5 成仏

 陽子と美鶴が、茶室の幽霊から白布を預かった二日後の早朝。

 アキラとヒオは山藤家にやってきた。


 成美も美鶴も、自分たち以外に『見える人』と会うのは初めてだ。


 ワクワクして待っていたら、やってきたのは不思議な魅力を持つ女性と、芸能人のようにカッコいい男性だった。


 アキラという女性は成美や美鶴を子ども扱いしないところに好感が持てたし、もうひとりのヒオという男性は、ふたりが知るどの男性よりもおだやかに接してくれて会話をしても心地がいい。


「早朝にすみません」

 アキラが恐縮する。


「とんでもありません。こちらのほうこそ」

 行儀よく座布団に座る成美と美鶴の前で、陽子がアキラとヒオに紅茶を出した。


「私の都合にあわせてもらって……」

 土日祝日はジムの利用者が多いので陽子が休めなかったのだ。


「このあとアキラがジムに行けますから。こちらこそ好都合です」


 ヒオが言うと、うげ、とアキラが変な声を出すから思わず成美と美鶴は声を上げて笑った。


「アキラさん、身体を鍛えるの嫌いなの?」

 美鶴が訊くと、アキラは派手に顔をしかめた。


「できれば家でず―――っとゴロゴロしていたい」

「だから君は肩こりになるんだよ」


 ヒオに注意されているがアキラはどこ吹く風で紅茶カップを手に取り、口に含んだ。


「あの、事前にようこから説明はあったかと思いますが……」


 菓子盆に入れた菓子を勧めながら京子が声をかける。アキラはカップを両手で包んだまま微笑んだ。


 ついっとその視線は茶室の方に向く。

 美鶴は驚いた。概要は陽子から聞いているだろうが、彼女はまっすぐにダイニングに来たのだ。茶室の場所など知りようがないだろうに。


茶室あそこにいる娘さんのお話ですね。事情はもう……なんとなく」

「特級呪物だとおもうんです! だから茶室に封印されているんだと!」

「ちょっと成美」


 力説して持論を展開しようとするから陽子が遮る。だが美鶴も続いた。


「あのお姉ちゃん、お茶室から出られないのはなんで? お姉ちゃんが言うみたいに悪い霊だか閉じ込められているの?」


「美鶴ちゃんはどう思うの? 悪い霊に見えた?」


 アキラが逆に尋ねてくる。美鶴はきっぱりと首を横に振る。


「悪い人じゃないよ。なのになんで出てこないんだろう」

「出てこないんじゃなくて、出られないんだろうなぁ」


 アキラは呟くと、京子に視線を向けた。


「陽子さんから、おばあさまが老人クラブから話を聞いてきた、とおっしゃっていましたが……。地域の人はなにか仰ってますか?」


「確かにこの家、なんかあったみたいなんですよ。その原因について後ろ暗く思っているのはどうも地域住民の方で……。


 だから私には詳細を言わないんですよね。だけど探れば探るほど『やっぱりなんかあるんだろう?』『そうだと思う』みたいに言われて……。そりゃまあ、あんな目で始終見られていたら住んでいる方からすればいやになって出て行くわよねぇ」


