第2話 聖女ニーナ

 家を出て二日、ユリウスは夜の森をさまよっていた。

 食糧をもなく飢えを堪え、ただやみくもに歩き続ける。


「まずいな、この調子では餓死してしまう……」


 ユリウスが思案していると、ふと美味しそうな匂いが彼の鼻をくすぐった。

 腹が鳴るのと同時に風上を確認し、ユリウスは即座に匂いの方へと向かう。

 程なくして聞こえてきた荒々しい声に、ユリウスは己の性を自戒する。


「僕はバカか……」


 脚は一層早く動き、すぐにユリウスは開けた平原へと飛び出した。

 横転した箱馬車とそれを守るように取り囲む騎士たち。

 傷を負い地に伏せる者もいる。


「助けに来たぞ!」


 ユリウスの方を見る騎士たち。

 しかし明かり一つ無い中で彼を視認できる者は一人もいなかった。


「誰だか知らんが逃げた方がいいぞ! 我々が今対峙しているのは……」


 若い女の声が聞こえたのも束の間、騎士たちを激しい炎が包み込んだ。

 幸いにも攻撃は魔法の結界により防がれる。

 が、地面に火が付いたことで敵の正体が明らかになった。

 赤褐色の大きな翼に岩をも砕く牙と爪。鎧のような鱗をまとったそのモンスターは低い雄叫びが森一帯に響き渡る。


「おっ、ドラゴンか」


 存外そっけないユリウスの反応に騎士たちは言葉を失う。

 抜刀してゆっくりと間合いを詰めるユリウス。指先で刃をなぞり、剣に自身の血を塗る。


「こいつら大きな割に素早く動くから、油断せずに行こう」


 数秒の静寂。

 先に仕掛けたのはドラゴンだった。

 長い尻尾を振り払い、横薙ぎの一撃を繰り出す。

 しかしユリウスはそれを剣で受け止め、鱗ごと尻尾は斬り伏せられる。


「ほほう。さてはお前、油断したな?」


 激痛に叫び、のた打ち回るドラゴン。

 なんてことのない鉄の剣が自身の尾を傷付けるなどとは想像もしていなかった。

 ユリウスは《操血》により自身の血を自由自在に操ることができる。

 その変幻自在な硬度と形状は、なまくらを国宝級の名刀に変えることすら容易であった。



「図体が大きいんだから、もっと繊細に動かないとな!」


 爪による大ぶりな一撃を避け、細かなステップを挟みながらユリウスはドラゴンとの距離を詰める。

 飛び上がり放たれる横一線の斬撃。

 納刀。

 ユリウスが馬車の上に着地すると共にドラゴンの首はポトリと転げ落ちた。

 月光に照らされて明らかになったその顔を見て、騎士たちは息を飲む。

 しかしユリウスは傍に目もくれず、一目散に箱馬車をこじ開ける。

 中にいたのは紺のローブに身を包んだ白髪の少女。

 胸には華やかな装飾の首飾りを掛けている。


「おい、意識はあるか?」


 横たわる少女の肩を揺らしてユリウスは何度も呼びかける。


「うぅ……うわっ!」


 少女は目を覚ますや否や、見覚えのない顔に驚いて跳ね起きた。


「あ、あなたは?」

「ユリウスだ」


 ユリウスは手短に答えるなり、少女の首飾りを引きちぎって奪った。


「ちょっと、いきなり何をするんですか!?」

「いいから見てろ」


 そう言ってユリウスは首飾りを壁に叩きつけた。

 パキッという音とともに青いドロドロとした液体が漏れ出る。


「なんですかこれ、すごい伸びますね」

「魔物を呼ぶ効能がある液体だ、あまり触らない方がいい」


 ユリウスの忠告を受け、自分の指を見つめる少女。青い液体は親指と人差し指の間でしっかりと糸を引いている。


「ま、まあ、少しくらいなら大丈夫ですよね?」

「これはまずい、触れただけでも死にかねない危険な毒だ……」


 少女の頬が引きつる。

 ユリウスは剣を抜き、少女の手を掴んで刃を当てる。


「口を閉じて、舌を噛み切らないように」

「待ってください! 私は痛いの嫌なんです!」

「ダメだ、手遅れになる」


 泣きわめく少女と切断を強いるユリウス。

 二人を引きはがそうと騎士たちが馬車の外からユリウスを掴む。


「聖女様に向かって無礼だぞ!」

「せ、聖女?」


 驚いた拍子に握力が緩み、ユリウスは少女から引き剥がされた。

 次の瞬間、少女の足元に光る魔法陣が現れて、指先の液体がみるみるうちに消えていった。


「ユリウス様を離してあげてください。これも彼が私の身を案じての行いですから」


 少女に言われるがまま、騎士たちはユリウスから手を離す。

 その場にちょこんと座り込んだユリウスは少女の顔を見上げてあることに気づいた。

 以前モーリスに付き添い訪れた宴会で、一度だけその顔を見た覚えがある。


「申し遅れました。私はニーナ、新しくファルムの街に着任する聖女です」


 即座にひざまづき頭を下げるユリウス。

 それは決して忠誠の意を示すものではなく、単に顔を見られたくないがためである。

 教会の亜人種へ対する扱いはお世辞にも良いとは言い難い。


「ユリウス様、もしかすると以前どこかでお会いしたような」

「そっ、そんな訳ありませんよ、僕はしがない冒険者ですから……」


 幸いにも今のユリウスは冒険者らしい出で立ちである。他人の空似と言ってしまえば押し通らないこともない。

 しかしニーナの訝しむような目はユリウスから離れなかった。


「ここで会えたのも何かのご縁。ユリウス様、街まで私の護衛をしていただけませんか?」


 突然の提案にユリウスはひどく困惑した。


「大変ありがたいお話なのですが、僕には行かなければいけない所がありますので……」

「へぇ、どちらに?」


 言葉に詰まるユリウス。

 その耳元に口を近づけてニーナは小さな声でささやいた。


「お噂はかねがね伺っておりますよ、赤い剣聖のユリウス様」


 自身の二つ名を呼ばれてユリウスの脈が跳ね上がる。

 ニーナには既に正体がばれていたようだ。


「さあ皆さん、残った馬車を再編して再出発の準備をしましょう!」


 騎士たちを主導して部隊を立て直させるニーナ。

 抜けているようで抜け目のない彼女の立ち振る舞いに、ユリウスはただただ身を縮めていた。

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