茶室の幽霊

1 山藤家の四人

◇◇◇◇


 山藤やまふじ一家がその家に引っ越してきたのは、長女が6年生、二女が4年生になった春だった。


 購入のきっかけは、世帯主である雅治まさはるに辞令が出て、長きにわたる単身赴任生活が終了したこと。


 大げさな言いかたをすれば、雅治とその妻 陽子ようこの終の棲家がB市に決まったのだった。


 日本各地へ転勤していた雅治とは違い、妻の陽子と長女の成実なりみ、次女の美鶴みつる、それから妻の実母である京子きょうこは一貫してB市にとどまり続けた。子育て支援が手厚い市であったことと、陽子が生まれ育った土地であることも重要視された。


 なにしろ夫は結婚以来ずっと単身赴任。

 家計を支えてくれていることは重々わかっているが、育児については戦力外であることは認めざるを得ない。であるなら、地の利・人の和をすでに得ている陽子の地元で子育てをすることこそ肝要であると夫婦で判断を下した。


 折々には子どもを連れて雅治の実家へ訪問したが、「これじゃあ嫁をもらったのか婿に行ったのか」と陽子は散々嫌味を言われた。


 雅治も陽子の負担は重々理解していたため、嫌味を言い続ける自分の実家には「文句ばかり言うのなら俺も二度と会わないし、孫も会わせない」と宣言し、嫁と自分の実家の紛争に終止符を打った。


一方で会社に対して『最終的にB市に戻りたい』旨を伝え続けていたため、ようやくの辞令だった。




「あのさあ、ママ」

 もそもそと引っ越し蕎麦を食べながら美鶴がダイニングテーブルの向かいに座る陽子に話しかけた。蕎麦が嫌いなわけではなく、美鶴は「すする」ということができない子だった。


「この家ってさあ、なんかいるよね」

 美鶴の一言に、成美も続いた。


「私もいま、それを言おうと思った」


 成美はきれいに蕎麦を食べ終わり、ごちそうさまと発声してから箸置きに箸を置いた。


 陽子も京子も口にはしなかったが、今年から小学校の最高学年という自覚があるのか、このところ成美はとても大人ぶった仕草をしていてほほえましい。つい最近まで『ごちそうさまは?』としつこいぐらい言っていたのが嘘のようだ。