「ぼくがかんなぎになろうか?」


 ヒオがアキラに申し出たが、彼女は首を横に振った。


「大丈夫。だいたいはわかった」

 そういって紅茶を飲み、カップをソーサーに戻して肩を竦める。


「そりゃ近隣住民は後ろ暗いでしょうよ」

「なにか見えたの?」


 ヒオがアキラに小首をかしげて見せた。アキラはうなずく。


「あの子はここで死んだ」


 きっぱりと断言した。


「結核だったんだ。第二次世界大戦中のことだ。蔵を座敷牢に改造して、家族を含めた地域住民はあの子をそこに閉じ込めた」


 陽子と京子は絶句しているが、成美と美鶴は意味が分からない。


「なんて?」

「どういうこと?」


 母親と祖母にきょとんとした顔を向ける。


「第二次世界大戦ってわかるかな」


 ヒオの問いかけに、ふたり揃って首を縦に振った。小学校の平和学習ですでに学んでいる。


「その戦争の時にね、とても恐れられた病気がいくつかあった。ハンセン病という病気と、それから結核という病気。いずれもいまなら治る病気なんだ」


「病気……。あの子、病気だったの?」


 美鶴が目をまたたかせる。「みたいだね」とヒオが静かに続ける。


「結核という病気は結核菌という菌が身体にはいることで病気になってしまう。特に肺に入ると、ゴホゴホと咳をする。それが空気中に漂うことで他のひとに感染するんだ」


 ヒオの話を聞いて、ふと美鶴が思い出したのはここ最近まで世間を騒がせていた感染症のことだ。


 一時は日本中が大騒ぎをし、学校まで強制的に閉じられた。その後も、ひとり感染したら教室中を消毒したり一か月近く学校に来られないこともあった。


「当時は特効薬が日本になかった。だから感染者はとても嫌われて、閉じ込められたりしたんだよ」


「ひどい……」

 姉が顔をゆがめる。美鶴は「あ!」と声を上げた。


「だからあのお姉ちゃん、私とお母さんに話しかける時に、手を口で覆ったんだ!」


「え、そうなの⁉」

「そうだよ! この袖んところで……こうやって。ねぇ、お母さん!」


「そう。そうだわ……。あの子……私たちが怖くて逃げたんじゃないんだ……。私たちに感染うつしたくなくて距離をとって……」


 陽子の語尾が濁り、成美も美鶴も驚いて母を見た。

 彼女は目を真っ赤にして必死に涙をこらえていた。


「あの子……。いまでも結核を私たちに感染させたくなくて、それで茶室から出てこないんだわ……」


 京子がいたたまれないように目を伏せる。アキラはとつとつと話した。


「大きな空襲があって、家族はあの娘を座敷牢から出そうとしたが、地域住民が強く反対した。共同の防空壕に入れて感染したらどうするんだ、と。だから家族は彼女を置いて逃げた」


 しん、としたなかで陽子が鼻をすする音がする。


「この家は無事だったようだが隣の家に焼夷弾が落ち、燃えた。座敷牢は蔵を改造していたから焼けはしなかったが、煙と熱であの子は死んだ。防空壕に逃げていたから、隣家の人間や地域住民、家族は全員無事。あの子だけ」


 死んだ。


「……恨んでるの? 家族を」

 成美がそっと尋ねる。アキラが答えるより先に美鶴が言った。


「そんなことないよ。だって死んでしまってからも病気をうつすのを怖がっているひとだよ? きっと一緒に逃げられたとしても逃げなかったと思う」

「彼女には心残りがあった」


 アキラの言葉に、全員が顔を向けた。


「あの子、婚約者がいたんだ。彼も召集令状を受けて南方に行ったんだがね」


 京子が孫たちに召集令状と南方の意味を手短に説明した。それを待ってからアキラは言う。


「そのときに、あの子は千人針を贈りたかったらしい」


「あ‼」

「なるほど、それで白布に赤い糸‼」


 陽子が両手を合わせ、京子も思わず立ち上がる。


「なに?」「どういうこと?」という孫をいったん放置し、京子は部屋に準備していた白布を手に持って来た。


「だけど……この虎は?」


 京子は訝し気に眉根を寄せた。ヒオが虎の絵を指差して説明をした。


「千人針というと『弾止め』と『玉止め』をかけたもの。つまり、白布に赤い糸で千個玉止めしたものを想像されますが、虎の絵を使ったものもあるんです。こう……虎の下絵の上に玉止めを作っていくんです。

 虎は『千里を行き、千里を帰る』と言われていて、戦地に行った男性の帰還を願うものなんですね」


 陽子と京子は黙って白布の虎を見つめていたが、焦れた成美と美鶴がまとわりついて説明をねだる。


「昔から日本にはね」

 アキラがそんな成美と美鶴に説明をする。


「女の人にはすごい力が宿っていると考えられていたんだ。とくに家族の女性にはね」


「家族の女性って?」


「お母さんとか妻とか、姉、妹、おば、めい。昔はね、『いも』って書いて妻という意味もあった。いまのように”きょうだい”という意味だけじゃなく、ひろく親戚の女性という意味も含まれていたんだ」


