第6話 ロリコン・meet・ジャイアント

 父親によってレンジャー訓練も仕込まれていたジョンでなければ見逃していただろう。

 夕暮れ時をやや過ぎ、刻一刻と世界が闇に沈む中、かすかに漂う煙を見つけたジョンは、急ぎその場に駆け寄っていった。


(こんな所でキャンプか? まぁなんでもいい、助かったッ!)


 そうして岩を乗り越えたジョンの目に映ったのは――


(テントはテントだが、こりゃ……)


 そこにあったのは頂点から薄っすらと煙をくもらす円錐型のテントだった。

 それを見たジョンの脳裏にとある単語が思い浮かぶ。


(……6.5フィート(約200㎝))


 ウィンチェスターからの未確認情報、6.5フィート(約200㎝)のインディアン。

 その単語と、目の前にあるインディアン御用達の円錐型テントが直結する。


「……え? いや……え?」

「誰だ、オマエは」

「ひっ⁉」


 テントに意識が集中しきっていたジョンは、背後からかけられた声に思わず体を強張らせる。

 ギチギチと油の切れた機械のようにゆっくりと振り向いたジョンの目に映ったのは――


「ひっ⁉ ひぃいいいいい⁉」


 そこにいたのは今にも地平線の彼方へと沈み込む太陽のような赤い肌をした大男――6.5フィート(約200㎝)はあるインディアンの男だった。


「かっ! 勘弁してくれ! 俺は敵じゃない! 俺は無実だーー!」


 小心者のジョンは抵抗など全く考えず、初手で全力の謝罪をする。


「無実? オマエは何……」


 インディアンの男は、両手を上げてガタガタと震えるジョンをじろりと眺め、その視線はある一点でピタリと止まる。


「……オマエは」

「ひぃ! 堪忍! 堪忍してくれッ⁉」


 そのインディアンの鷹のような視線は、ジョンの胸に輝く星型のバッジに注がれていた。


「保安官ッ!」


 インディアンの男は問答無用とばかりに、すらりとナイフを抜き放つ。


「待って! 待って! 降参! 降参!」


 ヘタレの塊の様なジョンは、インディアンの男がナイフを貫くよりも早く岩陰へと隠れる。


「オマエ……やはり……」

「いや違う! 知らない! 俺は何も知らない!」

「何がだッ!」

「関係ない! 俺は無実だ!」

「だから何を言っている!」


 錯乱状態になっているジョンに話が通じないことにインディアンの男は苛立ちを募らせ――


「まぁいい、オマエの立場が何であれ、白人侵略者は俺の敵だ」


 インディアンの男はそう言ってゆっくりと腰を落とし臨戦態勢を取る。


「ひっ! くっ来るなッ!」


 それを見てジョンは銃を抜くが、体中がガタガタと大きく震えていた。

 一目でわかるヘタレっぷりに、インディアンの男はニヤリと笑う。


「いいだろう、撃ってみろ。ただし一撃で仕留めなければ、俺の牙はオマエの喉笛を食いちぎる」


 その言葉と共に、夕日を浴びてギラリと光る大ぶりのナイフ。

 ポジション的には、岩に隠れておりなおかつ銃を持っているジョンの方が圧倒的に有利な筈なのだが、今のジョンにそんな事を考えている余裕などなかった。

 ジョンの目に映るのは、大型の野生動物じみたインディアン怪物が、今にもこちらに向かって飛び掛かってくる状況だ。

 しなやかでみずみずしい長身をバネの様に折り畳み、10インチ(約25㎝)はある巨大なナイフを構える獣。

 自分に向けられる鋭い殺気と、その分厚く鈍い輝きの前では岩の一つでは全く安心が出来なかった。


「まっ待て! よっ要求はなんだ! 話し合おう! 我々には言葉があるじゃないか!」


 ジョンは恐怖感で空回りをし続ける頭で、何とか打開策を見つけようと試みる。

 もうすぐ日は沈む。そうなってしまえば、フィジカルで劣る自分が暗闇の中で6.5フィートの化け物から逃げられる可能性はゼロだろう。

 かといって今の状態で引き金を引いてもまともに当たるとは思えない、そもそもが命のやり取りなんてまっぴらごめん、血を見るなんて他人のものだっても気絶ものだ。


「要求……だ?」

「そっ! そうだ! 話し合おう! 俺はアンタの敵じゃない! バベルの試練において神は我々の言葉をバラバラにした! だが、神は我々のお互いを理解しあおうとする理性までは奪わなかった! 話し合おう! それが文明と言うものだ!」


