第13話 明日に向かって走れ
「きゃっ⁉」
胸騒ぎと遠くから聞こえる銃撃音を頼りに、ウィンチェスターの牧場近くまで来たマーガレットは、丘の上から降り注いできた猛烈な突風に小さな悲鳴を上げた。
「なっ、何が……」
パラパラと振り落ちてくる小さな瓦礫に注意しつつ、恐る恐る進んでいったマーガレットの目に映ったのは――
「……え? ここって……牧場だったわよ……ね?」
マーガレットの記憶が確かならば、この場所にはウィンチェスターの屋敷とそれに隣接した牧場があったはずだ、だが彼女の視界に映るのは何もないただの荒野だった。
「……こんな」
事を出来るであろう存在は、マーガレットが知る限りただ一人しか存在しない。彼女の脳裏には、妖艶な笑みを浮かべる少女の姿があった。
「……なに……ってそうだ! あのバカは⁉ ジョンは⁉」
放心状態から我に返ったマーガレットは、幼馴染の姿を探してキョロキョロと周囲を見渡した。そんな彼女の耳にとある機械的な音が響いてくる。
「⁉」
はっとそちらを振り向いたマーガレットの目に入ったのは、片方のライトが潰れ、もう片方も弱々しい点滅を繰り返しているボロボロになった1台の蒸気自動車だった。
それに乗っているのが誰なのか、不安感と期待感が入り混じるマーガレットの方へとその蒸気自動車は進んでいき――
「ん? 何してんだお前? こんな所で?」
全身に土埃を浴びて真っ白になったジョンは、キョトンとした顔をしてそう尋ねた。
「なっ……何してんだはこっちのセリフよ! アンタこそなにしでかしてんのよッ⁉」
身を乗り出してそう叫ぶマーガレットに対して、ジョンは眉間に深い皺を刻み、数秒の間深く考え込んだ後――
「じゃッ! そう言うことでッ! 後は任したッ!」
満面の笑みを浮かべながらそう言って、蒸気自動車を急発進させる。
あっけにとられるマーガレットを置き去りにして、蒸気自動車はガタつきながらも猛スピードで遠ざかっていく。
「なっ……なっ……何が後を任したよッ⁉ ふざけんじゃないわよこのろくでなしーーー!」
マーガレットは地平線の彼方――朝日に向かって走っていく蒸気自動車の陰にそう叫んだのだった。
★
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ」
遥か後ろから聞こえてくるマーガレットの声を、ジョンはハンドルに覆いかぶさるようにして大きなため息を吐きながら聞いていた。
「最悪だ、最悪だ、最悪だ」
ブツブツと亡者の様にぼやき続けるジョンに対して、助手席でふんぞり返って座っているタマモはあきれ果てた口調でこう言った。
「何時までもグチグチとやかましいのう。やってしもうたものはしょうがないじゃろう」
「しょうがないじゃねーよ! しょうがないじゃっ! どーすんだよ! あの後始末⁉」
「かかか。真っ先に逃げ出した貴様に言われてものう」
カラカラとそう笑うタマモに、ジョンは歯ぎしりをしつつ黙り込む。
黒幕であり|(なんの黒幕だったのかジョンは聞き忘れた)、かつ町の名士であるウィンチェスターを屋敷もろともきれいさっぱり亡き者にしてしまい、尚且つ騒ぎを聞きつけた町人たちが向かってくる状況である。
右膝が壊れてろくに動けもしないペイルライダーと、力を使い果たしただの少女に戻ってしまったタマモを抱えたジョンは、自らの処理能力の限界を迎えて、運よく生き残っていた蒸気自動車に飛び乗ったのだ。
「あーもう、ふざけんなよ。お尋ねもんだよお尋ねもん」
意地を張りあの場に留まったとして、町民からの糾弾に何と答えたら良かったというのか?
ウィンチェスターの屋敷に火薬があってそれが大爆発したと言いくるめるか?
そんな事は不可能だ、あの規模を消し飛ばすにはどれだけの火薬が必要なのか想像もつかないし、現場を見れば火薬によるものではないことは明らかだ。
万が一、町人全員がヤバい薬でもやってるとかで、その与太話を信じたとしても――
ジョンはチラリと後部座席に視線を向ける。そこには何やら難しい顔をして考え込んでいるペイルライダーの姿があった。
問題その2はこのインディアンの存在だ。
ウィンチェスターが妙な事を企んでいたおかげで、このインディアンがウィンチェスターの牧場荒らしの犯人だという事は町人全員が知っている。
別にそれは間違っていないのだが、ジョンには
(んなことしたら、間違いなく全部の責任がこいつに行くだろうしなー)
いくら6.5フィート|(約200㎝)の巨体だろうが、ただの人間にアレだけの事を起こせるはずがない。
だが、事態の鎮静を図るためにはとりあえずの
(だめだめ、やっぱとりあえず逃げて正解だ)
復讐が不発に終わって抜け殻になったペイルライダーなら、言われるがままに死への階段を昇るだろう。そんなことになったら、自分の目の前から1人の
そんな事を考えていたジョンの背中からポツリと言葉が流れてくる。
「オレは……感謝すべきなのだろうな」
「ん? あーあー、しとけしとけ」
なんか、マーガレットが奇跡的な言い訳を考えて町民たちを丸め込んでくれないかなー、などと無責任なことを考えていたジョンは上の空でそう言った。
「オマエは俺を引き上げてくれた」
「んー? あー、まーな」
何もかもがきれいさっぱり無くなった荒野で、茫然自失としていたペイルライダーを無理やり蒸気自動車に乗せたのはジョンであるが、勿論その原動力は
「オレは復讐さえ果たせれば、オレの命などどうなってもいいと思っていた」
「はっ。だったらもっとうまく立ち回れってんだ」
ジョンはカラカラとそう笑う。
自分の立場がどうなるかは分からないが、とりあえず
後は、このバカを
「……あれ?」
と、ジョンは小首をかしげる。
ジョンの当初の計画では――
①ペイルライダーがやらかす前にあれこれして思いとどまらせ彼が表に出る前に解決する
②
③好き! 抱いて!
と言うルートだったが、現状はこの有様である。
このままペイルライダーを
あれ? もしかして早まった? とジョンがない頭をフル回転させていると、ペイルライダーは静かにこう言った。
「オレたちは受けた仇も恩もけして忘れない。オマエに救われたこの命はオマエのために使い果たそう」
ペイルライダーはそう言った後、覚悟のこもった声でこう続けた。
「我が名は
炎のように瞳を燃やしてそう言ったハカンに向かって、ジョンはヘラヘラと笑った。
「はっはー。部族の宣誓って奴か? お堅いねぇ。んなもん適当でいいんだよ適当で」
「そう言うわけにはいかない。命を救われた限りは命をもって返さねばならない」
「まっ、そんならお前さんが気のすむようにやればいいさ」
ハカンはヘラヘラとそう笑うジョンに憤慨することもなく、こんどは助手席に座るタマモに対してこう言った。
「大いなる精霊、アナタの行為によってオレは直接的には一族の仇を取ることが出来なかった」
お? 文句か? 言ったれ言ったれ。と思いながら聞き耳を立てるジョンの耳に聞こえて来たのは、果たして真逆の事だった。
「だが、大いなる精霊よ、オレはアナタのおかげで自分の小ささと言うものを改めて知ることが出来た。
白人たちがオレたちに行った仕打ちをオレは決して忘れない。
だが、大いなる精霊よ、アナタのその圧倒的な力の前には、白人もオレたちも関係ない。アナタの力の前では皮肉なことに平等に無価値だ」
ハカンはそう言って皮肉気に笑ったあとこう続ける。
「我らは風と共に生き、木々の元で眠り、水の様に祈った。
大地と共に生きるサイクルの一つだった。
大いなる精霊――タマモ様。アナタは大いなる神秘が人の形を持ち現れたものだ。
オレは敬意と畏怖を持ち、アナタに感謝の言葉を贈ろう」
そう言って深々と頭を下げるハカンに――
「かーーーーかっかっかっ! よい! よいぞ! もっと
うーむ……。まっ! 正直、傾国の大妖・金毛白面九尾の狐である
かっかっかっ! うむ! まぁ
この大陸に来て以来の自分の扱いに心底不満を持っていたタマモは、自らに捧げられた純粋なる畏敬の念に上機嫌で運転席に座るジョンの背をバシバシと叩きながらこう言った。
「聞いたか下僕よ! 今のが! いーまーのーがっ!
よい! よいぞ! そこな貴様っ! 貴様を
「了解した、タマモ様。オレはアナタの下僕としてこの命を捧げよう」
ハカンがそう即答したことに、タマモは天井知らずに上機嫌になり、バンッバンッとジョンの背中を叩き続けてこう叫ぶ。
「よしっ! ひとまずはここからが始まりじゃっ! それでは
意気揚々と呵々大笑するタマモに、ジョンは苛立ちを隠さずに大声で叫ぶ。
「やっかましいわっ! さっきからバシバシバシバシ遠慮なく人の背中を叩きやがってッ!
お前とさえ出会わなければ俺はあの町で保安官|(っぽい事をダラダラしながら)で皆に尊敬されながら悠々自適に暮らしつつ
ジョンは肺が裏返るほどに心の底からの叫びを大空に響かせる。
それを聞いたタマモとハカンは一瞬顔を見合わせた後――
「いや、無理じゃろ。貴様の様なおちょこサイズの器の持ち主が酒池肉林じゃと? 馬鹿を言うでない、貴様のような小物を好いてくれるような
「友よ、それに命をかけるというのならば、オレも誓いにかけて助力しよう。だがそれは果て無く険しい道だと知れ、オマエには一族を守る力も知恵もない」
「お二人さん言葉の暴力って概念知ってますうっ⁉ 鉛玉ダース単位でぶち込まれるより痛いんですけどおっ⁉」
そうして、ギャーギャーと騒がしい壊れかけの蒸気自動車は朝日に向かって進んでいくのだった。
注:部族不明。
ちなみに他に火を意味するネイティブアメリカンの名前としては【KEEZHEEKONI:燃える火を意味する(シャイアン)】【ボダウェイ: 火を起こす人(?)】【NOOTAU: 「火」を意味する(アルゴンキン州)】【ROWTAG: 「火」を意味する(アルゴンキン州)】【パタ: 「火」を意味する(スー族)】などがあるそうです。
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