【ショートショート】とうめし

佐藤佑樹

とうめし

 まず湯を沸かすところから始まる。野外用の小さなコンロでは時間がかかる。その間に二本はビールが空く。水面がゆらゆらと揺れ始めるころに昆布を取り出す。代わり花鰹を山のように盛る。兄の料理をするところだなんて初めて見た。

 兄弟仲が悪いわけでなく、ただ兄という存在が少し苦手だった。歳が十は離れているからか、何でもそつなくこなす兄に萎縮するからか。兄弟仲が悪いわけでない。しかし会話が多いほうでもない。や、それは我が家ではみなそうか。いつも母ばかりが口を開き父も兄も寡黙にあった。

 椀に湯豆腐を盛りつけ差し出してくれる。湯気が助走をつけ空中へと飛び上がる。せっかくのウルフムーンだからとベランダでの二人きりを提案したのは兄の方だった。

 就職せず上京すると切り出した元旦、父は「もう二度と帰ってくるな」とだけ発し、母は泣いた。こんな時にまで口数の少ない我が父に憮然としながらあり、兄だけが「部屋を借りるんだろう。保証人には俺がなってやる。ピアノか? 頑張ってこい」と言葉をくれた。

 たゆたう蒸気の向こうで星々に目をやる、出発前夜のこの兄の姿だけは目に張り付いて離れない。兄はこの四年後、事故で逝く。


 音楽をやれたのだから良かったのか。けれど腕一本での生計は立てられなかった。上京のきっかけであったナイトクラブでの演奏は、更新されず翌年、契約が打ち切られた。結婚式場からの依頼が入れどこちらは単発、もっぱら週末のみであった。仕事の無い日にはコンビニエンスストアでレジを打った。派遣会社にも登録し工事現場で旗を振った。家賃の捻出に奔走する毎日が続きそのストレスは演奏に向いた。負の楽想ばかりが肥大化する状況に渦中の俺は気づいていなかった。やがて式場からの召喚は数を減らしていく。

 月に数度はクラブハウスに赴く。シンセサイザーに持ち替えクラブジャズ連中と合わせるのは楽しかったが、これは人脈を拡げる以上のものにはならなかった。やがて何人かは郷里に帰った。俺より一回り二回りは上の年齢もちらほらとあり、通行止め現場の見張り役としてぼぅっと立ち尽くす夜やなんか、俺も芽の出ぬまま老いていくのでないかと、その考えを振り払うようまた楽想を練った。

 果たして仲間内で出世した奴なんかいたろうか。アイドルのバックバンドに選ばれた先輩は一年も経たず戻ってきた。CM曲の作成を依頼された仲間はその一度だけを武勇伝に、今日も新入り相手に管を巻く。ナイトクラブも結婚式場も、とかく音楽は突き抜けた腕が無ければあとは外見の勝負となる。いつも同じジャケットを着回す自分がホステスからどのように言われていたかは知っている。イケメンは早々に囲われた。乳のデカい同期はアップライトピアノを買ってもらったとにやり笑って見せた。しかし変わりないじゃないか。同じく音楽をやれているだけだ。音楽で食えているわけではない。

 月に一度、互いの傷を舐め合うよう飲み会が開かれた。未明の繁華街は死屍累々、道端に横臥する阿呆どもを撫ぜビル風が荒び、暖を取る代わりにも俺らは安酒を流し込んで騒いだ。第三のビールの生だなんてこうでも無ければ知らなかったろう。屑肉が混ぜ込まれたもやし炒めでも「久々の肉かもしんねぇ」などと有り難がる俺らは、たぶん同世代の奴らがあくせくとキャリアアップに努める現状から目を逸らしたかっただけなのだと思う。

「飲み会でももやしかよぉ。もう見飽きたぜもやしはさぁ」

「もやし様でしょう。うちらもやし様なかったらとっくに実家帰ってんじゃん」

「あと納豆と豆腐ね」

「俺だいたいとうめしだわ。スーパーから牛脂パクって肉食った気になんの」

「え、なんそれ」

「豆腐をさ、まずレンジでチンして水分出すんよ。そんで牛脂で炒めてさ」

「ちょい待てって。やっぱとうめしならセンプリチェにだろ。カップうどんの出汁で煮込んで七味かけて食うんよ」

「え、そもトーメシって何」

「こっちのほうだけなんだっけ。とうめしってのはね、味染み豆腐を乗っけた丼ご飯のこと」

 豆腐なら醤油をかけて食った方が美味いに決まっている。飯にかけるなら味噌で炒めたもやしの方が幾分かマシだろう。

 やたら味の薄いビールを流し込みながらこの日の宴会には馴染めずいた。自分達の惨めさを再確認して何が楽しいというのか。けれど斜に構えていたってこの俺も、結局は同類たる落ちこぼれたちを見て安堵したい気持ちがあるからこそこの場にいるのだろう。

