怪異3

アキラとヒオ

◇◇◇◇


「おはよう、アキラ。起きてる?」


 合鍵を使ってアキラのマンションに入ったヒオは、珍しく熱烈歓迎を受けた。


「よかった、待ってたんだ、ヒオ!」


 リビングから走り出てくるアキラに感激したヒオだったが。

 アキラはぎゅっとその手にシップを握らせた。


「背中に届かない。貼ってくれ」

「アキラ……。24歳の女性が付き合っている男性に言うことがこれ? 手渡すのがシップ?」


「まだ付き合ってない」

「ひどい。ぼくのことは遊びだったんだ。きまぐれだったんだ。あんなプロポーズまがいのことを言っておいて」


「将来的に責任とってほしかったら結婚するけど、まだその気はない」


 断言されてヒオは不満そうに唇を尖らせたが、すぐに「そうか結婚する気はあるのか」と安堵しながらシップを手に持ったままアキラの後ろをついて歩く。


「肩こりがひどくて……。いろいろやってみたんだけどもうだめだ」


 一緒にリビングに入り、ヒオは納得した。

 きれい好きというか極端なミニマリストのアキラにしては珍しく雑然としている。


 ネットに接続されているのか、テレビには画像の一覧が映っていて、いずれも『速攻効果!肩こりにはこれ!』『上半身のストレッチ最短5分!』などという大見出しが踊っている。床にはヨガマットが敷かれ、肩にかけるタイプのマッサージ器もコンセントにつながれたままだ。


