4 幽霊からの依頼

「もとは、って?」

 京子が尋ね返す。


「だってあきらか、あそこだけ新しくない? なんか強引にこの家とくっつけた部分もあるしさ」

「蔵とかだったんじゃない? それを潰して……」


 京子が答えようとしたが、また成美が騒ぎ出した。


「そうだよ、変だよ! だって最初っから水設備のある蔵なんてある⁉ あの水屋、昔からあったんでしょう⁉」

 陽子は顔をしかめた。


「水設備なんてあとからいくらでもできるわよ」

「でも言われてみればおかしいわよねぇ。元はなんだったんだろう」


 京子まで言いだすから「やめて」と陽子が止めた。


「とにかく私はこれを茶室に届けて来る。みんなはご飯を食べて」

「私も行く!」


 さっさとダイニングを出て行こうとする陽子に駆け寄り、美鶴はその手を握った。


「え、そう? 怖くない?」

「怖くないよ」


 即答する様子に、陽子は笑って成美と京子を振り返った。


「じゃ、先に食べて。すぐ戻るから」


 京子は頷き、心配げな成美をなだめてから自席に戻る。声をかけながら食事を再開するのを確認し、陽子は美鶴を連れて廊下に出た。


 いったん玄関に向かって進み、そこから間接照明のついている渡り廊下に移動する。


 ちらりと美鶴は陽子の顔をうかがった。

 特段怖がっているようにも震えているようにも見えなかった。

 どちらかというと不思議がっている、というところか。


 美鶴は母を尊敬している。


 父のいない間に家を取り仕切り、自分と姉の学校行事には仕事を休んで必ず顔を出してくれる。料理は京子の味付けの方が好みだが、頼りになるのはやはり陽子だ。相談事にも真面目に向き合ってくれる。


 ジムのインストラクターということもあり、均整の取れた筋肉としっかりとした体格を陽子は持っていた。


 なにかあっても母は守ってくれる。そんな安心感があった。


 陽子は格子戸を開き、板場に足を踏み入れる。

 壁の片切りスイッチを押し、茶室へと身体を向けた。


「これを、私の夫に依頼したかしら」


 陽子はおだやかな口調で尋ねた。

 そこにいるのは数日前に見た娘だ。


 この前よりもはっきりしている。


 相変わらず病衣のような寝間着を着ていた。

 顔は青白く、唇の血色も悪い。髪だけは黒々と濡れたように艶やかだが、残念なことにばっさりと短く切りそろえられていた。


 娘はコクコクと首を縦に振ったあと、寝間着の袖で口元を隠して何か言ったようだ。


「ごめんなさい。私達、あなたのことが見えるけど、声は聞こえないのよ」


 陽子は済まなそうに眉根を寄せると、白布の入ったビニール袋を持って茶室に入る。


 途端に、娘は茶室の隅へと走り出し、怯えたように身体を小さくするから陽子だけではなく美鶴まで驚いた。


「ごめんなさい、怖がらせるつもりはないのよ?」


 慌てて陽子は声をかけるが、娘は口元を両手でしっかりと隠して大きな瞳をこちらに向けて小さくなる。


 幽霊の方が人間に怯えている。

 その様子に美鶴は心が痛んだ。


「ママ。そこに置いてあげなよ。可哀そうだよ」

「そうね。ごめんなさい。これでいいかしら」


 炉が切ってある畳の側にビニール袋を置き、陽子はハンズアップしてゆっくりと下がる。


 陽子が、美鶴のいる板場のところに戻ったのを確認すると、娘はビニール袋に駆け寄った。


 そして。


 あきらかにほっとしたような表情で白布を両手で持ち上げると、いとおしそうに抱きしめる。


 かしゃ、とビニール袋が鳴った。力ない音は余計に娘が大事に抱えた証拠のようにも美鶴には思えた。


「それ、ハラオビっていうのにするの?」


 美鶴が言うと、娘は目を丸くしたあと、顔を真っ赤にした。否定するように首を横に振る。とても恥ずかしそうに。


「あなたいくつ?」


 陽子が尋ねると、娘はそっとビニール袋を畳の上に置き、人差し指を一本たててから、今度は左手をパーに。右手を三本だけ指を立てる。


「18歳」

 いたたまれないように陽子は呟いた。


「高校生?」

 美鶴が陽子を見上げた。陽子はため息をつく。


「そうねぇ。いまだと高校三年生かしら。大学一年生かしら。ねぇ、あなた。私達はほかになにか手伝える? してほしいことがあるのかしら」


 陽子の申し出に、娘は涙を浮かべてコクコクと首を縦に振った。


 畳からビニール袋に入った白布を持ち上げると、自分の額にぎゅっと押し当てる。

 しばらくの間そうやっていたかと思うと、娘は再度大事そうに畳の上にそれを置く。


 そのまま自分はそろそろと部屋の隅に移動した。

 壁にぴたりと背をつけるようにして顔を上げる。

 陽子と美鶴を見ると、両手を合わせて目を閉じた。


 そうして。

 娘は姿を消した。


「え……。どういうこと?」

「わかんない。この布をよろしくってこと?」


 陽子と美鶴は顔を見合わせたものの、恐る恐る茶室に入り、ビニール袋に近づく。


「あ!」

 声を上げたのは美鶴だ。ビニール袋を持ち上げたのは陽子だった。


「白布に……」


 陽子は呟く。

 透明なビニール袋越しに白布を見る。


 そこには。

 布全面を使って立派な虎の絵が描かれていた。


「虎?」


 つま先立ちになっていた美鶴が小首を傾げる。

 口をがあ、と開き、いまにものっしのっしと歩き出しそうな横向きの虎。

 着色などはされていない。ただ、線で描かれた虎。


「………これを、どうするの?」


 美鶴に言われても陽子は困惑顔だ。


「でも、あんなまだ子どもみたいな娘さんの願いは無碍にできないしねぇ……。きっと雅治さんも無意識にそう思ったんでしょうねぇ。だから波長があって送ってきたんでしょうし」


 成美だって来年は中学生だ。

 三年も経てば高校生になる。そう思えばそんな年で命を落としてしまった娘には親近感がわいた。なにかしてあげたい。純粋にそう思う。


「仕方ない。あんまり公私混同はしたくなかったんだけど、アキラさんに相談しよう」


 決然と陽子が言う。


「アキラさんって?」

「ママの働いているジムに通っている人で……というか、カレシさんに通わされている人、かな。見えるだけじゃなくていろいろできる人みたいで。最近よく会話したりするの。ちょっと相談してみるね」


 こうして。

 アキラとヒオが山藤家にやってきたのは、それから二日後の日曜日のことだった。

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