5 講中
講中とは隣保が2つ一緒になった組織だ。
自治会では順番に役割が振り当てられ、祭りの後方支援をしたり、とんどの組み立てを子ども会と一緒に実施したりするのだが。
真紀の講中は、今年なんの役割もなかったはずだ。
(一体、なんの打ち合わせ会なのかしら)
首を傾げながらも鈴木に尋ねると、『さあ。なにかしらねぇ』と彼女からも明確な回答は得られなかった。
例にもれず夫の信二は真紀に押し付けてきたので、真紀は鈴木と参加しようと思ったのに、『ごめん、その日はどうしても都合が悪くて……。うちは夫が参加することになった』と無料メッセージアプリで連絡が来た。
仕方なく夜の8時にひとり、公会堂を訪れた真紀だが、広間のガラス障子を開けて「あれ?」と思った。
広間は畳敷きだ。
そこに足の短い長テーブルをコの字型に並べ、隣保長2人がコの空いている部分に座ってなにやら話をしていた。
そこが上座であり、真紀の定位置である下座はガラス障子の一番近く。
だが今日は見知らぬ若い男女が末席に座っていた。
扉の開閉音に気付いたのだろう。男女は申し合わせたように同時に振り返り、真紀を見る。
女はこれといって特徴がないように見えた。
黒いパンツに白のブラウスを着ている。髪は無造作にひとまとめにされていて、清潔感はあるが、お洒落な感じには見えない。
対して男は真逆だ。
真紀の年でもときめきそうな美青年であり、着ている服も隙が無い。カジュアルに見えるが絶対に高いことはわかった。
「こんばんは」
男が微笑む。真紀がどぎまぎしながら会釈をすると、女が自分の隣の座布団を示して「どうぞ」と言う。そのときはじめて真紀は不思議な感覚にとらわれた。なぜだか彼女に惹かれる。
「どうも……」
男のように魅力的な容姿を持っているわけではないのに、と内心で首を傾げながらも勧められるままに座布団に座ると、すでに着席していた顔見知りの高齢者たちにも頭を下げる。
長テーブルの上に無造作に置かれている更紙のレジュメを見た。
そこには「年間行事の変更点について」と書かれており、祭りの前準備が必要になったことが書かれていた。
そして最後に。
「ご紹介」とだけ書かれていたが、それがこの男女二人のことだと知れた。
(あ! ひょっとして引っ越ししてきた人なのかしら!)
真紀の脳内でそれはひとつの答えを導き出す。
『挨拶がまだのようだから』『こちらから来た』
あの二人組。
いまだに毎晩やって来てはインターフォンを鳴らすあいつらは、実はこの男女二人と山下家を間違えているのではないだろうか。
だとしたらとんだとばっちりだ。
彼らに非はないと知りつつ、なんだか恨めし気な目を隣の女に向けたとき、隣保長が咳ばらいをした。
「じゃあ定刻になったので始めます。本日は出にくい時間帯にお集まりいただき、ありがとうございました」
隣保長はほぼ定型文の挨拶をしたあと、レジュメに沿って説明を始めた。
主に祭り前の掃除のことだ。
先日、用水路の掃除を行ったが想像以上にひどかったこと。そのため、祭り前には掃除を兼ねて道具や器具に不具合がないかどうか確認したいとのことだった。
「うちの講中では照明等の配線確認を指示されたんだわ。日比野商店さん、お願いできるかね」
「あいよ」
「じゃあ、高所もあるから。数人手伝ってもらって……」
議題はさくさくと進み、真紀は鈴木にも教えてあげられるように紙にメモを書き連ねていく。見たところご夫君は参加しているようだが、隣の高齢男性に常になにか話しかけられていてメモするどころではなさそうだからだ。
「さて。じゃあ決まったことは改めて回覧板で回すとして……。最後に、ご紹介したいおふたりがいます」
隣保長ふたりがそろって坐り直す。それを端緒として皆が姿勢を正すので、なんとなく真紀もそれに倣った。
「もうすでにご存じの方もいらっしゃると思いますが、加藤議員にご紹介いただいた水地彰良さんと、それから彼女の補佐をなさっている織部氷魚さんです。アドバイザーとして数日前からこの地区に来て、住んでもらっています」
