第31話 シェリフ・オブ・シェリフ

 一度はジョンたちを見送ったものの嫌な予感が止まらなかったハカンは、以前嫌がらせとしてウィンチェスターの牧場から牛たちを解き放ったことを思い出した。

 牛を売り飛ばすための伝手など持ってなかったハカンはそのまま放置していたのだが、幸運な事にその何割かは近くに留まっていたのだった。


 何かの助けになるやもと、いざとなれば暴れ牛の群れを向かわせようと準備していたハカンだったが、そんな彼に銃を突き付けて来たのが、ライアットからジョンの家を教えられていたヘレンだった。

 ヘレンは、ろくに別れの挨拶も出来なかった事と、改めてお礼を言うためにナスカッツを目指していたのだが、その途中で見つけたハカンを牛泥棒と勘違いしたのだ。


 だが、銃口を向けられたハカンの口から出たのは命乞いの言葉ではなく、自分を助けてくれた2人の名前だった。


 そして、異変を察知したハカンが裸牛に飛び乗り、町へと駆け出していく後ろを追いかけるようにヘレンも馬を走らせたのだ。





「まっ! 待って! ペイルライダーさん! 先生たちの様子がおかしい!」


 ヘレンの叫びに、暴れ牛たちを誘導していたハカンはジョンたちの方を振り向いた。

 そこには地面に横たわり、苦しそうに体を丸めるタマモと、1人のガンマンと相対してるジョンの姿があった。


「そちらに乗る! 後ろを開けてくれ!」

「はっ! はい!」


 ハカンはそう叫ぶなり、裸牛の背からヘレンの馬へ素早く飛び乗った。


「くッ! 間に合ってくれッ!」


 苦痛に顔を歪めるタマモは勿論、人間相手には引き金を引くことが出来ないジョンではガンマン相手に勝てるはずがない。

 ハカンは、自分の前に座るヘレンから手綱を奪い取ると、巧みな馬捌きで暴れ牛の間を縫うように進み――


 ダン!

 と言う銃声が至近距離で鳴り響き、ハカンたちが乗っていた馬が立ち上がってしまう。


「きゃっ⁉」

「くっ‼」


 馬を自分の手足の如くあやつるハカンだけならば耐えられたかもしれないが、力が弱く体の軽いヘレンが馬から放り出されるのを見て、ハカンはとっさに彼女を抱きかかえながら馬から飛び降りた。


「あわよくば振り落とされてくれることを期待していたのだが、物事はそう思い通りには行かぬものだな」


 それは堅く鋭いいわおの様な壮年の男だった。

 くぐってきた修羅場年月を感じさせる、大きく根を張る大木のような声でそう言った男は、硝煙くもらせる銃をまるで手品の様に一瞬でホルスターに収め、ハカンとヘレンをワシのような目で睨みつけた。


「……下がっていろ、白人の娘よ。奴は別格だ」


 ハカンは後ろを見ることなくそう言って、ヘレンの前に出る。


(先ほどの銃声はこの男で間違いない。ヤツはこの混乱する戦場で、疾走する馬を着実に止めて見せた、しかも、馬から一滴の血を流すことも無しにだ)


 確信は持てないが……恐らく目の前の男は、暴れ牛の間を縫うように駆ける馬の眼前を一皮一枚横切るように銃弾を放ったのだ。


 ハカンの背筋がゾワリと震える。

 この男の銃の腕は、少なくとも西部一のガンマンと噂されるライアットあの男に相当する。


(否、下手をすれば、あの男以上やもしれん)


 ヘレンをかばうように大きく両手を広げつつ、ハカンはゴクリと生唾を飲み込む。


「違いますペイルライダーさん」

「む?」

「私の名前は白人の娘ではありません。私の名前はヘレン・ストーン。

 先生の……ジョン先生の教え子です」


 ヘレンはそう言いつつ、すらりと銃を抜きながらハカンの腕の下をくぐって前に出た。

 

「なっ⁉ よせ! オマエには奴の相手はまだ早い!」


 ハカンはそう叫びつつ、ヘレンの肩に手をやるが、ヘレンは眼前の男に銃を向けたまま大地に根を張るようにピクリとも動かない。

 だが、眼前の男は、自分に銃口が向けられているにも構わらず、眉間に刻まれた深い皺をわずかに緩めた。


「なんです。女が銃を向ける事がそれほどおかしいんですか?」

「いや違う。誤解させてしまってすまないね……ミス・ヘレン……で? 良いのかね?」

「ええ」


 笑いをこらえるようにそう言う男に、ヘレンは固い口調でそう言った。


「儂が興味深いのはだ、君が儂の愚息を『先生』と呼んだことだよ」

「……え? 愚息ってもしかして……」

「言葉の通りだ、儂の名はクリント・サイランド。

 ジョン・サイランドは儂の不肖の息子と言う奴だ」


『あの根性なしのひょうろく玉が先生ねぇ』とクリントは笑いをこらえきれないように肩を震わせる。


「クリント。クリント・サイランド……貴方があの……」


 そう言葉に詰まるヘレンに、クリントは自嘲するような笑みを浮かべてこう言った。


「伝説の保安官――とでも言いたいのかね?

