第2話 艱難辛苦を乗り越えて

 玉藻の前この少女はアウトローたちに誘拐されていた少女!

 ジョンとマーガレットは町の住人達にそう言った言い訳を全力で押し通しつつ、その預かりは保安官であるジョンが受け持つと言いくるめた。

 まぁ基本的に町民の信頼度がゼロかつ、玉藻の前にナニカを吸われてヘロヘロ状態のジョンは蚊帳の外で主な交渉はマーガレットだけだったのだが。


 そう言わけで、3人は保安官事務所へと帰ってきたのであるが。


「うーむ」と浮かない顔をしている玉藻の前に対して、彼女の力の一端を垣間見たマーガレットが丁寧に話しかける。


「あのー。どうしたのですかタマモさん?」

「うむ。少々気がかりなことがあってじゃな」


 玉藻の前が感じた違和感とは、大した力を使ったわけでもないのに今の少女の体に戻ってしまったことだった。

 だが、これは明確な弱点であるが故に、そうそう他人に漏らす訳にはいかなかった。


わらわが大した事が出来ぬとわかったら、こ奴等何しでかしてくるかわからんからの)


 那須野原での一大決戦で人間たちの集団としての力は思い知っている。

 流石に、遠く海を隔てたこの国であのような事は起こるまいが、用心しておくに他はない。

 そう考えた玉藻の前は訳知り顔でこう言った。


「はっ! 貴様ら下等な人間がわらわの心情を慮ろうなど100年早い。あとタマモさんとは何じゃタマモさんとは」

「あっいっいえごめんなさいね、球物の苗? さんでしたっけ?」

「だーれが、球物じゃ、こうイントネーションが……はぁ、まぁええわい」


 西洋人にあれこれ説明するのがめんどくさくなった玉藻の前がおざなりにそう流した所に、彼女の背後からぺらぺらと声がかけられる。


「はっはー。そうだぞマーガレット。彼女はマイ・スイートハニーにしてマイ・エンジェル。夜空に輝く一等星にして、荒野に咲く一輪のバラ。駄肉に囲まれ苦しむ俺に――」


 延々とたわごとを続けるジョンを無視して、2人は話を続ける。


わらわの大望を果たすためには、わらわは何時までもこんな田舎町にこもっているわけにはいかぬ」

「それって、この町を出ていくってことですか!」

「むろんじゃ」


 そう胸を張る玉藻の前に、マーガレットは顔をほころばせる。

 どっからどう考えても厄介ごとの種でしかない東洋の邪悪な精霊が自分から出ていくと言っているのだ、歓迎しないわけはないのだったが……。


「という訳じゃ、支度せい下僕」

「……ん? 俺っすか?」


 唐突に話を振られてキョトンとした顔をするジョンを見て、マーガレットは重要な事を思い出す。


「あ……あのー。タマモさん? そう言えばこのバカを下僕にしたと言いましたが、それって具体的にはどんな事なんでしょうか?」

「は? そんなもん、こ奴の生殺与奪の権利は全てわらわの元に決まっておるではいなか?」


「「え?」」


 人外の存在からさらりと言われた「お前の命は俺のもの」発言に、人間2人の動きがピタリと止まる。


「は? そんなもん嫌ですが?」

「嫌もなにもあるか、契約はすでになされた後じゃ」


 きっぱりとそう言い切る玉藻の前にジョンの叫びが木霊する。


「ふざけんなーーーーーーー! こんな一方的な契約なんてあってたまるか! 俺は何の契約書にもサインなんてしてねぇぞ!」

「かかか。そんなもの知るか、じゃ。貴様はわらわに血をささげた、あの時に契約は完了した」


 ジョンが玉藻の前に衝突口付けした際、彼は玉藻の前の犬歯で口を切り、そこから出た彼の血が玉藻の前の口へと入った。

 自らの存在証明として血をささげると言う儀式は、洋の東西や怪異の種別を問わずにありふれた事である。


 ニタニタとそう笑う玉藻の前に、自分がそのきっかけを作ってしまったマーガレットは恐る恐るこう言った。


「あっあの。けど今すぐどうこうってわけじゃないんですよね?」


 話してみてわかったが、いや、こう言って話をすることが出来ると言う事で、この東洋の邪悪な精霊が知性ある存在であるという事は分かる。マーガレットはそこに一縷の望みをかけた。


「むろんじゃ。わらわは寛大だからの。そこの下僕がわらわに逆らわらない限り身の安全は保障してやろう」


 玉藻の前はカラカラとそう笑った後、ジョンに向けてこう言った。


「さて、それでは行くとするか」

「は? どこにです?」

「ええい。何度も言わせるでない。こんな田舎にこもっていてもわらわの大望は果たせぬゆえに、ここから出ていくと言っておるのじゃ」

「へ? いや無理ですよ? 俺、この町の保安官ですから」


 苛立つ玉藻の前にジョンはあっさりとそう返した。


阿呆あほうか! 貴様はわらわの下僕であるとさっき言ったばかりではないか!」

「アホはアンタだアンタ! 保安官である俺が勝手に持ち場を放棄して旅になんて出たら、今度は俺がアウトローになっちまう!」

「そんなもんしるか! わらわが元の力を取り戻した暁には貴様好みの女子おなごなど酒池肉林が如く取り揃えてやる! それまではそんな些事はほっておけい!」

「な……ぐ……」


 好みの女子による酒池肉林=めくるめくロリータパラダイスが脳裏に浮かんだジョンは、一瞬夢の世界に旅立ちかけるが、理性を総動員させて辛うじて現実世界に戻ってくる。


「だっ! だめだ! アウトローの身になるってのは合衆国この国を敵に回すという事だ! そんなの俺には無理だ! 忠誠心云々じゃなくて危険がヤバい!」

「なーに、その程度の事は杞憂と言うものじゃ、わらわの力なれば、その程度は恐れるに足らん」

「嘘だ! 騙されねぇぞ俺は! アンタが本来の力とやらを発揮できればそうかもしれねぇが、今のアンタはただの純情可憐容姿端麗完全無欠なだけの理想のロリだ! 今のアンタに合衆国を敵に回せるだけの力はない!」