女の方が「水地です」と頭を下げ、男の方が「織部です」とにこやかに会釈をした。
「鈴木さんとこのさっちゃんが務めている会計士の先生が加藤議員と懇意でね」
隣保長の説明に、「鈴木って?」「ほら、江島の」「ああ、あのさっちゃんか」と誰かが話をしていた。鈴木というより旧姓の江島の方が通りがいいのかもしれない。
「それで今回のことを相談したところ、快くおふたりを紹介してくださったということで……。いやあ、こんな辺鄙なところに申し訳ありません。宴会にもつきあっていただきまして」
「とんでもない。先日のお酒、大変美味しくいただきました。なあ、ヒオ」
アキラが恐縮すると、ヒオも笑顔で答えた。
「お酒も食事も本当においしくて。新婚旅行気分です」
一瞬会場がしんと静まり、そのあと探るような視線に耐えかねたのか、アキラが苦虫をかみつぶしたような顔で説明した。
「いえ、あの……。ふたりで暮らしてはいますがそういった関係では」
「そういった関係になろうと思っているのにガードが堅いんです」
「ヒオっ」
アキラが叱責するが、ヒオは相変わらずにこにこ笑顔でご機嫌のようだ。
咄嗟にまじまじと真紀はふたりの顔を見比べてしまった。
失礼だと思ったものの『なにがどうなったらこのふたりが恋愛をするんだろう』と驚いたのは確かだ。
「朝から晩まで彼女と一緒なので口説きたい放題なんですが、ぜんぜんうまくいかないんです」
あけすけに言うヒオをアキラは睨みつけたが、彼の隣に座っている高齢男性が「がははは」と大声をあげてバチンと背を叩いた。
「そうかい、兄ちゃんそうだったのかい! もっと早く聞いていたらこの前の飲み会でアドバイスしてやったのによう!」
「いまからでもぜひお聞きしたいです」
「押せ! とにかく押しの一手だ! ちょっと強引ぐらいがいいんだよ、男はよう! なんならこう、力づくてもな⁉」
「残念ながら腕力では彼女のほうが強くて」
おいおい、なんだよそれと公会堂からは残念なため息がもれる。
「だったら飲ませろ! どんどん飲ませて……」
「お酒も彼女のほうが強くて。先日も酔いつぶれたのはぼくのほうでした」
「ったく世の中どうなってんだ! 気合がたらん! 根性だ!」
「そのまま結婚してここに住めよ! ここさ、保育所もタダだし、待機児童いないし、給食費も無料。医療費も高校卒業までタダだぞ! がんがんわしらの税金使って子どもを育ててくれ!」
だが公会堂に集まった高齢者たちがそろってため息を吐いた。
「しかし……いまはなんだもう……結婚しねぇからな。若い奴が」
「子育てが大変なら手伝うんだがなぁ」
「うちなんて、二次元の方がいいとか平気で言うぞ」
「それに比べてあんた、顔は女みてぇのにガッツがある! いいぞ! あきらめるんじゃない!」
「わしがとっておきの技を教えてやろう! 百発百中で女が落ちるぞ!」
それが呼び水になって「わしの若かったころは」とそれぞれの武勇伝というか真紀には聞くに堪えない話になり始めた。
「……お話が終わったのなら、私はこれで」
長テーブルの更紙を手に取り、小声でそう言って広間を出た。
下足場で靴を履いていると、なにがそんなに可笑しいのか会場からは大爆笑の声が漏れている。
(だからおっさんって嫌なのよ)
自分もおばさんの部類だが、あの下世話な感じが大嫌いだ。
ムカムカしながら靴を履いていると、背後でカラカラと戸車が回る音がした。
目だけ向けて驚いた。アキラだ。
「帰るのなら一緒に、と思って。宿泊先が同じ方向なんですよ」
アキラは肩を竦めた。
「ヒオは当分抜け出せそうにないでしょうし」
「でしょうね」
真紀も苦笑いをする。
アキラが靴を履いたのを確認し、真紀はそろって公会堂を出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます