エピローグ
第22話 新たな日常へ
一週間後。
キルシュは国外追放となった。
国民は彼が全ての元凶とは知らない。裏で糸を操って国を動かしていたのだが、民を苦しめた罪はあまりに重い。拘束の後、西の海に流された。
意外にもキルシュは抵抗しなかった。
アインに敗れたのがよほどショックだったようだ。感情も抜け落ち、悄然とした面持ちのまま、広大な海原に放たれていった。
西の海には幾つか孤島があり、数日も漂流すればどこかの島に着くだろう。せめてもの温情である。
だとしても、今まで誰かに頼りきってきただけの少年に生活能力があるのか疑問だが、どの道今後は厳しい人生を送ることになるだろう。
そして、もう一人。
アレグリフ三世は城の地下に収監。こちらも大人しく牢に入り、静かに過ごしている。問題なのは妻の方で、夫と息子を一気に失ったことで心身に支障をきたし寝込んでいる。
ザットやキルシュの取り巻きたちも一緒だ。まとめて牢屋送りにされ、キルシュの息がかかった兵士たちも軒並み城を追い出されて行った。
そうした諸々の事後処理をしたのが、ラクフォードだった。
彼は宣言通り、新たな王に即位。新体制に向けて、悪い毒を軒並み排除していくことから始めた。
ウィンザルトという国は文字通り、一からのスタートとなった。
ラクフォードが王として国を動かすにあたって健康面の不安が懸念されていたが、その問題を解決したのがフーリエットとの同盟だった。
他国との信頼回復。
フーリエットは商業で発展してきた町だ。ウィンザルト地方のみで採取される果物や野菜、特産物を卸すことを交渉材料に同盟を結んだのだ。そうして、定期的に自身の病気に効く特効薬を送ってもらう。これまで自給自足の面が強かったウィンザルトにも、多くの行商人が溢れかえるだろう。
さらには、武芸や魔法が他国よりも優れていることから学校なんかも造ることを考えているらしい。
昔の穏やかで平和なウィンザルトを取り戻しつつ、さらなる発展も視野に入れているようだ。
――そして、アインはというと。
残った少人数の村人や魔物たちと共にレネット村を復興させ、細々と暮らしていこうと思っていた。そう、これからは平穏無事に。何もかも終わったのだから。
の、はずだったのだが。
やはり、アインの思い描いた人生は上手くいかないようで。
ラクフォードとフーリエット王、この両者の強い勧めもあってレネット村周辺の領主として二国間の架け橋のような役目を負うことになった。
交通の便を良くするため、人畜無害な魔物たちをアインが引き取る。ブラッドイーターの力によって従者となった魔物たちに、道を開拓するための工事を行ったのだ。働き者の魔物たちによって綺麗に舗装され、より安心して行き来が出来るようになった。
その見返りが、ウィンザルトとフーリエットから人員を借りること。さすがに建築技術は人の知識に加えて腕の立つ職人がいる。その協力もあって、レネット村の再建も大幅にスピードが上がった。
レネット村が増々魔物色の強い村として噂が広まり、その統治をアインが任せられる。危険視する声も上がったが、そこはアインを含めたラクフォードとフーリエット王の会談で同盟が結ばれた。
否応なしに、アインは魔物を統べる領主として君臨することになってしまったのである。
そうこうしている間に、一ヵ月が経とうとしていた。
アインは自宅で事務処理を済ませ、外に出た。
領主というのは案外やることが多い。特に、魔物たちに正式な村の住人とするために戸籍を用意してやらなければならない。魔物の数もかなり増えてしまったため、作成しなければならない書類が山ほどあった。
だが、これで魔物たちは生きる権利を得ることが出来るのだ。金儲けのために魔物を狩るような輩の餌食になることはないだろう。
「ふぁ、あ~あ」
大きな欠伸をして、アインは大きく伸びをした。
天高く昇る太陽は、お昼を示していた。
夜明け前に始めた書類整理をようやく終え、スッキリとした気持ちで浴びる日差しは心地よかった。悲鳴を上げる関節を鳴らしながら、アインは村を見渡す。
(にしても、本当に増えたよな……)
昼食時間とあって、外は賑やかだった。
数人の生き残った村人たちが魔物たちにご飯を振舞っている。一角獣やオークが一心不乱に食べている様は、見ていてほっこりする。木陰ではヴァルシオンがコボルトたちと一緒に昼寝の真っ最中。お腹が満たされて眠くなったらしい。
「でも、これで良かったんだよな」
彼等の幸せそうな表情を見ていると、アインの胸も自然と温かくなる。
「マルナさんも喜んでくれてるかな……」
太陽に手をかざし、目を細める。
追放された当初は、まさかこんな人生が待っているとは思いもしなかった。無能であり、魔物を愛する心。特異な性質として虐げられた挙句、全てを失った。だが、逆にそれが自分の運命を切り開くことにもなったのだ。
