第4話 ファルムの街
一行がファルムにたどり着いたのは、ユリウスが加入して二日目の夜のことだった。
門前で停泊する馬車。
御者を務める女騎士から書状を渡された憲兵は、随分と砕けた態度でそれを開く。
「お待ちしておりました、聖女ニーナ御一行ですね」
憲兵は頭を下げ、荷台を確認することなく馬車を次々と通していく。
馬車の小窓からそれを覗いていたユリウスは、そのやり取りを見て疑問を抱いた。
「検問所なのに何も確認しないのですね」
「彼は聖教の信徒ですから」
憲兵の首元には銀の十字架。
信徒であれば教会からの使者に甘いのは当然か。とユリウスは納得した様子でうなづく。
しかしそれと同時に新たな疑問も生まれた。
「ニーナ様、なぜ見なくても分かるのですか?」
問われたニーナは自身の耳を指さした。
ユリウスは周りの音に注意を払うが、変わったことは何もない。
「普通の方には聞こえないかもしれませんが、実は聖教会の信徒は特殊な鈴を身に付けているのです」
神を呼ぶとされるその鈴の音を聞き取れる者は国中を見渡しても数人しか存在しない。
ニーナはその内の一人であった。
「なるほど、僕たちの密言に近いものなのか」
「密言?」
「吸血鬼にしか聞こえない特殊な声があるんです」
ユリウスは目を閉じて口をぱくぱくと動かす。
何か喋っているようだが、ニーナの耳には何も聞こえてこない。
「どうでしたか、何か聞こえましたか?」
「いいえ、何も聞こえませんでした!」
目を輝かせるニーナを見て、ユリウスは少し得意げになる。
「それで、なんて言っていたのですか?」
「えっ、あっ……」
ユリウスは言葉に詰まる。
この二日間こっそりと練り上げた口説き文句など、ニーナに聞こえるようには口が裂けても言えない。
「まあなんというか、他愛無い内容ですよ」
曖昧に濁されたことに不満をあらわにするニーナ。
ユリウスは目先を変えようと無理に話題を逸らす。
「ところでニーナ様、教会とはどのような所なのでしょうか?」
「うーん、そうですね」
吸血鬼のユリウスにとっては教会は縁遠い場所。
片やニーナにとっては生まれ育ち人生の大半を過ごした場所。
いざ説明しようと考えたとき、嫌な記憶の多さにニーナは内心辟易とした。
「あまり居心地の良い所ではありませんね」
ニーナの答えを聞き、話題の選定に失敗したと察するユリウス。
しかしニーナは続けてこう述べる。
「でも私が知っているのは中央だけですので、もしかするとファルムの教会は素晴らしい所かもしれませんね」
遠くを見つめるニーナの目はどことなく楽し気だった。
まだ見ぬ出会いに期待が膨らむのは彼女ほどの歳なら当然のことだ。
「ニーナ様は前向きですね」
「過去を引きずっても仕方ないので」
断言するニーナにユリウスは尊敬の眼差しを向ける。
「この街の教会が良い所であるといいですね」
「まあ、それを確認するのは明日のことですので……」
カラカラと音を立てて進む馬車。
ニーナはその扉を開き、ユリウスの方を振り返る。
「今日は今日を楽しみましょう!」
上着を脱ぎ棄て勢いよく飛び出すニーナ。
ユリウスは慌てて後を追う。
「ヴィオラ、日が昇る前には教会に行くので!」
馬車を操る女騎士は頭に手を当てる。
空中でニーナを抱きかかえて鮮やかに着地したユリウスは、彼女を下すなりその手を握り馬車の方へと戻ろうとした。
「なにをしてるんですかニーナ様!」
「大丈夫です、いつものことですから」
ニーナが抜け出しても馬車が止まる気配はない。
彼女の言う通り、これは「いつものこと」である。
「さ、街の探索に行きましょうか!」
ニーナは人気の多い方へと歩いて行く。
繁華街に入る手前で立ち止まり、ユリウスの方に振り向いたニーナは首を傾げる。
「いつまでそこに立っているんですか、ユリウス?」
「ニーナさ……」
駆け寄ったユリウスの口に指を当てて、ニーナはにこりと微笑んだ。
「ここでは私は一人のニーナ、敬称なんていらないですよ」
ニーナは陰の狭間に立つユリウスの手を引いて、明るい街へと引きずり込んだ。
力負けしてよろよろと足を進めるユリウス。
しかし気分は存外悪いものではなかった。
「さて、ではなにか食べにいきましょうか」
「それならあそこの店はどうかな……ニーナ……」
ユリウスは歯切れが悪そうにすぐ近くの酒場を指さす。
不慣れな呼び捨てに照れる様子を見てニーナはクスリと笑った。
「ダメですよユリウス、私はまだ未成年なのですから」
まだ少しあどけなさの残るニーナに諭され、ユリウスの赤面は加速する。
「私とのお酒は来月までお預けですよ」
「そういったところは真面目なんですね……」
「あら、誰が不良少女ですって?」
ニーナはそう言っておどけてみせた。
小悪魔的とも取れる笑顔に、ユリウスは不思議と肩の力が抜けていく。
「たしかに、不良でもあんな無茶な飛び出し方はしないですよね」
もの言いたげに頬を膨らませるニーナの手を握り、ユリウスは繁華街へと歩みを進める。
二人が教会の宿舎に着いたのは、それから3時間も後のことだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます