4 解決

「清める……?」

 玲がおうむ返しをする。アキラはうなずいた。


「その場を清めるための呪具として箒は古くから女性が使ってきた。実際地域によっては出産の際、分娩室に立てた箒を飾ったり、難産の女性の腹を産婆が箒で撫でる風習が残っている」


「掃き出すという箒の役割にあやかり、出産を促すという意味が込められているんでしょうが、同時に出産の場を清めるという理由もあるのでしょう。医療が発達した現在でも出産は女性にとって命懸けだ。昔ならなおさら。なんらかの悪意により、子どもだけならず母体にも災いが起こってはいけない。だから箒を立てて場を清めた」


 ヒオの説明を受け、アキラは玲を見た。すっと黒い瞳をすがめる。


「あなたは同居と同時に強烈な悪意を受けた。舅や姑からね。私は……まあ、いろんな事例を仕事柄見てきたけど」


 く、とアキラは苦い笑いを漏らす。


「一番強烈なのは生きている人間の悪意だ。このままでは孫の嫁の身が持たない、そうおもったお祖母ちゃんが箒であなたの身体をはたいた。悪意を掃き清めるために。夢とはこの世とあの世をつなげる場だ。比較的容易に誰もがそこを超えられる」


「で……でも。おばあちゃんは幽霊になって現れて……わたしをにらみつけて」


 そうだ。

 仏間。

 箒を手に仁王立ちしていた隼人の祖母。


「それ、立ち位置的ににらんでいたのは隼人さんではないですか?」

 ヒオが穏やかな声で確認を求めた。人差し指を立て、宙で順に位置を示していく。


「仏間、お祖母ちゃん、尻餅ついてお祖母ちゃんを見る隼人さん、その後ろが玲さん」

「言われてみれば……」


 そう言ったのは隼人だ。

 思わず立ち上がり、皆を見回す。


「お祖母ちゃんと目が合った……。それに玲が倒れる直前、玲じゃない声で言ったんだ」

「私じゃない声?」


 いぶかると、隼人がうなずく。


「玲の唇が開いてたんだけど、全く違う声で。ぼくに『お前がそんなやつだとはね。根性なしが』って……。あれ、おばあちゃんの声だ……」


 呆然と隼人は話した。


「おばあちゃんは、ぼくに『根性なし』って言ったんだ……」

「なあ、この家はお祖母ちゃんの家だと言ったな?」


 アキラに尋ねられ、隼人は我に返って首肯した。


「小学生のころは、学校からいったんこの家に帰ってきて。宿題をしたりお菓子を食べたり……」

「なんで直接家に帰らなかったんだ?」


「父は議会や勉強会でしょちゅう家を留守にしていたし、母はお茶やお花の教室仲間と……その。だからご飯とかも……その」


 隼人は口ごもる。

 玲の前では言えなかったのだろう。あの姑は玲の前ではさも自分がいままで家事をすべて取り仕切っていました、という顔をしていたのだから。


「隼人のお母さんが料理をしないことは知ってたわよ」

 そう言ってやると隼人が目に見えて驚くから却って可笑しい。


「だって毎日料理をしている人のキッチンがあんなにきれいなわけないじゃない。まるで新品だったもの」


「玲さんに同居を迫るのに、あんたのお母さんは姑と同居をしなかったんだな」

 アキラに言われ、ぐ、と隼人は言葉に詰まる。


「あんたのお祖母ちゃん、相当怒っている。その怒りはあんたの両親と、それからあんたにもだ」


 アキラは隼人に人差し指の先を向けた。


「私は確かにあんたたちに雇われて怪異の解決に来たが……。基本、霊に甘いんだ。お祖母ちゃんの怒りがおさまるまでは放っておこうと思う。もちろん命にかかわるようなことがあれば即刻介入するけどね」


「アキラ。そういうのをはっきり言うのはNG」


 ヒオが頭を抱えているが、アキラは無視して続けた。


「あんたの祖母ちゃんが言っている。この娘さんは相当な覚悟を持って結婚に踏み切ったのに、お前はなんの覚悟もなかったのか、と。本気でなんとかなると思ったのか、と」


 その言葉を最後に、室内はしばらく無音だった。ときおり聞こえてくるとんびのピーヒョロロという声が場違いなほどのどかだ。


「ずっと思っていたことを言っていいかしら」

「な……なに?」


 玲が口を開くと、隼人は死刑宣告を受ける罪人のように顔を真っ青にして硬直した。


「あなた、政治家は向いていないと思う」

 まじめな顔で伝えた玲の顔を、その場にいた三人は無言でじっと見つめたが。


「ち、違いない!」


 最初に爆笑したのはアキラだった。「失礼だよ、アキラ」とたしなめるヒオも笑っている。


 いつの間にか指摘を受けた隼人まで涙を流しながら笑っていた。


「その……離婚したいと言われるのかと思った」

 ようやくみなの笑いがおさまったとき、隼人がぽつりと言った。


「この結婚は失敗だと思っているわ」

 途端にまた隼人が身体を硬直させた。


「いまのままではわたしだけずっと幸せじゃない。このまま子どもが生まれたらもっと不幸になる気がする。だからね、これはひとつの提案なんだけど」


 玲は小首をかしげた。


「あなた、政治家になるのを辞めない? たぶんそのうち大きな失敗でもしてご両親に突き放されそうな気がするの」


 隼人は黙ったままだ。


「わたし、いまだにいろんな店舗オーナーから声がかかっているのよ。『帰ってこないか』って。だからしばらくはそこで御厄介になってお金をためて……。いつか自分で店を持とうと思うの。一緒に店を経営する?」


 玲の提案に、隼人は顔を上げる。


「わたしはあなたと仕事をして……。もしあなたが大きな失敗をしてもカバーする覚悟がある。あなたのご両親にわたしと同じ覚悟があるかどうかは、それは親子で話し合ってちょうだい」


 玲は隼人の顔を覗き込んだ。


「申し訳ないけど、方向性だけはいま、伝えてほしいの」


 静かに伝える。


「わたしを手放して離婚するか、たくさんのものを手放してわたしと結婚を続けるか」

 しばらく考えたのち、隼人は決然と顔を上げ、玲に告げた。




 その5年後。

 アキラとヒオの手元には一通の招待状が届いた。

 日本料理とうまい日本酒が呑める店を開店したので、ぜひ来てほしいという内容の招待状だ。


 差出人は。

 もちろん、玲と隼人だった。


(『老婆と箒』編終了)

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