 そんなものは他人が勝手に言っているだけだ。儂はどこにでもいる唯の無力な老いぼれ保安官でしか在りはしないさ」

「いいえ! 貴方は唯の無力な保安官ではありません! 保安官だった父から貴方の事はよく聞いています!」

「ほう。君の御父上も保安官なのかね?」

「……元……です、父は殉職してしまいました」


 そう言って唇をかみしめるヘレンに、クリントは寂し気な瞳で「そうか」と言った後こう続ける。


「どれだけ威張ってみた所で、保安官なんてものは基本的に事件の後でしか動けない後追い仕事だ。

 伝説の保安官? はっとんだお笑い草だよ、それはつまりそれだけ多くの被害者の涙を見て来たという事だ」


 そう言って遠い目をするクリントに、ヘレンが持つ銃は徐々に徐々にと下を向いていく。


「本当は、保安官なんてない世の中が理想だという事など皆分かっている。

 誰もが隣人を助け合い手を差し伸べる、勿論そこには白人も黒人も、インディアンの区別もなくだ。

 だが、そんな世界は夢物語でしか在りはしない。

 誰もが皆己の利益のため、欲望のため、多かれ少なかれ、他人を傷つけて生きねばならぬ」


 そこまで言ったクリントは、遠く離れた位置にいるジョンへチラリと視線を向けてこう言った。


「そして世の中には必要以上の欲を持ち、必要以上に他人を傷つける輩が存在する。

 人はそれを犯罪者と呼び、儂はそれを取り締まる保安官だ」


 そう言ったクリントの気配がガラリと変わる。

 自分の目の前に存在するのは先生ジョンの父親ではなく、かつてシェリフ・オブ・シェリフと呼ばれた伝説の保安官であることをヘレンはその威圧感をもって思い知らされる。


「今ならまだ間に合う、ここで引くんだ」

「それはどうかまだ分かりませんよ、私は既に銃を抜いています」

「儂の早撃ちがそれに間に合わないとでも?」


 震えそうな声を押し殺しながらそう言うヘレンに、クリントは煽るでもなく淡々とそう言い切る。


「これが最後のチャンスだ。ジョンあの男は君が命を懸けるに値しない」

「それを決めるのは――私です!」


 その言葉を放つと同時に、ヘレンは引き金を引き絞る。狙いは右手、利き腕を失えば伝説の保安官と言えど、戦闘継続は困難――


「し――」


 ヘレンが引き金を絞ると同時に、クリントは重心を左足にかけほんの少し半身となる。


「君の狙いは真っすぐすぎる」


 初弾がかわされる事を悟ったヘレンは、次に狙うべき場所を――


「って、ええええええええ⁉」

「ヘレン! 上から狙えッ!」


 背後、いや、ヘレンの腰下からかけられたその声とともに、ヘレンの体は一気に宙に舞い上がる。


「うおおおおおおおおお!」


 ヘレンを上空へと放り投げたハカンは、その両手で頭をガードしながら、地を這うような軌道でクリントへ突撃した。


「くッ⁉」


 バババと、上空からヘレンが手にしたルガー・ベアキャットが銃声をとどろかせる。

 もちろんそんな不安定な状態では銃の狙いなどつけようがない事などクリントにも分かっている。

 だが、ヘレンはしっかりとクリントを睨みつけながら引き金を絞り続ける。

 間近の地面に次々と着弾痕が刻まれる中、クリントは大きくバックステップした。


(ここまで下がれば、あの娘の着地点は目の前だ、そうなればインディアンとあの娘はぶつかる事に――)


 クリントはそう計算をしつつ、ホルスターから引き抜いた銃をヘレンの着地予想点に合わせ――


 ピー、と言う甲高い音が発砲音に混ざるのをクリントは耳にする。

 だが、上空へ視線を向けてしまえば、6.5フィート(約200㎝)もの巨体でありながらも、地を這うように走るインディアンから目を放す事になってしまう。

 その一瞬の惑いが決め手となった。


 ドンッと凄まじい衝撃がクリントの背後からぶつけられる。


「がッ⁉」


 耐えようがない衝撃により、前方へと突き飛ばされたクリントは、反射的に第3の敵を確認しようと視線を向けるが――


「え⁉ あ⁉ どっどいて⁉」


 上空から落下してきたヘレンから踏みつぶされる事になった。





「あっ? えっ? やだ! 私そこまでするつもりは⁉」


 げぼお、とか言いつつ気を失ったクリントを下に、ヘレンがワタワタと慌てふためいていると、小さな体をひょいとハカンから持ち上げられた。


「はくじ……ヘレンよ、先達は労わるべきだとオレは思うぞ?」

「え? あ? いっいえ、私だってそんな事ぐらいわかっています!」


 つい先ほどまで、恩師ジョンの父親におよそ9.8フィート(約3m)からのフライング・フット・スタンプをぶちかました事を指摘されたヘレンは慌てながらそう言った。


「しかし、とっさの事だが、よくもまぁ上手くいったものだ」


 ハカンはそう言いつつ、ヘレンが口笛で呼び寄せた馬の首筋を優しくなでる。


「とっさ過ぎです! ああいう事をやる時は事前に説明してください!」

「そんな時間などどこにもなかった。ヘレンよ、一応忠告しておくが、あの2人と共に行動したいのならばこんなものでは済まないぞ?」

「え? いっいや! わっ私は別にそんな……」


 わずかに頬を赤らめながらゴニョニョと何かを呟く少女を、ハカンは一瞬の間優しい目で眺めた後――


「行くぞ! ヘレン! 2人が危ない!」

「はっ! はいッ!」


 そう言いあった2人は馬へと飛び乗りジョンたちへ向けて駆け出したのだった。

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