3 電話
その五日後のこと。
月曜日。週の初めということで新たな気持ちで登校した美鶴は、登校班のみんなと別れ、上靴に履き替えて教室に入った。
「あ! 幽霊のいる家に住んでいる美鶴だ!」
途端にそんな声をぶつけられてきょとんとする。
けたたましい笑い声を立てる方に顔を向けると、菜音穂が指を差してきた。
「美鶴さ、騙されてお化け屋敷買ったのよ!」
菜音穂のまわりにはニヤニヤした顔の数人の女子がいる。いずれも美鶴とはそんなに仲良くない子たちだ。というか菜音穂とも仲良くないはずだが、誰かの不幸が面白いのだろう。
「なんか証拠でもあんの?」
まあ、本当に幽霊がいるんだけどさ、と内心では思いながらランドセルを自分の席に降ろした。
「あ、あるわよ!」
平然としている美鶴に焦ったようだ。菜音穂はことさら胸を張った。
「グランマに美鶴の新しい家のことを話したらさ、『え、あんな幽霊の出る家を買ったの⁉』って驚いてたもん! この地元でも有名で老人クラブの人はみんな知ってるって! 何人も住む人が変わって……」
「あんたのおばあちゃん何歳?」
しゃべっている途中に遮られ、菜音穂はむっとした顔で口を尖らせた。
「それがなによ」
「そんなさ、老人クラブに入るような年なの? いっつも自慢してたじゃん。うちのママもグランマも若いんだって」
美鶴だって老人クラブなるものが何歳から加入できるのかは知らないが、菜音穂がいつも『私のママは19歳で私を産んだからみんなのママよりうんと若いんだよ! グランマもね!』と自慢しているのは知っている。
だから自分の祖母の京子が『老人クラブに入る年になっちゃったよ』ということは、菜音穂のグランマというか祖母は京子より若い。
「老人クラブの話って、本当なの? ちゃんと老人クラブの人に聞いたのかなぁ。なんか嘘臭い」
美鶴が目をすがめて言うと、風向きが変わった。
菜音穂の「私のママとグランマ自慢」はみんな知っている。うんざりするぐらい聞かされていた。
菜音穂の周りでニヤニヤと美鶴を見ていた女子児童たちは、途端にコソコソと小声でささやき始める。
「菜音穂ちゃん、このまえ美鶴ちゃんのお家にお邪魔した時、茶室で側転して怒られたんだよ!」
登校してきたばかりらしい璃々がランドセルを背負ったまま参戦してきてくれた。
璃々がやってきたことでクラス全員の視線が集まりつつある。無関係だった児童たちは「茶室で側転」という無法行為に眉をひそめた。
「ごめんなさいもしなくて帰ったのに……。それなのにそんなこというの⁉」
クラスの中でざわりと波が立つ。「ごめんなさいをしなかった」。それはやってはいけないことではないのか。
さらに璃々は怒りに肩を震わせ、目にうるうると涙を浮かべた。そしてぎゅっと美鶴の手を握る。
「美鶴ちゃんのお家はそんなんじゃないもん! 素敵なおうちだったよ! なんでそんなこと言うの!」
璃々が泣きだしそうになっている。
そのこともあってかクラスの風向きが変わった。
「菜音穂、お前、なんでそんな嘘言うんだよ」
「っていうか先にお前、謝れよ。美鶴に」
「うっざ」
一斉に罵声を浴び、今度は菜音穂が涙ぐむ。
そしてまるで試合終了のゴングのように予鈴が教室に鳴り響いた。
「みなさん、着席ですよー。ランドセルを下していない子は早く準備して」
暢気に担任が教室に入って来たので、みなは何事もなかった顔で自席に向かう。
「ありがとうね」
素早く美鶴は璃々に声をかけた。璃々はツインテを揺らして首を横に振る。
「美鶴ちゃんも平気?」
「私は大丈夫」
璃々はようやく顔を緩めて笑うと、自分の席に行ってランドセルを下し始めた。
美鶴は1時間目の準備をしながら内心でため息をつく。
(なによもう、有名な幽霊屋敷なんじゃないの。なんでそんなの買っちゃうかなぁ、パパもママも)
その日の夕食。
みんながダイニングテーブルに着席し「いただきます」と発声したあと、美鶴は今朝学校で菜音穂に言われたことを説明した。
「えー……。ママが子どもの頃からこの学区に住んでるけど……。そんな噂知らないわ」
