8 うぞうぞうぞうぞ

 ◇◇◇◇


 今日から出社できると思ったのに。

 落胆気分で芝浦凛はアパートに戻り、気晴らしにどこか買い物にでもでかけようかと思っていたらヒオからケータイに連絡があった。


 今夜、どこかでお話ができないか、という。


 もちろんと応じ、気合をいれてメイクとヘアセットを行った。念入りに選んだ服を身にまとって、ヒオと約束した場所に向かう。


(ファミレスだけど、きっとここから別の店に移動するに決まってるわ)

 足取り軽く入店する。


 予定の待ち合わせ時間より30分経過したのは、バッグと靴を選ぶのに手間取ったからだ。これもヒオのために使った時間なのだから遅れたことにはならないはずだ。


「いらっしゃいませ。おふたりさまですね」

 営業スマイルを浮かべてやって来たウェイトレスに芝浦は怪訝な目を向ける。


「え? ひとりですけど。ここで待ち合わせてて……」


 そういえばここのところいつも人数を間違えられる。指導中の後輩と休憩がてらカフェにはいったときも『三人様ですか?』と言われて苦笑いしたことが何度もあるほどだ。


「失礼いたしました。いまお席に……」

 戸惑い顔のウェイトレスが頭を下げた時、フロアの一角で男性が立ち上がる。


「芝浦さん、こちらです」


 ヒオだ。

 立ち上がったことで彼の容姿が客たちに知れたらしい。「え、なに⁉ すっごいイケメン!」「カッコよ!」と特に学生たちが大騒ぎしている。


(ま、そうよね。でも彼は私と待ち合わせしているの)


 芝浦は鼻が高い。

 午前中に会ったスーツ姿のままだが多めに見てあげよう。きっと彼も私に会いたくて急いだに違いないんだから。


「あれ? どうしてあなたも?」


 ヒオが待つテーブルに移動すると、彼の隣にはアキラが座っていた。きょとんと尋ねると、アキラは外国人のように肩を竦めた。


「あなたを呼ぶように伝えたのが私だからよ」

「彼女がエキスパートで、ぼくはあくまで補助だとお伝えしたでしょう?」


 ヒオも苦笑している。


「え? これから飲みに行ったりしないんですか?」


 首を傾げると、アキラとヒオは視線を合わせたもののそのことについては何も言わない。


「すぐに済む。座って」

 アキラが促し、しぶしぶといった様子で芝浦はヒオの向いの席に座った。


「ぼくたちはもう注文してますので、どうぞ」


 ヒオがタブレットを手渡してくれる。

 ちらりとふたりの前を見ると、ドリンクバーではなく単品のアイスカフェオレとアイスティーのようだ。


 芝浦はタブレットのメニューをいろいろ見て回った。

 あれもいいしこれもいい。スタンダードにコーヒーにしようかとおもったものの、期間限定のシャインマスカットソーダもいいな、と考えていたら。


 ずぞーっと音がして顔を上げた。

 斜め前でアキラがアイスティーをすべて飲み切っている。


「アキラ」


 ヒオがそっとたしなめている。まったくだ、と芝浦も眉をひそめたが、アキラはストローから唇を離し、斜交いにこちらを見た。


「約束の時間をだいぶんオーバーしている。あなたはヒマかもしれないが、私もヒオも忙しい」

「失礼ね! わたしだって忙しいわよ!」


 言い返し、シャインマスカットソーダをタブレットで注文した。


「単刀直入に尋ねるが、中村さんからなにかもらわなかった?」


 ヒオが手を伸ばしてくれるのでタブレットを渡し、怒っていることを見せつけるように腕と足を組んだら、アキラがそんなことを尋ねてきた。


「中村さん? え。もらったって……なにを」


 目をまたたかせて逆に問い直したもののすぐに閃いた。


「あ! あのおばあちゃんが使いそうな櫛! なに、あれが問題なの⁉」


 いきり立って前のめりになったとき、アキラが耳をすますようなそぶりを見せた。

 直後、かつん、とテーブルの下でなにか硬質な音がする。


「え。やだぁ。またなの?」


 顔をしかめると、アキラがテーブルの下に潜り込む。その間にウェイトレスがシャインマスカットソーダを運んできた。


「ああ、多分これだ。櫛。あなたこれ……」


 つげの櫛を手に、むくっとテーブルの下からアキラが顔を出す。


「捨てたのに何っっっっっ回も戻ってくんのよ、それ!」

 怒りに任せてストローの外装を破り、ソーダに突き刺す。


「ねぇ、あなたその道のエキスパートなんでしょ? 処分してよ!」

「これを、あなたは一度もらったんだよね?」


 アキラは、つげ櫛をテーブルの上に置く。


 さっきまで床に落ちていたものをテーブルに置くなんて非常識だ、と芝浦はため息をついた。


「そうよ。なんか世話になったからって。そりゃわたしだってそんなプレゼントセンス皆無のものを受け取りたくはなかったわよ? だけど突っ返すわけにはいかないじゃない。お礼の品なんだし」


