3 怪異のスペシャリストたち

「緒方先生はもうすぐ来られると思います。あ、どうぞ」

 途端に芝浦の心臓が高鳴る。かっこいい上に声もいい。


「あ、すみません」


 緊張しながら男性の向かいの椅子を引いた。着席に合わせて男性も椅子に座る。

いったいどこの課の誰なんだろうと彼の胸ポケットにぶら下がる名札に視線を走らせるが、あいにく裏返っていて名前が見えない。


(……営業部のひとじゃないのかな)


 でなければ名前はしっかり見えるように着用するはずだ。


「先に自己紹介しておきましょうか?」

 男性の提案にうなずこうとしたら、


「なんでお前が仕切んのよ」

 女性の声が聞こえてきてぎょっとした。


 まったく気づかなかったが男性の隣に女性がいる。

 こちらも腕を組んでいるから名札が読み取れない。


 年は芝浦とそう変わらないようだが、服装も髪型も最悪だ。

 いかにもずっとこれしか着ていませんと主張しているような紺色のスーツ。中の黒いシャツはアイロンがけをしたのかどうか定かではない。


 髪だってひどい。長髪といえば聞こえはいいが、単純に伸ばしっぱなしの髪をうしろでひとつにして束ねているだけだ。

 顔色も悪く、化粧してそれをカバーしようとも思っていない。


「だってただ待っているのもあれでしょう。それに彼女だって不安じゃないか。ねぇ?」

 男性が穏やかに問う。


「そう……ですね。ええ。私は営業三課に所属しております芝浦凛しばうらりんです」

 会釈をして笑顔を見せる。


 すると、女性が芝浦に視線を向けてきた。


 どきりとしたのは。

 その眼光の鮮烈さだ。


 服も髪型もメイクもひどいのに、漆黒の瞳の色だけが極上の輝きを放って芝浦を射抜く。


「ほら君の番だよ。これからしばらくお世話になるかもしれないんだし」

 男性が穏やかな声で促す。


 だが女性はつまらなそうな顔を崩さずに、無言で視線を外した。

 ようやく芝浦は詰めていた息を吐いた。


「ごめんなさい、不愛想で」

 男性が眉尻を下げる。


「いいえ……。あ! お世話になるってことは……あれですか? 課に所属されてくる新人さんですか!」


 芝浦はぱちりと両手を合わせた。

 そうだ。きっとそうに違いない。


 緒方先生から就労許可をもらうと同時にこの女性を自分は後輩として指導するのだろう。


「え……? いや、あの」


 男性が慌てて口をさしはさんでくる。

 そこで芝浦は首をかしげる。


(ん? だったらこの人は誰?)


 今年の新人指導担当だろうか。首をひねっていると、男性が言葉を継いだ。


「あ、ぼくは彼女の付き添いなんですよ」

「付き添い……?」


 繰り返してから脳裏にひらめくものがあった。


「あ!」


 芝浦は口元を抑え、それから声を潜めて男性のほうに身を乗り出す。


「彼女、なにか就業に際して注意しておくことがあるんですか? その……障がいが。なるほどなるほどです。大丈夫です。私、大学生のころは特別支援学校でボランティアをしていたりしたので、配慮はできるつもりです」


 芝浦は大きくうなずいた。


 そういえば採用時のエントリーシートにもそのボランティア体験のことを書いて会社に提出している。人事がその点を考慮して自分の後輩にと送り込んできたのだろう。


 産業医も、芝浦の復職許可を与えるというより、彼女と面会したり顔合わせの場所を作るつもりだったのかもしれない。


(これは早速彼女と信頼関係を築かなきゃ! いまから忙しくなるわね!)


 芝浦は女性と対面し、とびっきりの笑顔を浮かべて見せた。


 ぽかん、と。

 女性は芝浦の顔をしばらく見つめていたが、「くっ」と押し殺したような笑いをひとつもらし、組んだ腕の中に顔をうずめるようにして震えている。


「アキラ」

 男性が声を潜めて女性を注意するので、芝浦は慌てて手を横に振った。


「いいんですよ、ぜんぜん! 恥ずかしいだけなんですよね? あ。お名前、アキラさんっていうんですねー。きれいな名前だぁ。仲良くしてね」


 そううながしてみたが、女性はさらに小刻みに身体を震わせている。男性がこまったようにひとつため息を吐く。


 それを見計らったように扉がノックされた。


「はい」

 芝浦が返事をすると、現れたのは産業医の緒方だ。


「申し訳ない。念のために会長決裁もいただいて来たところです」


 50代前半だというのにもう白髪の医師は、入室するなり男性にむかってクリアファイルを掲げて見せる。それから芝浦を認め、「ああ、来ていたんだね」と声をかけてから隣に座った。