「ここ。ここにお願いしたい」


 薄いこんにゃくのようにでろんとしたシップを手にしたヒオに背を向け、アキラはおもむろにTシャツを脱いだ。


「ハの字にこう、シップを」


 さすがに前部分はTシャツで隠してはいるが、背中はむき出しだ。ブラジャーのストラップが丸見え。


 アキラはその態勢のまま、手で自分の首から腕の付け根にかけてを撫でた。


「貼るけどさ、アキラ」

 ヒオはため息交じりにシップのフィルムをはがす。


「何度も言うけど、君、無防備がすぎるよ?」

「誰にでもやってない。ヒオにだけだからいいだろう」


「いいか悪いかわかんないよ。このままぼくが襲ったらどうすんのさ」

「ぎゃあ! お前、貼る前は言えよ! 冷たさで心臓が止まるかと思っただろう⁉」


「じゃあ二枚目貼りますー」

「うっし! 気合をいれ……って、なにやってんだ! ちょ、やめろ!」


「え? 背中にキス」

「いらん、そんなもん! シップを貼れ……冷った‼ って、だから貼る前に言えよ!」


「はいはい。ぼくが理性的な男でよかったねー。おしまいです」

「どこが理性的だ! キスしたくせに!」


 ぶつぶつ言いながらもアキラは素早くTシャツをかぶり、振り返ってじろりとヒオをにらむ。だがヒオのほうは意に介さず、シップのフィルムをゴミ箱に捨てた。


「というかさぁ。絶対その肩こり、運動不足からきてるんじゃない? アキラ、ほとんど身体動かさないから」

「そういうお前はどうなんだよ。おんなじ生活してるだろう?」


 アキラはやれやれとばかりにテレビのリモコンを操作してYouTubeの接続を切る。


「ぼくは毎朝5キロジョギングしてからここに来てる。お風呂入る前は筋トレするし」

「………」


 無言のままマッサージ器をクローゼットにしまうアキラの背中に、ヒオはここぞとばかりに言葉をぶつけた。


「アキラのマンションの近所にジムができたんだよ。知ってた? 年会費も月会費も安いし、ちょっとだけのぞいてみたらいい感じだったんだよ。一緒に行こうよ」

「そんなところ、あれだろう? 年配者ばっかりじゃないか? すぐ予約とれなくなってさ」


「トレーナーさんもオーナーさんも30代ぐらいかな。だから客層も比較的若いよ?」

「えー……。入ったところでどうせ行かなくなるし」


「ぼくが行くから一緒に行けばいいよ。そしたら三日坊主にもならないし」


 さらに誘うが、アキラは「えー」と言いながらシップの箱を救急箱の中にしまっている。


 ちゃんと片付けするのは感心するが、そのあと「よいしょ」とばかりに腰をおろし、ヨガマットに手を伸ばしたものの届かず、しまいにはごろりと床を転がって移動しはじめた。


 ヒオはため息をつく。とうとう二足歩行まで拒否しはじめた。


「ってかさ。香取議員に聞いたんだけど、昔はアキラ、すごく身体を動かしてたんだろう?」


 仰向けに寝転がってヨガマットを腹の上で丸めているアキラはまるでラッコのようだ。ヒオは腕を組んでそんな彼女を睥睨する。


「私? 別に。普通」

 心底きょとんとしたようにアキラは言う。


「トレイルランニングをしてたって」

「違ぇよ」


 途端にアキラは顔をしかめた。


「荒行だよ。なんだよそのカッコい横文字! じじぃとばばぁに強制参加させられて修行の一環で山を走り回ってたんだよ!」


 むくりとアキラはヨガマットを抱えて起き上がる。


「継げ継げってうるさいから昔はそれなりに修行したり訓練したりしてたの」

「香取議員は楽しそうだったって」


「認知ゆがんでんじゃねぇの、あのおっさん」

「でも基本的にアキラ、身体動かすのは嫌いじゃないでしょう? ときどき、夜の公園走ってるじゃない」


「あれはアドレナリン放出したいだけ」

 気のないふりで言うアキラを見つめ、ヒオは眉尻を下げた。


「ぼく関連のことでプライベートの時間、削ってるからだよね。だから運動できないんじゃない?」


 アキラに救い出されたのち、ヒオは彼女と一緒に住むんだと思っていたが、アキラはそれを拒否した。


 ヒオに生活能力がまったくなければアキラも別手段を考えたようだが、電車の乗り方や買い物の仕方を覚えればアキラはヒオに織部の別宅を自宅にするように伝えた。


 本宅や別荘などは香取議員によって売り払われ、必要経費と税金を引かれた金額がヒオの口座に振り込まれていた。残っていたのは、ヒオさえも記憶にないほどこじんまりとした別宅だ。なんでも織部西條がまだ売れない頃に使っていた家らしい。


 ヒオはそこに住み、毎日電車を使ってアキラのマンションに仕事をしに行く。


 アキラはというと。

 ヒオが来れば一緒に仕事をし、ヒオが自宅へ戻ってからはヒオにまつわる事務仕事や書類仕事を行っているようだ。


「別に。そりゃ昔はいろいろややこしかったけど……。最近は特になにもないから削るもなにも……」


 アキラがバツの悪そうな顔をする。


 確かにそうだろう。

 ヒオがアキラに助け出された直後は、戸籍の作成から予防接種の予約、口座の作成に相続の手続き、学歴の整理など目まぐるしく動いてくれていた。


 いまはそんなに手間取ることもないが、あの忙しい時期に彼女は少なくとも「自分の身体を動かす」という習慣を手放してしまった。


 ヒオのために。


「ぼく、アキラの足手まといにはなりたくない」

「なってないよ。役に立っているよ」


「シップ貼り要員じゃなくて」

「………」


「だいたいアキラ、お酒ばっかり飲んでさ。ただでさえ最近不健康な生活に傾いてるのに。運動しなかったらさらに死期が早まるよ?」

「死期って……」


「アキラが死んだら、今度こそぼくはぼくの意思で死ぬからね」

「………」


 困惑した様子でこちらを見つめるアキラに、ヒオは目を伏せ悲し気な表情で訴えた。


「だからぼくのためにもジムに通おうよ。ね、アキラ。手続きはぼくがするから」

「……………………じゃあ、うん。まあ……………」


 ヒオは内心で「よっしゃ」とガッツポーズをとりつつも、しおらしい表情のまま「ありがとう、アキラ」と言って見せた。

 

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