴィオラは思わず声を上げる。


「ニーナ様、公私混同は良くありませんよ」

「ち、違います! 決してそんなつもりは……」


 そんなつもりはあったため、ニーナの声は尻すぼみに小さくなった。

 しかしながらユリウスの傍にいることは何よりの安全に繋がる。

 私欲が含まれているものの、それが最適解であるためにヴィオラもこれ以上は口を出さなかった。


「とにかく、ヴィオラはこれ以上敵を増やさないように!」

「どの口が言ってるのか」


 命を狙われるほど敵の多いニーナにヴィオラの小言が突き刺さる。


「もう、そういう所ですよ!」


 怒られて口を尖らせるヴィオラ。

 その様子にニーナはクスリと笑う。

 二人を乗せた馬車は修道院へと向かった。

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