2 実体化

◇◇◇◇


 一週間後。


「ねえ。こっちの廊下はどこにつながっているの?」

 同級生の菜音穂なのほに問われて美鶴はうんざりした気持ちで振り返った。 


「お茶室。私の部屋は二階だからこっちだよ」

「えー! お茶室、見てみたい!」


 菜音穂がはしゃいだ声を上げ、璃々りりは困った顔で「だめだよ」と同級生をたしなめた。


「美鶴ちゃんのおうちだよ? 勝手なことしちゃいけないんだよ」

「璃々ちゃんも見たいでしょ⁉ ってか美鶴の家なんだから美鶴がいい、って言えばいいじゃん!」


 横柄な態度の菜音穂に美鶴は心底イライラする。


 だからこいつを呼びたくなかったんだ、と。

 引っ越しの片づけを終え、母親の許可も得て親友の璃々を新居に誘ったのはクラスルームが終わってすぐだった。


『今日おうちに来る? 一緒にあけさんのチャンネルを観ようよ! 昨日重大告知って言ってたけど、あれなんだったんだろう。璃々ちゃん知ってる?』

『私も気になってたの! なんだろうね!』


 璃々とは歌い手の朱を発端にして急速に仲良くなった。

 姉の成美はヲタクとバカにするが、美鶴から言わせれば成美だってアイドルオタだ。


『じゃ、一緒に観よう!』

『やったあ!』


 目をきらきらさせて璃々が答えたまではよかったのだが。


『なになにー⁉ 私も行く!』 

 と菜音穂まで言い出したのだ。


 あまり仲良くない上に、彼女はなんでも言いふらす。だから美鶴としては一度断ったのだが彼女は憤然として、『先生に仲間外れされたって言う!』と言い出し、美鶴は仕方なく折れたのだが。


 それが失敗だったと苦々しく思いながら、美鶴は手に持っていたお盆を廊下に置いた。


「ママからはパパがいるときしか入っちゃいけないって言われてるから。見るだけだよ?」

「わかってるわかってる!」


 絶対わかってない、と美鶴は菜音穂をにらみつける。


「なにかさわろうとしたら注意する」


 璃々が真剣なまなざしで美鶴の手を握ってくれるから心強い。


 先を歩こうとする菜音穂を引き留め、自分と璃々の後ろにいるよう指示する。不満そうな顔をしたが、璃々が「美鶴ちゃんのお祖母ちゃんに言うよ?」と脅すと黙った。璃々は祖母の京子とは顔見知りだし、さっき三人で挨拶をしたところだ。


 美鶴と璃々は手をつないで廊下を歩いた。


 この廊下は家と茶室をつなぐためだけにあるもので、そう長いものではない。

 学校の渡り廊下のように吹き抜けではなくちゃんと屋根も壁もあり、窓ガラスも暗くならない程度にはついていた。夜には足元に間接照明もあるので怖くはない。


 怖くはないが。

 なんか不思議だなと美鶴は初めて見た時から思っていた。


 この廊下と茶室だけ、旧さが違うのだ。


 家本体はリノベーションした。いうなれば、それほど古かったのだ。


 だけどこの廊下と茶室はそのまま手を付けなかった。

 まだ新しかったのだ。


(作った時代が違うんだろうなぁ)


 茶室は後付け。そういうことだ。


 廊下の突き当りには格子戸がある。

 鍵は一応ついているが、誰も閉めていない。


 美鶴は横引の扉を開いた。

 ついでに壁にある片切りスイッチを押した。


 ぱ、と。照明がつく。

 板張りの床が続く奥にはまたひとつ扉が見えた。そこは水屋。


 左手には壁があり、いまは閉じられているが躙り口がある。右手には畳の部屋があり、そこが茶室だ。


「へー。ここがお茶室なんだ」

 どん、と背中を押され、美鶴は前のめりに中に入る。


「菜音穂ちゃん!」

 璃々が注意をしたが、彼女はずかずか中に入っていった。


「見るだけだよ!」


 小走りに璃々が菜音穂についていく。


 躙り口をみつけて菜音穂が開けようとするから、璃々が手を止める。不満そうに菜音穂が振り返って美鶴に尋ねた。


「これなに? 猫や犬の出口?」


「違うよ。そこからお客さんが来るの。お茶はみんな平等だから頭を下げて入ってくるの」


 ぶっきらぼうに答える。

 しゃべるといぐさのいい匂いがするのに、いまは心がささくれ立っていた。


 ここはパパが大事にしているところなのに。

 そう思うと早く連れ出したくて仕方ない。


「このドアなに?」


 水屋への扉を開けようとして同じように璃々に止められた菜音穂が半ばにらみつけるようにこっちを見た。


「水屋。ねえ、菜音穂ちゃんお茶をしたことあるの?」

「ないよ。なんで?」


「だったら興味ないよね。さっきも言ったけど、ここに入ったからってなにか触れるわけじゃないし、面白いものなんてなんにもないよ」


 つっけんどんに言うと、菜音穂はさらに眉根を寄せてにらんだものの、ぷいっと顔をそむけた。


「へー! ここがお茶室なんだ!」


 言うなりわざとジャンプしながら茶室に飛び込んだ。


「菜音穂ちゃん!」

 悲鳴のような声を璃々が上げる。


 カッとなった美鶴も菜音穂を捕まえようと板場を走り、茶室に向かって正対する。


 そして。

 あっけにとられたように口を開いた。


 そこには。

 ひとりの女の子がいたのだ。


 いや、女の子というのはおかしいかもしれない。

 姉の成美よりも年は上だ。


 だけど、美鶴の目に彼女は〝大人〟には見えなかった。


(高校生ぐらいかな)


