4 そのふたりが来た

◇◇◇◇


 実里がそのふたりを紹介されたのは、広川すえが退所してから1か月後のことだった。


『業務は別の職員に割り振ったから、ミーティングルームに来て』


 生活相談員に指示された時間に、実里はミーティングルームに向かった。

 そこは主に家族面談を行う部屋で、実里は初めて足を踏み入れる場所だった。


「失礼します」

 おっかなびっくりにノックをしてドアを開ける。


 中にいたのは生活相談員と重松節子。その隣に座っているのは節子の長男である義人だ。いつみてもむっつりと押し黙った小太りの男で、いまも実里を一瞥しただけで不満そうに腕組みをして鼻から息を漏らした。


 三人の向いに座っているのは見知らぬふたり。


 女は量販店で買えそうなスーツを着ており、ただ長く伸ばしただけの髪を無造作に束ねている。全体的に「どこにでもいそうなくたびれた就活生」のように見えるのに、どこか目が離せないような感覚にとらわれる印象を持っていた。


 男はというと。こちらは逆に圧倒的に印象に残る容姿をしていた。芸能人かモデルだと紹介されても頷けるほどの顔立ちに均整のとれたスタイル。着ているスーツもひとめでブランドものだと知れた。


「介護スタッフの佐藤実里です。社会福祉士でもあります」


 生活相談員がふたりに実里を紹介するから、男に見とれていた実里は慌てて頭を下げた。


「どうもよろしくお願いいたします」


 とりあえずそう口にはしたが、どうして自分がここに呼ばれたのか実里にはいまいちよくわからない。


「そこに座って」


 生活相談員から勧められたのは、下座のお誕生日席だった。


 素早く座り、念のために持って来たメモ帳とペンを取り出す。スマホでメモをとってもいいのだが、利用者家族によっては『不真面目だ』『盗撮をしている』と指摘をうけたりするので現場はいまでも紙とペンだった。


(重松さんがいるということは、例の件かな)

 ちらりと重松節子の表情をうかがう。


 非常に顔色が悪い。

 それも当然だ。彼女はこの数週間、ほとんど眠れていない。


『気味の悪い人形がいる!』


 夜中にナースコールを頻繁に押し、なんなら離床して詰所まで必死の形相で逃げ出してくる。


 それは広川すえが亡くなったと連絡を受けた次の日から始まった怪異のひとつだ。


 他にも、夜、廊下を歩く気配がするから職員が見回ると市松人形が歩いていたり、ガサゴソと音がするからゴミを動物があさっているのかと思って確認するがなにもいない。


 ナースコールが鳴るから居室番号を確認したら無人になっているはずの広川すえの番号だった、などなど。


 恐慌状態に陥いるほどに怯えているのは重松だけで、怪異に出会った職員の全員は、「ああ、良子ちゃんか」とあっさりと受け入れていた。


 実里もそのひとりだ。


 トイレの汚物ペールのあたりから音がしはじめたら、「だめだよ、良子ちゃん。汚いよ」と叱るほどだ。


「こちらは緒方先生にご紹介いただいた方々なんだ。水地彰良みずちあきらさんと、それから彼女の補佐をなさっている織部氷魚おりべひおさん」


 生活相談員がふたりを紹介した。あらためて実里が会釈をすると、ふたりは丁寧に目礼をしてくれた。


「それでは義人よしとさんもお忙しいでしょうから早速始めたいと思います。まずは重松節子さんの最近の状態についてですが……」


「単刀直入に言うがね、訴えたい気持ちではあるんだよ」

 生活相談員の言葉を潰して切り出したのは重松の息子である義人だ。


「あんたたち、うちの母が入所するときは『いい施設だ』とか『機材も充実している』とかいってたくせに、実際にはぼけ老人が気味の悪い人形を抱えて徘徊するようなところだったじゃないか。おかげでうちの母は夜眠れないわ、うっとうしいぐらいに電話をかけてくるわ……」


 剣呑な視線を生活相談員に向けるが、生活相談員は淡々とした表情でそれを受け止めた。


「広川すえさんのことをおっしゃっているのであれば、わたしたちはなんの問題もなかったと考えております。他害行動も自傷行動もありません。他の入居者の方々ともうまくコミュニケーションをとれておりましたし、なによりみなさん理解を……」