「おーい! アイン様―!」
村の外から、誰かがこちらに向かって手を振っている。大きなリュックを重そうに背負う男だった。人懐っこい笑みを浮かべながらやってきたのは、友人のシドニーだった。
「シドニー! 久しぶりだね!」
「どうもご無沙汰してます、アイン様!」
「元気そうだね。今はここら辺を回っているのかい?」
「いえいえ、違いますよ。今回は特別な用件でして」
「特別な用件?」
首をかしげるアインに、シドニーはリュックを地面に下ろす。中をまさぐって取り出したのは一枚の封筒だった。シドニーは「どうぞ、アイン様」と封筒を差し出す。
「手紙? 俺に?」
「ラクフォード様から頼まれましてね。これをアイン様に渡してくれと」
「兄上から?」
ますます怪訝な表情になってアインは封筒を破り、手紙を広げた。
『親愛なる弟へ』という見出しから始まる文章を、アインはじっくり目を通していく。
『突然の手紙、さぞ驚いていることだろう。私も、こうして筆を取るのは久しぶりのことで指が震えているよ。なにせ何年かぶりに身体を動かすんだ、いやはや笑えるだろう?』
自虐混じりの冗談に、アインの頬がほころぶ。
『この度の同盟の締結には、国を代表して感謝する。立場上、もう兄弟として一緒にはいられないのは残念だが、すっかり一人前の男の顔をしたお前を見ることができて、素直に嬉しく思ったのだ。色々あったのだな』
「兄上……」
少しだけ胸が熱くなる。
『さて、話は変わるが、めでたく領主となったお前にプレゼントを贈りたいと思う。今まで兄として何もしてやれなかったせめてもの償いに受け取ってほしい』
「――プレゼント?」
思わず口にして、アインはシドニーに視線を移す。
彼の方はというと、心当たりはありませんとばかりに肩をすくめた。シドニーがラクフォードからの贈り物を預かっていないとなると、ますます不思議になる。
『……というか、これは私の思いつきではなくてな。何というか……、うん。押し切られた。いや、止められなかったんだ。有無を言わない迫力があってな。お前とキルシュとの戦い以上の凄みが、アイツにはあった』
眉根を寄せるアイン。
なにやら様子がおかしくなってきた文面に、嫌な予感がしてたまらない。
そして、手紙の締め括りはこう綴られていた。
『こちらにとっては魔物以上の難敵だが、お前なら簡単に手懐けられるだろう。――お前の未来に幸多からんことを』
読み終えると同時に、何やら音が聞こえてきた。
馬車だ。二頭の馬が砂煙を上げらながら、ものすごい速度でまっすぐ村の方に向かってくる。
「あれは……、懐かしいですね。ウィンザルト王家の馬車だ」
さすが元・御者だったシドニーである。遠目からでも判別つくようだ。
アインが使っていたのはシンプルな馬車だったが、こちらは豪華なキャリッジだ。
それが一体誰のものなのか。徐々に記憶が思い出され、アインの頬が引きつる。
馬車から降りてきたのは、凝った意匠ではないものの高級な生地のドレスを身に纏った黒髪の女性だった。
アインと雰囲気が良く似ている。それもそのはず、その女性はアインの姉、フリーシアだった。
呆然とするアイン。お淑やかな仕草でドレスの裾を直したフリーシアはアインを見つけたからか、ぱぁっと笑顔の花を咲かせた。そして、勢いよく彼の胸に飛びついた。
「会いたかったわ、アイン!!」
「あ、姉上!?」
身体が潰れそうなほど強く抱き締めてくる姉に、アインは困惑を示した。見る限り、付き人はいない。フリーシア一人でこんな遠いところまで来たようである。代わりに、大量の荷物が馬車には積まれてあった。
「さみしかったわ、アイン。ずっとずっと離れ離れで……。本当に心配したのよ!」
「姉上、く、苦しいです……」
「でも城に戻ってきてくれたとき、安心したと同時にすごく怖かった。だって、アインがアインじゃなくなった気がしたから。でも仕方がなかったのよね。変わらないといけなかったのよね。私たちの国を救うには、ああするしかなかったって。でも……、ううん。とにかく元気そうでよかったわ」
「俺も会えて嬉しいんですけど……。って、ちょっと待って!」
思いの丈をぶつけるフリーシアをどうにか引きはがし、アインは咳き込みながら問いただす。
「どうしてこんなところにまで来たんです!?」
「それはもちろん、アインに会うためよ」
「いや、そうじゃなくてですね」
「姉が弟に会うのに理由が必要?」
つぶらな瞳で首をかしげるフリーシアに、アインは項垂れる。どうにか話を進めるべく、アインは兄からの手紙をフリーシアに見せた。
「これどういうことか、説明してくれる? 贈り物ってまさか……そういう意味じゃないよね?」
「さすが私のアイン、天才だわ。そう、今日から私ここで暮らすことにしたの」
「おいおい、嘘でしょ!」
嘆きすら含めた叫びが村中に響く。
フリーシアには何年も前から婚姻の話が出ていた。どこの国との関係をより強固にするのか、要は政略結婚なのだが当時の王アレグリフ三世も決めかねていた。
ただ、キルシュの横暴な振る舞いによって縁談の話は白紙状態。他国との関係はぶち壊しだ。
その孤立したウィンザルトを、叩き潰したのがアインだった。
そして今。
自由を手にした、いや手にしてしまったフリーシアは晴れて溺愛する弟のところへ単身やってきたのだ。
――つまり、そういうことである。
「私は人身御供。アインがいるこの地とウィンザルトを繋ぐ生贄。同盟が永遠に続くため、捧げられたの!」
「その表現はどうかと思うよ! それに、なんか嫌々来たみたいに言ってるけど、絶対自分の意志だよね!?」
「さあ、婚姻の儀を始めましょう! そして跡継ぎを! さあ、さあ!」
「俺たちは姉弟だから! ってか姉上、目が、目が怖い!」
血走った目でにじり寄るフリーシア。喚くアインがじりじりと後ずさっていると、彼の背中に声がかかった。
「なにやら妾を差し置いて、面白そうな話をしておるではないか。ん〜? あ・る・じ・ど・の?」
艶やかさを含めた、悪戯っぽい声色。驚いてアインが振り返ると、そこには大きな荷物を抱えたオルタナが立っていた。
「オルタナ! 帰ってきたのか」
自治領を得て生活が忙しくなったアインのため、オルタナは専属秘書の役職に就いていた。アインの仕事を見守る傍ら、外交を円滑に運ぶために各地を飛んで回る。まだ社会的な経験の少ないアインにとっては優秀な交渉役だった。
現地のおみやげでも買ってきたのか、荷物を下ろして肩を回すオルタナ。アインとフリーシアを交互に見つめながら、うんうんと、勝手に納得したように何度も頷く。
「世継ぎの問題は国を任せられる者にとっては一番重要と言っていい。優秀な血統を残さねばならんからの。そして、その伴侶選びもまた最重要事項じゃ」
「は? いや、オルタナ。これは違ってだな」
「じゃが、一番の嫁候補であるこの妾を無視して話を進めんで欲しいよのぉ!」
「お前まで本気になるな!」
胸を張りながら、高らかに叫ぶオルタナ。
尊大に自慢するオルタナを、フリーシアが目を吊り上げて指をさす。
「貴女ね! 私のアインをたぶらかしたのは!」
オルタナに詰め寄りながら、挑戦的に睨みつける。
「アインを目覚めさせてくれたことには感謝するわ。それに、兄上を助けるために力を貸してくれたことも」
オルタナがラクフォードに薬を渡す計画を、唯一事前に知らされていたのがフリーシアだった。アレグリフ三世の変貌とキルシュの行いに心を痛めていた彼女は喜んで計画に協力してくれていた。
「だけど、それとこれとは話が別! アインの正妻の座だけは渡せないわ!」
「どうしてそうなるんだ、姉上!?」
「いいのぉ! 嫌いじゃないぞ、そのノリ!」
「オルタナも受けて立つんじゃぁない!」
火花を散らす二人に割って入ってアインは必死に止めようとするが、全く聞く耳を待たない両者。性格はかなり違うが、根本的な部分は似ているのかもしれない。
「では、どちらが主殿にふさわしいか、己の拳で決めようではないか!!」
「上等じゃない! アイン、待っていて。私が必ず勝って、これからの人生添い遂げてみせるわ!」
同時に距離を取った二人は、瞬時に魔力を解放。
手加減する気などないオルタナの異常な魔力量に匹敵する魔力を、フリーシアも放つ。本気のフリーシアをアインも見たことは無く、驚愕するアイン。実のところ、アレグリフ家でもっとも魔法の才に優れているのは彼女だったのかもしれないと、戦慄する。
「お願いだから、やめてくれ二人とも!!」
このままではせっかく復興が進んできたこの土地が、またしても破壊されてしまうと驚異に感じてアインは必死に叫ぶ。
が、すでに遅し。土地どころか、大陸すら吹き飛んでしまうほどの魔力が、雲を突き抜けて立ち昇っている。村に住む魔物たちも怯えて逃げ惑う始末である。
「ああ、もう勘弁してくれ……」
アインは天を仰ぐ。
もっと静かに暮らしていたいだけなのに。
届かない願いだと理解しながら、アインは運命を受け入れることにする。
そう、自身を変えてくれたこの血と共に。
ブラッドイーター。
その力がまた歴史に埋もれるのかどうか、それを知るのはもっと先――。
少年の苦難の人生はまだまだ始まったばかりである――。
ブラッドイーター ~追放王子のレジスタンス~ 如月誠 @makoto-kisaragi
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