「私もよ」
陽子と京子が顔を見合わせる。
どうやら本当に初耳らしい。
「仕方ないわねぇ。嫌だけどじゃあ老人クラブ……じゃないわ。この前いきいきシニアクラブに名称が変わったんだっけ。それに入って情報収集しようかなぁ」
祖母の京子が鶏の照り焼きを口に運びながらのんびりとそんなことを言った。
「入ったところで、本人には言わないわよ。『あなたのお家、幽霊出るらしいけど大丈夫?』なんて。そんなの子どもがすることでしょう?」
呆れたように母の陽子は言い、お味噌汁に口をつける。
「おしゃべり出来たらいいのにね。そしたら成仏っていうの? 消えることできるんじゃない?」
美鶴が白米をパクパク食べながら言う。その様子を見て陽子が眉を顰める。
「ちゃんとおかずと一緒にご飯を食べて。あなた、ばっかり食べなんだから」
はあい、と返事をして小松菜と干しエビのおひたしに箸を伸ばした時。
「なんかさ……。最近思うんだけどさ」
珍しく慎重なトーンの声に、誰もが動きを止めて成美を見た。
「今回のあの幽霊、変じゃない? いつもと違うっていうかさ」
「いつもと違うって?」
おひたしを口に運び、ついでにまた白米を口に放り込む。美鶴はなにより炊き立ての白米が大好きだ。
「いつもはさ、たいがい『なんかいるなー』って言っててもすぐに消えたりするし、今回みたいに実体化してもさ、こっちが聞こえないんだって説明したら消えるじゃん?」
「うん」
真面目な顔の姉に面食らいながら美鶴は頷く。よく見れば成美はぜんぜんご飯を食べていない。
「今回のあの幽霊、なんで家の中を歩き回らないの? なんであの茶室から出てこないの」
言われてみれば、と美鶴は目をまたたかせた。
美鶴はいままでいわゆる地縛霊というものを見たことがない。
幽霊は形さえ取り戻せば結構自由だ。うろうろ歩き回るし、いないな、と思っていたらどこからか帰って来て、しばらくして全く見なくなったりもする。
「茶室から出てこないのってさ……」
成美が声を潜ませる。
「極悪な幽霊だから……あそこに、封印されているんじゃないの?」
家族の誰もが固唾を飲んで成美の言葉を聞く。
出歩かないのではない。
出歩けないのではないか。
その意味を誰もが自分なりに検討しようとした。
直後。
ぴんぽーん、と玄関チャイムの音が鳴り響き、美鶴と成美は箸を放り出して叫び声をあげ、京子は「心臓止まる!」と悲鳴を上げた。
「あー、びっくりした」
陽子は言いながら、玄関に向かう。
「お姉ちゃんが怖い話するからお祖母ちゃんが死ぬところだったじゃん!」
「だってそう思わない⁉ 絶対変だよ、今回の幽霊!」
姉妹でぎゃあぎゃあと言い争いをしているところに、陽子が紙袋を持って戻ってきた。
「パパから宅配便よ。なにかしらね」
「お菓子⁉」
途端に美鶴と成美が声をそろえる。
父である雅治は、出張が多い。そのたびにご当地銘菓を娘たちのために送ってくれていた。
「あの人よりお菓子の方がこの家に先についたんじゃない?」
陽子は苦笑いする。雅治は引継ぎがいまだ終わらず、一緒に住めていないのだ。
「あら。なにかしら。布って書いてある」
だが品名を見て陽子はいぶかし気に眉根を寄せた。これには京子も不思議そうに「布?」と繰り返した。
陽子は立ったまま袋の上部を破り、中に手を突っ込む。
そして透明なビニール袋に入れられたそれを取り出した。
それは確かに。
布だった。
いわゆる晒し布というもの。
ビニール袋にはそれだけではなく、赤い刺繍糸も6束ほど入っている。
「……なに、あんた三人目ができたの?」
京子が目をぱちくりさせ、陽子は慌てた様子で首を横に振った。
「まさか。え。これ腹帯のつもりじゃないわよね、雅治さん」
「腹帯ってなに?」
美鶴が京子に尋ねる。
「昔は安産祈願のために犬の日に妊婦がお腹に晒し布を巻くんだけど……。なんでこんなもの」
美鶴に説明をしながらも最後は京子に視線を戻した。だが彼女とて訝し気に首を横に振るばかりだ。
「ちょっと電話してみようかな」