「どこがだ! あんなぼけたばあさん、どうみてもおかしいだろう! きったない人形抱えてさ! あんなのが近所にいたら通報レベルだよ!」


「年を取れば誰もがなりうる可能性のある普通のことです。老化による認知障害です。差別用語は控えてください」


 たまらずに実里が口を挟む。

 途端に義人は怒りに目をつり上がらせて睨みつけてきた。


「ぼけはぼけだろう! なにが違うんだ!」


 いきりたつ義人を見て、しまったと実里は身体を小さくする。


 以前もこうやって利用者家族の怒りを買い、延々数時間怒鳴られたことがあった。


 ただ、高齢者の人権を守りたかっただけなのに、『知ったかぶって』『そんなんだからこんな仕事しかできないんだよ!』と散々こき下ろされた。


「脳みそをアップデートできないのならしゃべるな」


 だが氷のような冷たさの言葉で斬り込んできたのは意外にも、アキラだった。


 一瞬「なぜ自分がこいつに暴言を吐かれたのか」と怯んだ義人だったが、すぐに顔を赤黒くして怒鳴ろうと口を開いたのだが。


「ってかさ。あんたのお母さんが盗んだからこんなことになったんだろう?」


 アキラは腕を組み、パイプイスに背中を預けてさらに言葉のつぶてを投げつけた。


「節子さんでしたっけ。あなた広川すえさんから盗み……」

「人形は手元に戻ったんでしょう⁉ 職員があのおばあちゃんに返したって!」


 金切声を上げたのは重松節子だ。


「盗んだって……! 人聞きの悪い! うちの母はみんなが気味悪がっている広川ってばあさんから人形をとりあげたんじゃないか、みんなのために!」


 義人も援護する。

 実里は内心ため息をついた。


 防犯カメラの映像を見せても、義人と節子は当初自分たちの非を認めなかった。


『みんなが広川のおばあちゃんの行動には迷惑していた。だから自分が代表して奪って捨てたんだ』


 そういってはばからない。

 むしろ『勝手にカメラで盗撮した』などとこちらを攻撃しようとしてきたので、顧問弁護士が入り、『出るとこ出ましょう』と伝えてようやく矛をおさめたぐらいだ。


「その市松人形は広川すえさんの手元に?」


 事情はおおよそ聞いているのだろう。ヒオが尋ねる。その声の穏やかさと涼やかさにようやく誰もが我に返った。


「ええ。職員で汚れを落として……。落ちないところは緒方先生が絆創膏を貼ってくださったり、頭部は包帯ネットをかぶせてくれたりして。着物もあれだよね」


 生活相談員が振ってきたので、実里も頷く。


「別棟の看護師で裁縫が得意な方がいたのでその方に洋服を作ってもらって着せました。良子ちゃんは広川さんがお亡くなりになるまでずっと彼女の側に」


「よかった。きっと広川さんも安心されたことでしょう。ねぇ、アキラ」


 ヒオはアキラに顔を向けるが、彼女は鼻を鳴らした。


「良子ちゃんは相当怒っているよ。大事にしてもらっていた髪をばっさり切られたんだからね」


 強烈な光を宿す瞳を重松親子に向けた。


「あんたたち、全然謝ってないらしいじゃないか。良子ちゃんの修理や返却も全部職員さんがやったんだろう?」


 低いどすの利いた声をむけられ、重松親子は押し黙る。


 一方で実里は「ああ、この目だ」と思った。

 彼女の印象がまるで変ってしまうほど鮮烈に輝く瞳。この目に人は惹かれるのだ。


「あんた、拝み屋なんだろう! さっさとその気味悪い人形を祓ってくれよ!」


 女に凄まれて怯えたことにバツの悪さを感じたのか、義人がわざと大声を張った。


「拝み屋?」


 実里は目を丸くして生活相談員を見る。緒方から紹介された、と言っていたが『なにをする人たち』なのかはそういえば聞いていなかった。


「議員の加藤先生からのご紹介でもあるらしいよ。高名なそのみちのプロだそうで」

「加藤議員って、あのニュースとかでよく見る?」


 びっくりする実里に、生活相談員が頷くと、重松親子の顔も変わった。それまでさも胡散臭そうに扱っていたのに、あからさまに態度を返る。


「へえ、そうなんだ。なあ、あんたたちへの支払いっておれたちじゃないよな」


 念を押すように義人が言う。ヒオは苦笑した。


「こちらの施設からお支払いいただくことになっています」

「なんでまた……。別に私達、困ってませんけど」


 実里が眉根を寄せる。

 市松人形の良子を一方的に怖がっているのは、その原因を作った重松節子だ。

 であるなら、重松節子かあるいは義人が支払うべきではないのか。


「変な風評被害があっては困る」


 生活相談員が小声で言う。途端に義人が嗤った。


「うちは別にここを出て行けばいい。だけどネットにはそれなりの評判を書かせてもらう」


 こいつ、と実里が奥歯を強く噛み締めた時、アキラが口を開いた。


「あまりこの世に念を残すのは誰にとっても良くない。良子ちゃんだって本当は広川さんと一緒に次のステージに向かうのが一番いいんだ」


 諭すような声音は実里に向けられていた。


「いま、広川すえさんと良子ちゃんの魂はばらばらの場所にある。良子ちゃんは怒りに燃えて重松節子さんにつきまとっているため、広川さんの魂も非常に不安定だ。というか、荒ぶる寸前だ」


 言われて実里も思い至る。


 そうだ。

 市松人形の良子がこの施設で闊歩しているということは広川すえの手元にないということなのだろう。


 生前の彼女なら不穏になるどころの騒ぎではないはずだ。


「……良子ちゃんを、広川さんのもとに戻すのが一番なんですね?」


 もう少し懲らしめてやればいいのにと本音では思うが、そこは堪えた。アキラは頷く。


「引き合う魂は一緒にしてやったほうがいい」


 引き合う魂。


 その言葉に実里は納得した。腑に落ちたというべきか。


 母と娘。慕いあうふたつの魂は一緒にいるべきだ。

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