5 了承

「とにかくあの人形をどうにかしてよ! 毎晩毎晩現れて……っ! この前なんて髪の毛を引っ張ったのよ!」


 節子がヒオに訴える。

 その被害者ぶった態度に実里は醒めた視線を向けたが、ヒオはにっこり笑った。


 ヒオの対応に安堵したのか、どれだけ自分はあの人形からひどい目にあったかを節子は延々と訴える。


 時間にして15分はひとりでしゃべっただろうか。


 最初はうんうん、と同意していた義人もだんだん嫌になってきたのか、最後には話も聞かずにスマホをいじっていた。


「ここの職員はなんにもしてくれないんですよ。私がこんなに怖い目にあっているというのに……。お願いです、助けてください!」


「なるほど。お話は承りました」


 最後にヒオは笑みを崩さずに節子に伝えた。なんとなく雰囲気的に「怖かったですね。もう大丈夫ですよ」と励ますとおもいきや。


「残念ながらぼくはただの覡でして。あなたにはなんのお力にもなれません」

 あっさりと言い切った。


「こちらの職員さんのように介護や福祉の専門家でもありませんから、あなたが転んでもきっとぼくは見捨てるしかできません。あしからず」


 肩を竦める仕草に節子はぽかんと口を開き、実里は思わず吹き出した。

 ばっさり切って捨てるその態度にむしろあっぱれと言ってやりたかった。


「性格悪っ」


 アキラが顔をしかめてヒオに言う。

 ヒオは心底驚いたように目をまたたかせた。


「勝手に間違ったのはあのおばあちゃんだし」


 おばあちゃんとヒオに言われて更に節子はショックを受けたようだ。くくく、と実里は必死で笑いを堪えた。


「ってかさ。あんた、箱を盗んだろう」

 強引に話しを切り替えてアキラが節子に尋ねる。


「箱?」

 あからさまに不機嫌そうに節子は応じる。


 アキラは鮮烈な光を宿す瞳を細める。宙の一点を見つめると、すいと視線を移動させた。


「塗の箱だ。これぐらいで……。いいものだな。螺鈿がはってある」

「あ!」


 節子は声を上げてから慌てて手で自分の口をふさぐ。

 反射的に実里と生活相談員は顔を見合わせた。


 広川すえの長男が言っていた。


『塗の箱が見当たらない』


 ベビーベッドにいれていた箱。

 退所する数日前から見当たらなくなっていたそれ。


(まさかあれも重松さんが盗んでいたの?)


 防犯カメラは市松人形を盗んで捨てるところの確認しかしていない。

 それ以前は未確認だ。


 ひょっとしたら。


(あの時、居室に侵入したのは初めてじゃないってこと……?)