陽子は自分の椅子に宅配便の品を置き、デニムパンツのポケットからスマホを取り出す。素早くパネルに指を滑らせ、コールした。
「あ。雅治さん? ちょっと待ってね」
陽子はダイニングテーブルにスマホを置き、スピーカーにした。
「電話ありがとう。なんだい?」
久しぶりに聞く夫の声は少しだけ弾んでいた。
「あ! ひょっとして荷物届いた? それでいいかなぁ。よくわかんなかったから」
「え……。いや、あの。この布……」
陽子は戸惑うが、雅治は一方的に語り始める。
「白い布と赤い糸って言われたけど。手芸屋がこのあたりになくってさ。近所の大型ショッピングモールに入っている手芸屋に相談したんだ。そしたらそれがいいんじゃないかって。本当は手縫い用の赤い糸にしようかどうか迷ったんだけど、それでよかった?」
「えっと雅治さ……」
「一応それを茶室に持って行って確認してみてよ」
晴れ晴れとした雅治の声に全員が顔を見合わせた。
「合っているといいんだけどなあ。いやあ、こんなの本当によくわからないね。早く一緒に住んで陽子と一緒に買い物に行ければ……」
「パパ!」
成美が悲鳴を上げた。
「これ、誰に頼まれて買ったのよ!」
「え、誰にって……え。連絡してくれたじゃないか、パパのスマホに。白い布と赤い糸が欲しいから至急送って、って」
困惑した声がスマホから流れ出る。ヒステリックな成美の声がそれにかぶさった。
「だからそれ、誰に頼まれたの!」
泣き出しそうな顔の成美に京子が近づき、背を撫でてなだめてやる。
「え……? 誰にって……。それ、茶室にいるからって……」
「茶道で必要なの? あなたが使うの?」
陽子がスマホに問いかける。
「違うよ。茶道でなんか使わない。え、必要だからって……」
雅治はだいぶん混乱しているようだ。
「だから。誰が必要だから送って、ってあなたに依頼したの? わたしたちは誰もあなたに電話していないようなんだけど」
陽子が静かに尋ねると、雅治は押し黙る。
「……え。なんだろう。おかしい。記憶はあるんだよ。そっちから連絡があって至急白布と赤い糸を送ってって……。え。なんだこれ」
「ああ、そう。じゃあちょっとこれ、茶室に持って行ってみるわね。ありがとう」
「待って。本当に誰から……え?」
「いいのよ、ありがとう。ねえ、それよりいつこっちに来られそう?」
陽子はやわらかく話の矛先を変えていき、パニックを起こしそうになっている雅治をなだめすかせる。
そのあとたわいのない話や、成美が登校班長になったこと、美鶴が美術クラブに入ったこと、京子の膝の痛みは単純にウォーキングのしすぎだったことを笑い話を交えて伝え、なごやかな雰囲気を残して通話を切った。
「さて。まあとりあえずこれを茶室に持って行ってみるか」
陽子はビニール袋に入った白布と赤い刺繍糸を持ち上げた。
「私は行かない! それやばいよ! ママも行っちゃダメだよ!」
成美が叫ぶ。京子はその背に手を添えたまま、陽子に視線を向けた。
「私は狂暴な感じはしないけどねぇ、あの幽霊」
「私も同意よ。だけど、変なのは確かよねぇ」
陽子がため息交じりに言う。
「ぜったい閉じ込められてる悪い幽霊なんだよ! 特級呪物的ななにかなんだよ!」
「あんたアニメの見過ぎよ」
あきれ顔の陽子を成美は睨みつける。
「だったらなんであの子は茶室から出てこないの⁉ ここにいるみんなは『聞こえない』からパパに念を送って買わせたんでしょう、それを!」
「そこなのよねぇ」
陽子が呟く。
確かにここにいる女たちは全員霊の声は聞こえない。だが、アピール方法はいろいろあるのだ。いままでも筆記して意思疎通を図ろうとした霊はいたし、夢枕に立った霊もいた。
「茶室から出てきて、どうしてあの子はわたしたちにアピールしなかったのかしら」
「ねぇ、不思議っちゃあ、最初っから不思議なんだけどさ」
美鶴が首を傾げた。
「あの茶室って、もとはなんだったんだろう」
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