「会長にまで意向をうかがわなきゃいけないぐらいなら、私としては帰ってもいいけど」


 女性はつまらなそうに言い、そのあと大きく深呼吸した。どうやら息を整えているらしい。


「これは失礼……いや、気分を害されたのなら申し訳ない」

「あ。呼吸が乱れているのはさっきまで笑いをこらえてたからで、怒っているわけじゃありませんから」


 男性がこぼすと、緒方は事情を察しかねて瞳を揺らす。

 だが誰もそれ以上なにも言わないから、クリアファイルを男性に差し出した。


「会長も香取先生のご紹介なら問題ない、と。こちらが契約書です。ご確認していただき、中身についてご質問があれば、業務サポート課を同席させますが」


「いらない。ヒオが見てわからないような内容なら請けないから。香取のおっさんにつき返す」


 即座にアキラが言葉を放つ。ヒオと呼ばれた男性は顔をしかめてみせた。


「やめてよ、アキラ。ちょっと黙ってて」


 言いながらクリアファイルから文書を引き出し、視線を走らせる。

 そのパラパラと紙をくる音を聞きながら芝浦は混乱していた。


(え……? このひと、私の後輩じゃないの?)


 どう考えてもこの場を仕切っているのは、アキラという女性だ。

 就労するには付き添いが必要で、産業医のアドバイスを受けるためにここにいるのではないのか。


「えっと。もう自己紹介はしたのかい?」


 緒方が芝浦に尋ねる。芝浦ははじかれたように首を横に振った。


「こちらは水地彰良みずちあきらさん。それから彼女の補佐をなさっている織部氷魚おりべひおさん」


 芝浦はおずおずと頭を下げて見せるが、アキラはそっぽを向いたまま。ヒオだけが書類から顔を上げ、にこりと微笑んでくれた。


「え……っと。芝浦凛です」

 芝浦は繰り返す。


(このひとたちの名前だけ聞いたところでなんにもわかんないんだけど……)


 混乱はおさまらない。

 肩書や社名はないのか。このひとたちはいったいどこに所属し、なにをしているひとで。


 どうして自分は同席させられているのか。


「君の復職についてなんだが」

「は、はい!」


 いきなり切りだした緒方に芝浦は背筋をのばした。


「アキラさんの調査報告を受けて、ということになる」


 ぽかんと芝浦は緒方の顔をみつめた。

 しばらく頭の中は真っ白だ。


「え……? あの、このひとは私が指導する後輩じゃないんですか?」

 ようやく絞り出した言葉に、緒方は怪訝そうな顔をして首を横に振った。


「まさか。彼女は怪異解決のスペシャリストだ。政財界にも顔が利く。社長が直々に探していたんだが、このたび香取先生が橋渡し役となってくださって」

「待ってください!」


 混乱したまま芝浦は叫び、立ち上がった。


「怪異ってなんですか⁉ 私は普通です! 身体だってよくなりました! これ……っ、これ見てください!」


 念のため持ってきてよかった、と芝浦はスーツのポケットから四つ折りにした検査結果を緒方に押し付ける。


「……すでにこれは提出してもらっているよね?」


 緒方は検査結果を一瞥して静かに問う。

 確かにそうだ。会社で倒れ、入院した時に血液からなにからすべて検査をしたのだ。その検査結果の原本は緒方に渡している。いま自分が出したのはそのコピーだった。


「胃カメラも大腸ファイバーも問題ありません! 血液検査の結果だっていいですよね⁉」

「確かにそうだ。医学的にはみればなんの問題もない」


 芝浦はたたみかけるように身を乗り出した。


「だったら私、復職しても……」

「みんなが困ってるんだよ」


 芝浦の言葉を遮って緒方は言う。


 二の句が継げなかった。


 そんなはずはない。

 頭の中でその言葉だけが繰り返される。


 自分は営業三課で必要とされている存在のはずだ。


 特に新人が入るいまの時期、業務の説明や教育、一般人として必要なスキルなどを伝え、たった一年で戦力となる人材を育ててきたではないか。


 次長も先輩も。

 みな、『芝浦くんがいるから助かるよ』と言ってくれていたではないか。


「困るって……困るってなにがですか!」

 気づけば金切り声が喉から迸っていた。


「私がいないからみんなが困っているってことじゃなくてですか⁉」


 緒方は黙ったままじっと自分をみつめている。


『君の言う通りだ』とは決して言わず、『こんなことを言うなんてこの会社の社員はひどいね』と肩をすくめることもない。


「君が来ると、不可思議なことばかり起こってみんな怖がっているんだ。まずはそこを対処してからではないと君の出社は認められない。これは社長の意向でもある」

「私のせいじゃない!」


 淡々と説明する緒方に悲鳴をぶつけ、肩で荒い息をする。


 睨みつける芝浦の視線を緒方が黙って受け止めていたら。


 ぱちん、と指が鳴らされた。

 とっさに芝浦も緒方も音のほうに顔を向ける。


 アキラだ。 

 彼女は椅子に深く座り、足を組んでつまらなそうにこちらを眺めていたが、緒方と視線が合うと、少しだけ首を右に傾けた。


「まずは、先生が聞いたという怪異を語ってもらおうか」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る