「物件を下見したときから、なんとなぁく気づいてはいたのよねぇ」


 祖母である京子はすでに食べ終わっており、湯飲みのお茶を堪能しながらつぶやいた。


「だけど雅治さんが、ほら。茶室を見て気に入っちゃって」


 成美と美鶴の母親である陽子は仕方ないとばかりに肩をすくめ、まだ鉢に残っている蕎麦をたぐる。


「パパの唯一の趣味だもんねぇ、茶道」


 成美がテーブルに頬杖をついて言う。食事中なら注意をするところだが、もう食事も済ませているからいいかと大人たちは思った。


「でもその茶室にいない? ごちそうさま!」


 美鶴が元気よく発声し、京子が「おそまつさまでした」と応じた。


 なんとなくダイニングテーブルを囲むみんなの目が合う。


 そうなのだ。

 美鶴が言うところの「なんか」は茶室にいる。


 山藤家が購入した物件は新築ではない。

 中古物件だった。


 本当は新築がいいと、雅治以外の全員が思っていたが、この中古物件には茶室がついていた。


 『家族を溺愛すること』以外の唯一の趣味が茶道である雅治は、一目でこの物件に心奪われた。


 家族となって十数年。これまで陽子たちも大変だったが、雅治だって孤軍奮闘した。


『パパにもご褒美があっていいんじゃない?』と、陽子が提案し、子どもたちも学区が変わらないし自分たちの部屋ができるならいいか、と納得した。


 最終的に京子が『私の貯金を使ってもいいからフルリノベーションをして』と言い、京子からの援助も含まれての物件購入となった。


「おばけのいる家を買っちゃった」

 日本茶が苦手な美鶴は麦茶を飲みながら歌うように言う。


「ちょっと、あんたまさか学校で変なこと言ってないでしょうね。『私は霊が見える』とか!」


 急に成美がまなじりを吊り上げる。


「私まで『あんたの妹、イタい子ね』とか言われちゃうじゃない!」

「言ってないよ。私だって『不思議ちゃん』とか言われたくないもん」


 美鶴が口をとがらせて姉に言い返す。

 その様子を見ながら陽子は苦笑いをした。


「ママの頃もいたからねぇ。『霊能力あります女子』。みんな白けてるのに、なんであんなに必死になって言うんだろう。もし本当に見えてるんなら黙ってりゃいいのに」


「私はこうやっておうちで話せるけど、きっとそんなひとたち、おうちで話せないんだよ。だから外で言っちゃうんだろうね。だとしたらうちは恵まれているね、お姉ちゃん」


 美鶴が満面の笑みで成美に言い、成美は盛大に顔をしかめた。


「全然恵まれてないよ。普通はみんな見えないんだよ? パパだって見えないじゃん」


「お祖母ちゃんの血筋なんだろうねぇ」


 他人事のように京子は言って、茶を飲むから陽子は苦笑する。


 血筋と言えばそうなのかもしれない。

 陽子の実家である佐藤家の性別「女」はもれなく見えるのだから。


「でも昔は見えるひとは結構重宝されたもんだよ? いまみたいに嘘つきよばわりされなかったし。なんていうの? かまってちゃん? って言われなかったもんだけどねぇ」


「いまは令和なの」

 京子に成美が言い返している。


「それにうちの家って、見えるだけじゃん。なんかこうさ、陰陽師みたいに祓えるわけじゃないし」


「そりゃあんた、ああいうのはすごい修行をしなきゃできないもんよ。お祖母ちゃんの従姉妹もそりゃあすごい修行をして……なんになったんだっけ、陽子」


「しらないわよ。誰のこと?」

「ほら、私の従姉妹の……」


「茂子さん?」

「そっちじゃなくて……」


「でさでさ。結局さあ」

 話がどんどんすり替わっていくのに焦れて美鶴が大声を上げた。


「あの茶室のなんか。放っててもいいの?」

「いいんじゃない?」


 陽子と京子が声をそろえた。

 事実、なにかがいるとは思いつつも「嫌な感じ」はない。


 そもそも陽子も京子も危機能力には優れているつもりだ。


 物件を見て回る時に少しでもいやな雰囲気があれば即断っていたし、それ以前にこの学区内であればいろんな意味を含めて「危険個所」は知り尽くしている。


 成美や美鶴の前でこそ言わなかったが、陽子と京子はすでに話し合っていた。

 世の中は霊にあふれている。ただそれが波長によって見えるか、見えないかだ。


 もちろん人に害をなすものもあるが、そんなのは相当な一部だ。

 人間だって全員が犯罪者になるわけではない。霊とて同じだ。


『この家にいるあれは無害』

 陽子と京子は最終的にそう判断した。


 それに幸か不幸かなにかいるのは茶室だ。

 見えない雅治しか利用しない。

 ならばしばらく様子見でもいいだろうと考えた。


「でもあんまり茶室には近づかないでね。パパのお道具もあるし」


 さてと、と食器を片付けようと陽子が立ち上がり、娘たちに言う。

 畳に炉がきってある関係で炭やライターが置いてあった。もちろん子どもたちの手の届かないところにおいてあるが、なにをするか予想できないのが子どもだ。


「パパがいるときなら入ってもいい?」

 美鶴が言う。


「ってかパパ、いつこの家に住めるの?」

 成美がいぶかしそうに眉根を寄せる。


「さあねぇ。むこうの引継ぎが終わってからって言ってたけど……」

 陽子は苦笑する。


 一番住みたがっていたひとが一番住めていないこの現状が少しおかしかった。

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