 茶室の壁際。


 障子窓がとられている側に立っているその娘は、病人のような浴衣を着ていた。髪は短く切りそろえられていて、それが童顔の要因かもしれない。顔は青白く、黒目がとても大きい。唇の色はまるでなく、まさに死人のそれだった。


「なにをしているの? 美鶴」

 突然声を掛けられ、びくりと美鶴は肩を震わせた。


 祖母の京子だ。

 途端に畳の上で側転を繰り返していた菜音穂が身体をすくませて大声を上げた。


「美鶴ちゃんが遊んでいいって言ったの!」

 璃々が怒りに燃えた目を向けたからだろう。


「私、今日はピアノの日だった! 帰るね!」

 言うなり菜音穂は小動物のように駆けだした。


 そのまま茶室を飛び出し、数秒後には玄関扉が開いて閉まる音がする。「さようなら」の挨拶もせずに菜音穂は帰ったのだろう。


「美鶴ちゃんのお祖母ちゃん、ごめんなさい」

 なぜか璃々が泣きそうな顔で謝るから京子は笑った。


「璃々ちゃんはなにも悪いことはしていないんでしょう? ほら早く美鶴のお部屋に行ってパソコンを観たら?」


「パソコンじゃなくてYouTubeだよ。……あの、お祖母ちゃん」


 そっと京子に話しかけ、ちらりと少女の幽霊に視線を走らせる。京子も無言で頷いたということはちゃんと見えているらしい。


「さ。ここは遊ぶところじゃないからね」

 璃々と美鶴の肩を抱いて京子は茶室を出た。



 その日の晩。


「本当だわ。実体化しちゃってるわ」

「美少女だよね! 超かわいいよね!」


 茶室から戻った陽子と成美の反応は真逆だ。

 陽子はがっくりと肩を落とし、成美は「家に美少女の幽霊がいる」となぜかご機嫌だ。


「この家の内見に来たときは、ぼやーっだたわよねぇ」


 リビングの掘りごたつでほうじ茶を飲みながら京子がのんびりと言う。

 季節はもう6月なのでこたつとしての機能はなく、あくまでリビングテーブル扱いだ。


「ぼやーっどころか最初は成美、気づかなかったわよね? あ。私も飲む」

 陽子も掘りごたつに座って京子に手を伸ばした。


 仕事を終えてそのままだからジャージ姿のままだ。陽子は近所のジムで雇われインストラクターをしていた。


「ごめんね、茶室に入って」

 どきどきしながら美鶴が謝る。陽子は笑って首を振った。


「いいのよ。お祖母ちゃんから聞いたわよ。最初は断ったんだって?」

「杵築地区の菜音穂ちゃんでしょ? あの子さぁ登校班でも有名だよ? 言うこときかないって」


 成美が上級生ぶって腕を組んだ。


「美鶴が茶室に行ってくれたからあの子にも気づけたんだし……。ってか現代の子じゃないわね、あれ」


 京子に淹れてもらったお茶を飲みながら陽子が言う。


「江戸時代?」

 陽子の隣に座り、興味津々に美鶴は尋ねる。


「そんなに古くないわよ。昭和中期ってかんじじゃない?」

「お祖母ちゃん生きてた?」


 美鶴が尋ねたら、京子はむっとした顔をした。


「お祖母ちゃんは戦後生まれです」

「あの子何歳に見える? 高校生ぐらい?」


 美鶴はみんなの顔を見回した。


「それぐらいに見えたよ。16歳ぐらい?」

 成美も同意する。陽子と京子もうなずいた。


「成人には見えなかったわねぇ。なんかこう……訴えたいことがあるのかしら。だからあんなにはっきり存在をアピールしてるのかねぇ」


「訴えたいことがあったとしても」

 京子はため息をついてほうじ茶を飲む。


「この家の誰が聞けるっていうの」


 言われてみんな顔を見合わせる。


 そうなのだ。

 雅治をのぞくみんなは幽霊と呼べる存在を見ることはできるのだが。


 声が聞こえない。

 時々口をぱくぱくさせている幽霊を見るが、陽子が代表して「すみません、うち、聞こえないんです」と言うとだいたいあきらめて消える。


「言ってみる? 今度。うちはみんな聞こえないんで、って」

 陽子が提案したが、京子は首を振った。


「放っときなさい。なんか訴えたいことがあれば向こうからこっちに来るでしょうし。そのとき言えばいいでしょう」


「それもそうね。ま、それにあれだけ実体化しちゃったんなら家の中を歩き回って来るでしょうから。あんたたちも、何か訴えられたらそういうのよ」


 母親に言われ、姉妹はそろって素直に首を縦に振った。


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