5 髪の毛
「君が入院した病院の担当医からは丁寧に報告書と検査結果をもらった。当時異食症をうたがっていたようだが、それもない。血液検査の結果もよく、脳の機能障害もない。肉体的には何の問題もないのだけど」
緒方は小さく息を吐いた。
「君が戻ってきたら、またフロアのいたるところで怪異が起こるんじゃないかとみんな戦々恐々としているんだよ」
「みんなが嘘を言っているんじゃないですか?」
芝浦が上目遣いに緒方を見、口紅を丁寧に塗った唇を尖らせた。
「私、仕事中にそんなにたくさん髪をみたことないですよ?」
「それは……」
緒方はそこで口を閉じる。そんな彼を不思議そうに見ながら芝浦が首を傾げた。
「あなたが掃除してないからじゃない? あるいはずっと外出してて自席にいない、とかさ」
アキラが緒方の後を続けた。「アキラ」。とがめるようにヒオが制するが、芝浦はいきりたつ。
「私が自席にいないのは常に後輩の指導にあたっているからです! 営業三課っていってもいろんな仕事があって……」
一息にそこまで言うと、芝浦は少しだけ語彙をやわらげた。
「そんなことを説明したって、あなたみたいな人にはわからないでしょうけど。組織で働くってことはそういうことなんです。みんなが同じことをやってても意味ないでしょう? そんなのは別の誰かがすればいいことだし」
途端にまたアキラが顔を背けて肩を震わせる。「くっ」と忍び笑いの声が聞こえて芝浦は怒りで頬を赤くする。また何か言おうとしたのだが、緒方が先を制した。
「君は知らないだろうが、アキラさんの顧客は幅広い。経歴も知らないのに失礼なことを言わないように」
硬い声で注意され、芝浦は驚いたが、同時に思い直す。どうせ顧客と言ってもたいしたことないのだろう、と。こんな女ができる仕事なのだ。想像がつく。
芝浦はようやく落ち着きを取り戻し、椅子に座りなおした。それを確認して緒方が改めて口を開く。
「産業医としては君の復職について問題はないと思っている。だが、それをかなえるためにはアキラさんからの許可がいる。上はそう判断したし、ぼくもそれが妥当だと思う」
「私が呪われているっていうんですか?」
芝浦はつっかかる。
「そうかもしれないし、君が原因じゃないかもしれない。そこをアキラさんに調べてもらおうという話なんだ」
「どうなのよ」
芝浦は長いつけまつげを揺らしてアキラを見た。
「私、呪われているわけ? だから私が出社したらフロアが髪の毛だらけになったり、私の胃の中から大量の毛髪がみつかったりするわけ? ってかさ。私、今年度に入ってくる新人の指導をしなきゃだし。早く復職したいのよ。さっさと原因を言って対処して」
「魔法使いじゃあるまいし。あんたに何かを振りまいてアブラカダブラと唱えて解決できるわけじゃない」
アキラは立てた人差し指を宙でくるくる回して肩をすくめた。
「……やだ。私いま気づいたんだけど」
がたりと芝浦は唐突に立ち上がった。
「もし私が呪われているとしたら、よ?」
ハーフアップした自分の髪を守るように両手で抑えた。
「私の髪の毛を使って誰かが私を呪っているの? だからそんな……なんか髪の毛の異変というか変なことが起こってんの?」
「そう……なんですか?」
緒方は芝浦に座るように促しながらアキラを見る。
「何とも言えない。ただ、髪というのは昔から呪物として使われるメジャーどころではある」
アキラの返答に芝浦は芝居がかった仕草で自分を抱きしめた。
「藁人形とかに入れるっていうもんね」
「まあ別に髪だけじゃなくてもいい。個人が特定できるものならなんだっていいんだ」
「そうなの?」
「ああ。個人から手放されてもまだ『そのひとのものである』と断定できるものだったらなんでもいい。髪でも爪でも血でも」
アキラの言葉に、露骨に芝浦は顔をしかめたがヒオは興味深げに何度もうなずく。
「すごいですよねぇ。古代から脈々と続いている呪法のほとんどってDNAで個人を特定できるものを欲するんですから」
「確かにそうですね」
目を丸くする緒方に、さらになにかヒオが言おうとしたところをアキラが制した。
「
「聖書でもサムソンの逸話なんかそうですよね。女にだまされてサムソンは長髪を切り、怪力を失う」
ヒオが補足し、「へー」と芝浦が興味なさそうに相槌を打った。
「あんた、退院したのはいつ?」
アキラに問われ、芝浦は応じた。
「二週間前……というか、正確には15日前かな。1週間は自宅安静って指示が出た」
「救急搬送されたのが30日前です。入院は2週間。その間に各種検査を行うと同時に……こちらからもお願いして心療内科や精神科の診察も受けていただきました」
緒方の説明に芝浦は露骨に不満げだ。
「もうぜんぜん大丈夫って診断書をもらって、緒方先生のところに行ったのに『しばらく待機』って言われてさぁ。今日からようやく仕事ができると思って面接に来たのにこれだもん」
「それで体調は? 吐いたり体重が減少したり、夢見が悪かったり……」
「ないない! 元気溌剌!」
アキラの言葉を遮って芝浦はアピールする。だがアキラの声は冷たい。
「申し訳ないけど、いまから少し調査をこちらでもさせてもらうから。あんたの自宅待機はさらに延長だ」
アキラの言葉に芝浦は「えー!」と怒りの声を上げた。椅子を蹴倒してとびかからんばかりの勢いで立ち上がるが、
「調査が短期で終わればそのぶんあなたの復帰も早くなります。ぜひご協力を」
ヒオがにっこり笑ってスマホを差し出した。
「もしなにか怖いことがあればメッセージアプリで連絡してください。ぼくの個人番号ですが交換しましょう」
「わー‼ ありがとうございますぅ♡」
芝浦がいそいそとスマホを取り出し、QRコードを出している間にアキラは緒方に告げる。
「では今日から調査に」
「よろしくお願いいたします」
緒方が深々と頭を下げた。
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