 ジョンは聞きかじりの文言によって何とかけむに巻こうとする。

 だが、それは――


「知った事か、それはオマエたちの神の話だ。我らには関係ない」

「そうですよねすみません! 生意気言いましたぁあ!」


 夜の闇のようなどす黒い怒気に、ジョンは失禁しそうになりつつも平謝りする。


「神? 理性? 文明? オマエたちがその言葉と共に我らから奪ったもの、その全てを返してもらう!」


 その言葉と共に、赤き獣は跳躍した。

 6.5フィート(約200㎝)の巨体は重力など感じさせないような軽やかさでふわりと宙に舞い上がる。


「ひぃいいいいいいい⁉」


 ジョンは震える両手で銃を構えるが、涙でゆがむ視界とあいまって、自らに飛び掛かる死の影に唯々時間を無駄にするだけだった。


「ひっ!」


 赤き獣が牙を振るう。それをジョンは無様に転がりながら回避する。


「ひっ!」

「ふッ!」

「ひぅ⁉」

「ちッ!」

「あひゃっ⁉」

「くッ!」

「ふべらッ⁉」


 インディアンは巨体に見合わぬ速度と、巨体にふさわしい剛力をもってナイフを振るうが、ジョンは人外じみた奇妙な動きでことごとく回避していく。


「くっ! オマエ! オレを愚弄するのか!」

「知るかバカ! 俺は平和主義者なんだよ!」

「オマエが持っているものはなんだ! オマエたちはそれを使い我らから全てを奪った!」

「そんなん俺に言われても知らねぇよ⁉」

「撃て! 撃ってみろ!」

「やなこった! 俺が何を撃つかは俺が決めるッ!」

「オマエはッ!」


 インディアンは苛立ちを込めつつナイフを振るい続ける。

 だが、ジョンの極限の回避能力はそれを上回った。

 幼い頃から仕込まれてきた戦闘訓練により、ジョンの身体能力は一般人を凌駕している。だが、そんな些細な事よりも『痛いのは嫌・怖いのは嫌い』と言った野生の本能|(小動物)がジョンの体を動かしていた。

 インディアンピューマジョンネズミの戦いは小一時間繰り広げられ――


「くッ‼」

「ふべらッ⁉」


 両者は同時に膝をつく。

 インディアンの男は、巨体故に力と最高速度には優れているが、ジョンがちょこまかと逃げ回るために、数え切れないほどに急激な方向転換をしいられ、自らの巨体によって足を痛めたのだ。

 それに対してジョンと言えば、パニック状態のままに大げさに回避をし続けたため、スタミナが底をつき息も絶え絶えと言った状況だった。


「……オマエは」


 インディアンの男は歯を食いしばりつつ、痛みを訴える足で無理やりに立ち上がり、無様に地面に転がるジョンを見下ろした。


(コイツは最後まで引き金を引かなかった)


 力の差は歴然だった。

 自分の体に比べれば、この白人は大人と子供程度の差があるだろう。

 それを覆す簡単な手段である銃をその手に持ちながら、この男は最後までその引き金を引かなかった。


『俺が何を撃つかは俺が決める』


 インディアンの男にジョンの言葉が浮かび上がる。

 この白人は自分のナイフをかわし切った。

 この白人の戦いは戦士のそれではなかった。

 唯々、自分に向けられた危機に向かい、自分の肉体をもってかわし続けた。

 様々な思いがインディアンの男の胸に浮かぶ。


 などと、インディアンの男がじっと自分を眺めている視線を背中で感じ取りつつ、ジョンは地面に伏せたまま銃のグリップをしっかりと握りしめていた。

 息を荒げながらバタバタと無様に逃げ惑っていたために無駄遣いをしたスタミナは、ゴキブリクラスのしぶとさ短時間でほぼ回復した。

 撃てと言われれば、何時でも撃てる。

 相手は棒立ちでこっちを眺めているだけだ、動かない的など背中越しだろうが余裕で当てられる、そう言う風に|(無理やりに)仕込まれてきた。

 だが、自分は根っからのチキンである、ここから体を起こして撃とうと思っても引き金を引けるとは思えない。

 恐らく、否、確実に敵の視線により体がこわばり引き金を引くことは出来ないだろう。


(だったら、このまま……)


 敵の視線が怖ければ、それを見ないで撃てばいい。


(大丈夫、いける、やれる、いや、やらなきゃやられるんだ)


 鍋の底にへばりついたなけなしの勇気を、命の危機と言うヘラでこそぎ集めているジョンに、インディアンの男から声がかけられた。


「オマエ、名は、何という」


 ジョンは自分の狙いを悟られたと思い、ビクリと体を強張らせる。

 こうなってしまえばもう駄目だ、せっかくかき集めていた勇気が震える手からボロボロとこぼれ落ちていく。

 激しい運動で湿ったシャツに冷や汗が追加されていく。

 一か八か走って逃げるか?

 そんな風にジョンが考えていると、背後でどしりという音がした。

 ジョンが恐る恐る背後を振り向くと――


「オレの名は、ペイルライダーだ」


 地面に腰を下ろしたインディアンの男は皮肉気にそう名乗ったのだった。

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