4 産業医が語る

 産業医の緒方が総務課から報告を受けたのは、こういう話だった。


 最初の相談者は、業務委託をしている清掃会社からだ。

 掃除は夜間。職員が全員退所してから週3日行われる。


 だから本来であれば清掃会社の職員と顔を合わせたり、ましてやこうやって報告を受けることもないので、総務課担当職員は首をかしげながらも、昼間に来訪した彼を応接室に通したそうだ。


『ぼく、以前はB型作業所の指導員をしていたんです』

 彼はそう切り出し、担当職員は「はぁ」とあいまいな相槌を打った。


『主に知的障がいのある成人の方が日中お仕事をするところなんです。ぼくはそこで利用者の支援をしたり、日中のプログラムを作ったりしていました』


 担当職員の反応を見て、彼は簡単にB型作業所の説明をした。


『そのとき、ぼくが担当していた利用者のなかに抜毛症の人がいたんです』


『抜毛症?』


『不安やストレスがたまると自分の髪の毛を引っ張って抜いてしまうんです。無意識にやってしまうことですし、他人がとめると余計に悪化することもあったりして……』


 ひどいときは頭髪の半分以上がなくなり、帽子をかぶらせてそれ以上の抜毛をとめようとしたら、今度は眉毛を抜き始めて全部なくなったこともあったらしい。


『その利用者さん。症状がひどいときは自席の周囲に髪が散らばっていて……』

 彼は言いにくそうに担当職員に伝えた。


『営業三課のとある席が、おんなじなんです。ひょっとしてなにか強いストレスにさらされている人なのかも』


 当初は『この話がどうつながるのか』と思っていた担当職員だったが、それを聞いて納得した。


 彼は忠告してくれたのだ。


 報告してくれた清掃員に丁寧に礼を言い、毎回頭髪がものすごく落ちている職員の席を聞いた。念のため、次回の清掃のときにまた頭髪を見かけたらスマホで写真を撮って送ってくれないか、とも伝えたという。


 快諾した彼は早速翌日の作業時にスマホから写真を送ってくれた。


 その様子を見て担当職員は慌てた。

 十数本どころではない。事務をするための愛想のない回転いすの周囲はまるで散髪をしたあとのようになっていたそうだ。


 担当職員は、人事課と担当課長に報告をし、写真を見せた。

 驚いた様子を見せたが、人事課は首を傾げた。


『毎回この量だったら……。変な話、もうこの席の職員は頭髪がないのでは? だとしたら一目でわかるでしょう。言っちゃなんだが、清掃会社のいたずらとかではないの?』


 言われて担当職員は我に返った。そんなこと、まったく想像もしなかったが確かにそうだ。


 だが。

 あの純朴そうな彼が嘘を言ったり、自分をだますためだけにこんないたずらをしかけているとは思えない。


『この席の職員はどうなの? 髪型が変わったり、眉毛がなくなったりしてる?』


 人事課が営業三課の課長に尋ねる。

 課長は神妙な顔をしてスマホの写真を見ていたが、ぽつりとつぶやいた。


『いや。芝浦凛というのがその席の職員なんだが……。彼女は長髪で抜け毛を気にしている様子はない。だが』


『だが?』


 人事課と担当職員は期せずに声がそろったそうだ。

 そのふたりの前で、営業三課の課長は答えた。


『いま、うちの課で問題になっているんだ。とにかくいたるところに……』


 長髪が落ちている、と。


 日中課長がフロアにいる間だけでも、ずっと課員の誰かが何かをつまみ、ごみ箱に捨てているという。


 給湯室では時折悲鳴があがり、のぞきにいくと、急須の中に入り込んだ数本の長髪をつまんで捨てているのを何度もみかけた。


 仕事をしている最中でも小さな悲鳴があがるのはしょっちゅうだ。


 視線を向けると、気味悪そうに天井を見上げ、椅子から立ち上がって頭や肩をはたいている。どこからか長髪が降ってきて、課員にまとわりつくのだという。


 フロアの入り口ではときどき誰かがハンディ掃除機を持ってきて床を丁寧に掃除しているときもあった。目に余る量が出入り口に落ちているのだ。


『誰のものかはわからないけど。ものすごく……髪の毛が落ちてるんだよなぁ……』


 課長は呟き、このときは「しばらく様子を見よう」ということでいったん保留となったという。



 そして数日後、芝浦凛は帰社直後に大量の毛髪を吐いて昏倒。

 救急車で運ばれる。


 途端に、ぴたりと長髪を見かけることがなくなった。


 そこでようやく緒方のところに話が回り、社長は怪異のスペシャリストであるアキラという女性を探し始めたのだそうだ。

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