 へぇ、と姉妹はそろってアキラを見る。


「男性は戦いに臨むとき、その女性が作った服とか布とか。あるいはその女性の髪とか、持っている櫛なんかを身に着けて戦地に行ったんだ。


 彼女たちの持ち物や作ったものには神に近い力が宿り、なにかあったときに助けてくれると考えた。だから、戦地に行く男性のために、女性たちは赤い糸をたくさん結んで持たせたんだよ。赤は魔除けにもなるからね」


「あのお姉ちゃんも、婚約者さんにそれを渡したかったんだね……。できなかったの?」


 美鶴の問いに、京子は顔を曇らせた。


「普通の千人針は、ひとり一目なんだよ。親戚中に頼んだり、街頭に立ったりして、女の人に玉止めをひとつずつ頼むんだよね。だから『千人』針って言うんだし……。あの子の場合座敷牢に閉じ込められているから……」


 彼女はできなかったのだ。


 婚約者の無事を願って千人針を作ろうにも、座敷牢から出るわけにはいかなかった。


「この千人針、みんなで完成させない?」

 美鶴が決然と呼びかける。


「賛成!」

 成美がまっすぐ挙手をした。


「いや……だけど。普通はあれでしょう? ひとり一目で……」

 陽子が戸惑った目をアキラに向ける。アキラは柔らかく微笑んだ。


「文字通りの『千人針』であればね。だけど本来はいもの力にあやかったものだ。それは巫女ふじょの力でもあります。千人に頼る必要はない。なんというか……この家はすごい状態なんですよね」


「え?」

 陽子が首を傾げる。アキラはくすくすと笑った。


「無自覚のようだが、ここには巫女が四人もいる」

「四人?」


 きょとんと成美が尋ねる。ヒオも笑った。


「すごいパワーですよね。ぼくでもわかる。陽子さんに京子さん、成美ちゃんと美鶴ちゃん。この四人がいれば普通どころか、たいていの邪霊は消えてしまう。そこにアキラと……覡であるぼくもいるんだから最強だ」


 山藤家の四人はなんとなく顔を見合わせる。アキラは笑みを湛えたまま提案した。


「あの娘さんの魂を慰めるのにこれ以上のメンバーはありえない。私も手伝いますので、ひとり一目ずつ順番に縫って、千人分の玉止めを作って完成させましょう」




 二時間後。

 京子と陽子、成美と美鶴。アキラとヒオの四人は茶室にいた。


 出来上がったばかりの千人針を娘に差し出すと、彼女は涙で頬を濡らしながら受け取ってくれた。


 大事そうに頬すりをする彼女の姿は徐々に薄れていき、美鶴だけでなく家族みんなが彼女が満足したことを知った。


「ほら、来たよ」


 アキラが唐突に言う。


 なんだろうと。

 美鶴たちだけではなく、娘も不思議そうに顔を上げる。


 アキラは茶室の一角を指差していた。


 そこに。

 見知らぬ青年がいた。


 カーキ色の詰襟制服みたいなものを着て、足首からふくらはぎには布を巻いていた。そしてびっくりすることに腰には剣をさげていた。


 何だろうこの人、とは思ったものの、その青年はとてもうれしそうな顔をして娘を見ている。


「軍服着てるってことは……」

「婚約者かしら」


 京子と陽子の小声に、あれが当時の軍服なのだと美鶴は知った。


 青年が何か言う。

 娘も涙で顔を濡らしたままなにか応じた。


 そしてふたりは駆け寄って。

 手を握り合った。


「そこは抱きしめなくっちゃ!」

「そうだよ! そしてキスだよ!」


 成美と美鶴が叫んだ。京子が苦笑いし、「当時はそんな破廉恥なことを人前でしないよ」とたしなめる。


 そして娘が青年に千人針を渡す。青年は笑顔で受け取り、ふたりは美鶴たちの方に向き合うと、深々と頭を下げた。


「お幸せに」

 陽子が言って頭を下げる。


 京子と成美、美鶴もそれに倣ってぺこりと頭を下げた。


 アキラが呪文のようなものを唱えるのを聞いた。


 顔を上げると。

 茶室には。

 もうふたりの姿はどこにもなかった。



 そうして。

 茶室のある家に山藤家はいまも住んでいる。

 終戦日にはかならずお父さんが茶室でふたりぶんのお茶をたてて献じ、山藤の女たちはあのふたりのためにご飯をお供えすることを欠かさずに続けている。


(茶室の幽霊編 終了)



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