 離床センサーの電源を切り、職員の目を盗んで重松節子は何度か広川すえの居室に侵入していたのかもしれない。


 盗みのために。


 実里だけではなく息子の義人からもあしざまにみられ、弁解するように節子は首を振った。


「だ、だけど中身はなにもなかったのよ!」

「盗んでんじゃねえかよ、ばばあ!」


 とうとう義人が怒鳴る。

 節子は身を小さくして弁解した。


「大事そうにしてるから……! でも中身はなんにも入ってなかったのよ、本当よ!」


「中身が入っているかどうかではなく、箱自体が重要なんだ」

 アキラが噛んで含めるように節子に言う。


「古来より箱は呪物として使用されるぐらい念が入り込む。それをあんたがまだ持ったままなんだったら、そりゃ呪われる」


「呪物? 箱が……ですか? 箱に封印されたもの、じゃなく?」


 なんとなく不思議で実里が尋ねる。

 アキラは頷いた。


「中身がないものにはなにかが宿る。だから竹や笹は神聖だ。七夕に笹を飾るのは、その笹の空洞に祖霊が宿り、その家の長女が声を聞くためだ」


「え。そうなんですか! あれって短冊に願いを書くんじゃなく?」


「時代によっていろいろうつりかわっていったんだろう。祖先も『新しいスマホが欲しい』と書かれて苦笑いしてるだろうな」


 アキラが笑い、実里も苦笑した。

 確かに。自分の声を伝えに先祖は来たのに、笹には子孫が一方的な願いを押し付けているのだから。


「古代の遺跡からも中に何も入っていない箱がいくつか見つかっている。いずれも呪物として使用されたのだろう。ほら、浦島太郎でも出て来るだろう。箱」


 アキラに言われて実里は首を傾げたが、「あ!」と声を上げた。


「乙姫様からの玉手箱!」

「そうだ。あれも『中身はなにもない箱』だ。それを開けて浦島太郎は呪いにかかった」


「そういえば、日本では約束を破るのは男だけど、ヨーロッパなんかは女だよね。あれなんでだろう」


 ヒオが言う。言われてみればと実里も目をまたたかせた。


 開けるなと言われたのに玉手箱を開ける浦島太郎。

 のぞくなというのにのぞく鶴女房。


 振り返ってはいけないというのに振り返って塩の柱になってしまったロトの妻。

 鍵を開けてはいけないのに開けてしまった青髭の妻。


「さあね。ただ、日本については男性優位社会が作られたのは比較的近年だ。それまではずっと女性の地位は高く、どっしりとしていたものだった。禁をおかすということは未熟だということでもある。昔話や伝承はそういったことを語り部を通じて伝えてきたんだろう。まあ、それはおいといて」


 アキラは節子に瞳を向けた。


「あんたは『中身はなにもなかった』というが、その箱は広川すえさんが娘さんのために用意した箱だった。確かにまだなにも入れられていなかったかもしれない。それはそうだ。娘さんのためにいれるために用意されたが、実際には娘さんは生後間もなく亡くなったからだ」


 良子は8か月でこの世を去ったという。


「良子ちゃんは早産だった。そのため、お七夜もお宮参りもお食い初めもすべて発熱のために執り行うことができなかった。本来、広川すえさんはそのときの記念の品をそこに入れるつもりだったんだ。だが、なにもできなかった。できなかったが、生きていてくれればそれでよかった。次の機会に。次のなにかのために。彼女は塗の箱を大切に持ち、娘の記念の品になるものをそこに入れようと考えていた」


 だが、良子は8か月でいなくなってしまう。


「娘のために用意した箱をあんたは奪い、かつ、『中身はなにもなかった』と言うが違う。そこには娘への愛が詰まっていたんだ。それをあんたは無造作に開け、価値がないと放置し、あまつさえ良子ちゃんにさえ害を加えた。いまやその箱の中身は……」


 アキラは冷淡に告げる。


「あんたへの悪意でいっぱいだろうさ」


 しばらくミーティングルームは重苦しい空気に包まれた。


「……どうすればいいですか?」


 ようやく口を開いたのは実里だった。


「私……。プロとして失格ですが重松さんの行ったことを許せない気持ちでいっぱいです。だけど広川さんと良子ちゃんには幸せになってほしい。だから」


 実里はアキラに向かって身を乗り出した。


「ふたりを一緒にしてあげてください。そのためにはどうしたらいいですか?」

「僕からもお願いします。広川さんは幸せになるべきだ」


 生活相談員も頭を下げた。実里もそれに倣う。


「ちょっとやめてよ。こっちはお金払ってもらってるんだから、立場は対等」


 アキラの声に生活相談員と実里はそっと顔を上げる。

 彼女の、朝日のように清浄な光を湛えた瞳と視線が合った。


「広川さんと良子ちゃんのために私は来たんだ。さあ、まずは塗の箱をここに持って来ることからはじめよう」

 アキラはぱん、とひとつ手を打った。



 重松末子はすぐに塗の箱を返却した。


 アキラから説明を受けた職員たちは広川すえと良子の幸せを願ったメッセージカードを書いた。とてもたくさん。それは3階フロアの職員だけではなく、話を聞きつけた他階の職員や居住者からも集まった。


 アキラはそのカードと共にいっぱいの生花を塗の箱に詰めた。


 その後、広川すえの居室に移動すると、その塗の箱をベッドに置いてなにやら呪文のようなものをアキラは唱え、しばらくなにかを語り掛けていた。


『今日一日はこのままで。明日、撤去してください。塗の箱は広川さんのご遺族へ返却願います』


 塩や酒、米とともに塗箱を祭壇のようなものに設置してアキラとヒオは去って行った。


 次の日、塗の箱は広川すえの長男へ返却された。


 長男はその場で蓋を開けたが、不思議なことになかには何も入っていなかったという。


 その後、高齢者専用住宅で歩く市松人形を見る者は誰もいなくなった。


 重松節子はいまでもその高齢者専用住宅で過ごしているが、訪問に来る客は誰一人いないという。


(市松人形編 終了)

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