怪異5

アキラとヒオ

「しばらくふたりで住むなんて……結婚したみたいだ」


 簡易なプラコップに歯ブラシを二本立てたヒオは感動に打ち震えていたのに、通りすがりのアキラが、


「バカなこと言ってないで、さっさと片付けるぞ。明日から調査に入るんだから。少なくとも三か所は確認しとかないとな。祠がみっつあるらしいし」


 と、すげない声をかける。


「片付けるって言っても、ほとんど終わってない?」


 洗面所から出たヒオはぎぃぎぃ鳴る廊下を歩いてアキラがいるであろう居間へと移動した。


「家具や食器は全部そろっているしな。水道もガスも電気も香取のおっさんが手配してくれて助かるけど」


 居間でちゃぶ台としか言いようのない机を布巾で拭いていたアキラは、語尾を「くしゅん」というくしゃみでつぶした。


「風を通して掃除機かけて水拭きしないと……。さっきからもう」


 くしゅん、とまたアキラはくしゃみをした。


 アレルギー持ちの彼女はこの借家に入った途端症状が出始めたらしく、見ていてもかわいそうなぐらいにくしゃみと鼻水が止まらない。


「服は? スーツケースから出した?」


 ティッシュボックスを引き寄せながらアキラがヒオに言う。


「出したよ。2階の階段あがってすぐの部屋にぼくの私物をひろげてる」


 ここはとある山村地区で、アキラとヒオは香取議員経由の依頼を受けて調査に来ていた。


 遠方であることと怪異の内容が深刻であるため、ふたりは長期滞在できるように一軒家を手配してもらっていたのだ。


「あ、そう。じゃあその向かいの部屋を私は使おうかな」

 洟をかみ、ごみ箱に捨てながらアキラはひとりごちた。


「二階さ、もう一室あるからそこを一緒に寝室に使う?」

「一緒じゃなくていい」


 きっぱりと言うアキラに、ヒオは小首をかしげて見せた。


「アキラって結婚するまでは純潔を守るタイプ? 婚前交渉はだめなの?」

「それを聞いてお前はどうするつもりだ」


 あきれたように言うアキラに、ヒオはまじめに応じた。


「純潔を守るタイプだって聞いたら一生懸命耐えるし、婚前交渉OKっていうならいまから交渉に入る」


「お前の頭ン中はそんなことばっかりか」


「そんなことばっかじゃないけど、ぼくだって我慢していることはせめて知ってほしい」


 アキラは胡座した姿勢のままちゃぶ台にもたれかかり、立ったままのヒオを見上げた。


「あのさ」

「なに」


「確かに私はヒオに言ったよ? 『たった今から、お前の生きる意味は私だ』って。お前の生きる目的は私だ、って」


「そうだよ」


「だけどさ、あれって超法規的措置というか……緊急事態での処置というか」


 ヒオはわずかに首を横に傾けた。

 さらりと絹糸のような髪が流れる。


「嘘だったの?」


「違うよ。ただ、応急処置だったんだ。ヒオにとって大きな存在がぽっかりいなくなって……。生きる目的がなくなっているヒオに、新しく目的を与えたにすぎない」


 ヒオは黙って、黒曜石に似た光を孕むアキラの瞳を見つめた。きれいだなと思いながら。


「私は、織部西條にはなれない」

「知ってるよ。君は水地彰良だ」


「ヒオはもう、ひとりで生きられるんだ。戸籍もあるし、マイナンバーだって持っている。電車の乗り方もわかるだろう? 口座もできてキャッシュカードだって持っている。ネットでだって買い物もできるし」


「あとは運転免許とらなきゃ」

 そうだな、とアキラは少し笑ったあと、ヒオに言った。


「別に私にとらわれなくていい。自分の生きる目的を探して、誰か最愛の人をみつければいい」


「それはアキラだ」

「違う」


 アキラは首を横に振った。


「君は織部西條の影を私に見ているだけだ。あの女を失った穴埋めに私を入れ込んだにすぎない」


 アキラはヒオを見つめ、わずかに口角を上げた。


「私は織部西條じゃない。ヒオが自由にのびのびと生きていくことを望んでいる」

「ねえ、アキラ」


「なに」

「アキラはどうなの?」


「どうって?」

「アキラはぼくのことをどう思ってるの?」


 ヒオの目の前で、アキラは眉根を寄せて言い放った。


「織部西條の代わりなんてくそっくらえ」


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