「じゃからその力を取り戻すために旅に出ると言っておるんじゃろうが!」


 苛立ち怒号を飛ばす玉藻の前にジョンは血涙を流しながらこう叫ぶ。


「ふざけんなーーーーーーーッ‼

 何が悲しくて目の前に現れた理想のロリを駄肉の塊に戻すため合衆国を敵に回さなならねぇんだッ⁉」

「はっ⁉ はぁーー⁉ だっ駄肉? 何を言うのか貴様は! わらわこれでも傾国の美女なんですがー⁉」

「アホかー! 今のお前こそが究極で完璧な存在なんだよ!」

「やかましいわ! 貴様の特殊性癖になぞ知った事か! わらわが本来のわらわに戻る事は決定事項じゃ!」


 怒髪冠を衝く玉藻の前だが、そこでジョンは違和感に気が付く。


「……お前、何か隠し事してるよな?」

「……さて? なんの事かの?」


 そう言ってわざとらしくそっぽを向く玉藻の前に、ジョンは意地悪な顔をしてこう言った。


「お前が、本当に俺の生殺与奪権を握っているというのなら、こんな問答自体が無駄な筈だ。それにかかわらず、お前は俺を説得させようとしている」


 ジョンの指摘に、それを聞いていたマーガレットは目をしばたかせる。

 玉藻の前と言う超常の存在。それが垣間見せた圧倒的な力に目が曇っていたが、確かにジョンの言うことに一定の理があったからだ。


「……あんた、昔から妙な所に気が廻るわね」

「ったりめぇだ。こちとら自分の生き死にがかかってんだぞ」


 マーガレットの指摘に、ジョンは苦虫を嚙み潰したような顔をしてそう答え、その勢いのまま玉藻の前を問い詰める。

 懐疑心の視線がこもった本来ならば取るに足らない2人の人間の詰問に、玉藻の前はついに根を上げて、しょぼしょぼと白状したのである。



 ★



「え? つまりはお前、俺が居なきゃ何にも出来ないってこと?」


 玉藻の前が言った事はこうだった。

 ナスだかカボチャだかは知らないが、東洋の島国の辺境で打ち取られたタマモは岩に封印された。

 それが解けたのが1年ほど前、パカリと割れたふういんから抜け出たタマモは、自分の力の大部分が失われていることを自覚した。

 とは言え、かつてはいくつもの王朝を滅ぼした大妖怪|(自称)、その程度は魂食いをすれば一息付けるだろうと、ごつごつした岩山から人里の方へと向かって行き――


 即座に見つかった。

 恐らくは封印が解けた場合に備えての警報装置などがあったとは思われるが、村を襲う前に当代の陰陽師らしき女から弓矢でもって出迎えられた。


 復活したてで妖力なんてほどんど残ってない身は、生まれたばかりの子狐とさほど変わりない。

 今の状態で再度撃たれでもすれば、封印どころか消滅してしまう。


 だが、天はタマモに味方した。

 突如襲ってきた豪雨と暴風に、タマモを追ってきた陰陽師は行く手を阻まれる。

 折れた木の枝が矢のように飛んできて陰陽師の視界を奪った瞬間を見据えて、タマモは脱兎の如き勢いで逃げ出した。


 その後は、追手を警戒してなるべく派手な行動|(魂食い)を潜めつつ、現代についての情報収集を行った。

 どうやら今はタマモが暗躍した平安と呼ばれる時代からおよそ700年ほど時が過ぎているらしい。


 目に映るものは全てが新しかった。

 人々の暮らしや文化・技術・価値観。全てがあの頃とは変わっていた。


 さてどうするかと、タマモは思案した。

 あの闇が濃かった平安と違い、今の明治と呼ばれる時代は大分しっかりしていた。

 あの頃は、一晩で村が消えるとかはよくあること……とまでは行かないが、そんなことがあっても不思議ではない時代だった。

 闇がすぐ隣にあった平安の世と違い、西洋文化が浸食してきた明治の世において大規模な魂食いなどを行えば、平安の頃とはけた違いの情報伝達速度により即座に自らの居場所が察せられるだろう。


 時の流れをしみじみと感じつつ、ちょくちょくと農家からニワトリなどを盗み食いし、最低限の力を維持する。

 とは言え、それは本当に最低限の事だ。ニワトリ如きをいくら腹に収めても魂の情報量とでもいうものが違う。

 と、そぞろ歩いていると、ちょくちょくと陰陽師に襲われる。

 人食いをしていない以上、こちらの力は戻らないが、それでも現代についての知識を蓄える事は出来る。

 タマモは現代知識に基づく小細工や度重なる幸運に助けられながらも追手をかわして、行くあてのない旅を続けた。


 だがそれも品切れする。

 そして最後にたどり着いたのが新大陸向けの大型船だった。

 タマモはその荷物の中に紛れ込み、まんまと陰陽師からの逃亡に成功した。


 だが、閉鎖空間の船内において考えなしに人食いを行えば、その危険性は地上の比ではない。

 なにしろ今のタマモは見た目通りの幼女レベルの力しかないのだ。

 天下の大妖怪たる九尾の狐ともあるものが、ただの船員に袋叩きされて滅するという情けないことは避けなければならない。


 ゆえにタマモは新大陸に希望を込めて、ただひたすらに待つことを選択した。


 そして今回。

 長い逃亡生活で半死半生の状態かつ右も左も分からない土地で強引に結んだ契約は、彼女の想定以上にジョンと玉藻の前を結びつけたのだ。

 今の彼女はジョンを通してしか、大地の力|(玉藻の前風に言えば龍脈)を吸い上げる事が出来ず、かつそれも水が合わないのかやたらめったら効率が悪い。


「……なるほど。それで彼らを見逃したんですね」


 得心言ったようにマーガレットがそう呟く。

 あの時、数人ではあるが逃げ遅れたアウトロー達はいた、だが自称邪悪の権化な玉藻の前はそれらのご馳走に手を出すことが無かったのだ。


「そうじゃ、業腹ながら、こ奴以外の人間をどれだけ食おうが霞を食っているようなものじゃ」


 憎々しくそう言う玉藻の前に、2人はほっと胸をなでおろす。

 もし玉藻の前の契約が彼女の想定通り行っていたならば、今頃この町の住人たちは皆玉藻の前の胃袋の中だっただろうからだ。


 少女の形をした災厄。

 だが、現状ではその被害は極めて局所的に抑える事が出来る。

 そう考えたマーガレットは満面の笑みでジョンに向かってこう言った。


「良かったわねジョン! 貴方が夢にまで見た理想の少女よ! 最後まであなたが面倒を見なさい!」

「ふざけんな! こんなダイナマイト取り扱えるか!」

「うるさいわね! アンタが犠牲にならなきゃこの町、果てはこの国がやばいことになるのよ!」

「アホか! なおさらだ! いくら見た目が究極完璧完全理想のロリだったとしても人食いの化け物なんて俺の手に収まるか!」


 ギャーギャーと口論を始める2人を前に、おいていかれた玉藻の前は呆れた視線でそれを眺める。


(ふむふむ。どうやらあの事には気が付かれてないようじゃの)


 玉藻の前は心の中でそう呟く。

 彼女が2人に言った事は2つ。

 1つは、契約が彼女の想定以上に深く繋がってしまったという事。

 1つは、ジョンを通してでしか龍脈の力を効果的に扱えないという事。


 その2つは、どちらも間違ってはいない。

 だが、2人に言っていない事が1つあった。


(このジョンとか言う愚か者がわらわとこの国とを結ぶ要石となってしまった。こ奴が死ねばわらわはあっという間に消滅してしまいかねん)


 日本と言う国から追われ、半死半生の身で米国行きの船に密航し、偶然が重なって結んだ契約。

 その結果、一応は息を吹き返したものの、玉藻の前の現状としては今も半死半生の時とさほど変わりない。


(なんとかして、こ奴抜きでも龍脈の力を吸い上げる事が出来るようにならねば……)


 口論する2人を他所に、玉藻の前はそう思いを巡らせるのであった。

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