 酸っぱい油の匂いに酔客の喧騒が混じり、湯にでも浸かったかのごとく手足の先がじんわりと温もる。

 四年ぶりの実家から訃報が入ったのは、酩酊した頭で何度目かのお代わりを頼んだまさにこの時だった。


 涙は一滴たりとも流れなかった。傍らで母が泣き通しであったからか、式の手配に奔走されたからか。自身もこの家系の一員であるのだということを意識の片隅で再確認した。来る客来る客が「ご愁傷様です」などと唱え、俺は人生で初めて「痛み入ります」だなんて言葉を口にした。

 兄の会社から何らかのお金が出るということで父が対応していた。兄の上司を名乗る喪服の男は立派な社会人に見えた。や、おかしな感想だ。けれどその男の所作は業務に基づいてのものに見え、それに応じる父の振る舞いもその時だけはビジネスライクであった。馬鹿にしたわけじゃない。俺には持ち合わせのない身状だった。

 気づけば勘当のことは無かったことになっていた。父も消沈の母を慮り口に出さないだけだったのだろう。東京へは戻らぬまま、しかし家には居づらく諸手続きを買って出た。親に遺族年金が出るだなんて初めて知ったし、昨今の銀行や役所は予約が必須なのだということもこの歳になってまで知らぬままいた。どの場でも職員は立ち上がり「お悔やみ申し上げます」と頭を下げ、そのたびに俺はイタミイリマスと口にした。

 兄の死に様は少し話題となりニュース番組でも扱われた。テレビの向こうのコメンテーターはシンタンサムカラシメル所業でありなどと評し、一時だけ世間の関心事であった。伝え聞いた状況については語りたくない。その時の兄は涙を流したろうか。

 現場には花が手向けられ、一角には飲食物まで供えられてあった。毎日赴いた。毎日手を合わせた。何を祈るべきかも見つからぬまま、だけれどそうすべきだとは感じてただ合掌した。初めのうちは付近の方も共に祈りをくださった。俺は一人一人に頭を垂れた。そうすることしかできなかった。黙祷を捧げるでもない記者たちがそんな俺の姿を写しては去って行く。

 このお供物の山は遺族が撤去せねばならぬのだという。

 世間からは数週間ぽっちで見向きもされなくなった。ようやく山菜が新芽を覗かす時季、電線の風を切る音に包まれながら、あの雑然とあった街の様相を思い浮かべる。この先誰かは大成するだろうか。これからも俺らは笑われて生きるままだろうか。未明のビル風はびうびうと荒ぶだろうか。

 今では顔馴染となったご近所さんが申し訳なさそうに口を開く。

「子供がお供物食べようとしよってじゃけん。本当に申し訳ないねぇ。散らかってきよるじゃろう。片付けてくれんかねぇ」

 惨めだ。

 借りてきた軽トラックに盛り物を放り投げる際にはまだ平静だった。掃き掃除をして水を撒く際にもまだ変わらずいつもの自分であった。庭の水栓パンにお供えの酒を流し込み、饐えた臭いと町内放送のドヴォルザーク第九番とに包まれた時、指先がかじかみ動かなくなった。どこで手折られたか、お供えに紛れあった椿の赤が積み上げられたゴミ袋の中からちらり覗いていた。

 温湯で手を温めれば湯気は渦を巻きながら立ち昇る。

 俺は幾日ぶりにピアノと向き合った。何年来かの葬送曲だった。揶揄する者もなければ嘲笑をくれる酔客もなく、俺は一心不乱に鍵盤を叩いた。俺にはもう華やかな曲は弾けぬかもしれない。あの街には戻らぬまま燃え尽きるのかもしれない。しかして、もうこれで終えても良い。星々に目をやる兄の横顔を手繰り寄せるべく弔辞の代わりに腕を振るった。凝り固まる指をほぐすよう打ち付けた変ロ短調は、短い音楽人生の中で格別の響きをもって空間に消えた。

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