「受け取ったのなら仕方ない。あなたはその時点で呪われた。これは呪具だ」


 まじまじとアキラの顔をたっぷり40秒は見つめてから、芝浦は「はあ?」と声を上げた。


「中村さんが? わたしを? なんで? ってか呪具って……。あれでしょ? 藁人形とかじゃないの? あなた髪の毛がどうのこうのって言ってなかった?」


「藁人形もヒトガタの呪具ではあるけど、櫛も古来から頻繁に使われた呪具だ」

「嘘よ。わたし、知らないもん。聞いたこともない」


 はっきりと言う芝浦に、アキラはため息ついた。説明しようと口を開いたようだが、結局閉じ、そのまま立ち上がる。


「アキラ、座って。耐えて」


 帰ろうとし始めた彼女の手を引っ張って座らせ、ヒオは困ったような顔で芝浦を見た。


「櫛の歴史は古く、石室せきしつにも櫛を置いて邪気を払ったであろう痕跡も多く残されているんだ。イザナギやイザナミという名前を聞いたことある?」


「神様の名前でしょ? スピリチュアルにも興味があるから知ってる」

 がぜん胸を張って答える。


「すごいところからの知識だ」

「アキラ」


 たしなめたあと、ヒオは続けた。


「黄泉の国から逃げ出す時、イザナギは追ってきた悪鬼に櫛を投げるんだ。その櫛がたけのこになって窮地を救う」


「ん? 待って。だったら呪具じゃなくて、いい道具じゃない。だって悪い奴を退けるんでしょう?」


 芝浦は目をすがめたが、すぐにぱっと笑顔を浮かべた。


「あ! ひょっとしてわたしがいま呪われているから守ろうとしてくれてるの⁉ この櫛が! だからしつこく何回も戻ってくるのね!」

「んなわけあるか」


 アキラが吐き捨てた。その言いぶりに芝浦がムッとした表情になる。慌ててヒオが割って入った。


「確かに櫛は悪霊や呪いから身を守る道具でもあるよ。一方で、『くし』という言葉が『し』、『苦死くし』につながるといって忌む場合もある。本来、拾ったりすることも忌避されるものなんだ」


「だったら中村さんって非常識ね! そんなものを渡すなんて!」

 頬を膨らませる芝浦をしばらくアキラは見ていたが、つげの櫛を押し付けた。


「え? なに」

「どうするの、アキラ」


 ヒオも戸惑っている。


「こいつに自分がいまどんな状況なのかわからせてやる。じゃないと呪っている相手が可哀そうだ」

「呪っている相手が可哀そうって……」


 たじろぐヒオを無視し、アキラはつげの櫛を芝浦に突き出した。


「持って」

「え? なんで」


「いいから」


 言うと、アキラは自分のバッグを探り、二つ折りになったコンパクトミラーを取り出した。


「その櫛越しに自分の顔を見てみなよ」


 ぎらり、と。

 剣呑な光を帯びてアキラの黒瞳が輝く。


 見るつもりなどなかったのに。

 アキラの眼光はそれを許さなかった。


 催眠術にかかったように。

 命じられるまま、芝浦はつげ櫛を手に取った。


 目の前にいたはずのヒオはアキラに席を譲っている。


 そのアキラが持つコンパクトミラーには、完璧にメイクした自分が映っていた。

 芝浦はつげ櫛を持ち上げ、ミラーと自分の間に差し挟む。


 そうして。

 櫛の歯越しに自分の姿を見て。


 絶叫した。


 鏡の中の自分は。

 黒蛇のようにとぐろをまいた黒髪に巻き付かれていた。


 それは。

 見る間に。

 うぞうぞうぞうぞとうごめき、瞬く間に芝浦凛の姿を覆いつくした。

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