送別の品

1 瀬川商社営業三課内での怪異

◇◇◇◇


 瀬川商社営業三課内でのこと。

 布川穂希ぬのかわほまれは会議資料をシュレッダーにかけていた。


 刃が紙を破砕する定期的な音を聞きながら、布川はちらりと足元に置いている段ボールを見る。40人分の会議資料がすべてがパアだ。


 数字が違っていたのだ。


(なんでタブレットを使用して会議しないのよ)

 上司の顔が頭に浮かび、舌打ちをする。


 電子データならば訂正も数字の打ち換えだけで済むし、人数分の資料作りも必要ないのだ。


(それよりなにより、問題は芝浦しばうら


 廃棄資料をシュレッダーの中に押し込みながら、気づけば布川の眉根には縦に深くしわが刻み込まれていた。


 そもそもこの間違った数字をはじき出したのは芝浦だ。

 何度も布川は提出前の確認を求めたし、元データの添付も伝えた。


 それなのに提出時間ギリギリに「これで大丈夫だから! ばっちりあってる!」と押し付けてきたのだ。


 時間は迫っている。仕方なく布川はそれを使用して会議資料を作成し、上司に提出した。


 その直後、上司に呼び出された布川は「数字が間違っている。これは半年前のデータと同じじゃないか」と言われたのだ。


 布川は平身低頭謝り、上司は「会議は明日にリスケするから。会議室を押さえなおして」と指示を出してきた。


 布川は芝浦を探そうとしたが、フロアのどこにもいない。見かねた同僚が手伝いを申し出てくれて、布川は自分で必要な数字を拾い上げ、データを作成しなおした。


 なんとか体裁が整うと、同僚が紙資料を作ってくれることになってようやく息ができた心持だ。


『布川は先にその古い資料をシュレッダーにかけちゃえ。間違って明日の会議に出されたらたまらんぞ』


 誰が出す、とは言わなかったが、絶対に芝浦のことだ。布川は深く頷き、廃棄の会議資料を段ボールにぶち込むと、シュレッダーのあるフロアの隅に移動した。


(だいたい、あいつどこ行ってるのよ、もう!)


 ひとこと言ってやらないと気持ちが収まらないというのに、姿が見えない。ふと見た行事予定のホワイトボードには「芝浦・佐々木 外回り」と書いてあって殴りたくなった。


 それ、今行く必要ある⁉ と。佐々木は芝浦が勝手に「後輩」と称して連れまわしている入社一年目の社員だ。


 イライラしながら布川は段ボールから無造作に資料をつかみ上げる。

 そのとき。


「え……っ⁉」


 紙とは確実に違うなにかを自分の手はつかみ取った。

 反射的に離して、身体を固くして段ボールの中を見る。


(……なにも、ない……)


 ホッチキスを外され、無造作にいれられた紙が山となってあるだけだ。

 だが、確かに自分はいま、ふわっとしたようなやわらかいなにかをつかんだ。


(動物っぽかったけど……)


 そうなのだ。

 一番触感が近いのは飼っている愛犬の毛だ。

 犬種はゴールデンレトリバー。長毛種。その感触に似ていた。


(まさかネズミとかいないでしょうね)


 不安になって段ボールの端をつかみ、何度も揺するが小動物が飛び出してくることはない。


 ほっとした布川は自分の右手のひらになにかが絡んでいることに気づいた。


(……髪?)


 随分と長い黒髪が右手首に絡まっていた。

 布川の髪は肩にかかるかどうかという長さだ。自分のものではない。


 一瞬思い出したのは、最近営業第三課で流れている妙な話。


『ここんところ、めちゃくちゃ髪の毛落ちてない?』


 給湯室で、会議室で、普段業務を遂行するフロアで。

 いたるところに長髪が落ちている。


 信じられない頻度でみかけ、そのたびに眉をひそめて処理をするのだが、それでも追いつかない。


 いつも誰かがなにかをつまみあげ、ごみ箱に捨てているのを目にする。


『長髪の職員は業務中髪を束ねるように。頭髪をなおすときは、ロッカーかトイレで』


 客用の湯飲みにまで髪が混入し、とうとう朝礼でそんなことを上司は口にした。


『なんか変じゃない?』


 女子社員のなかにはそうやっておびえるものもいたが、布川は気にしていなかった。

 以前抜け毛が気になり、「人間は一日に何本髪が抜けるのか」と検索したことがあった。だいたい100本だ。このフロアの人数であれば頻繁に見かけても不思議ではない。


 それに布川には思い当たる人物がいた。

 芝浦だ。


 常に髪の毛を気にし、化粧を直し、グルーミングなみに身だしなみを気にする同期。

 絶対にあいつの髪の毛だと布川は思っている。


(ほんっと邪魔しかしないんだから)


 引きちぎるようにして髪を捨て、シュレッダーにいれるための用紙をつかみ取った時。


 ぎん、と。

 不快な音をたてて急にシュレッダーが止まる。

 表示パネルを見ると「紙詰まり」とあった。


 布川は舌打ちする。ホッチキスを外し忘れたものがあったらしい。それでシュレッダーが緊急停止したのだ。


 紙は三分の二だけシュレッダーに頭を突っ込んだ形で止まっている。布川は残りの部分をつかみ、強引に引っ張り上げようとしたが強く噛みこんでいるのか全く動かない。


「もう! 今日はなんなのよ!」


 悪態をついて逆回転ボタンを押す。

 本来ならば機械の刃が逆回転し、紙を押し出すのだが……。


 シュレッダーはうめき声のようなモーター音を鳴らすばかりで一向に動かない。


「えー……。ちょっと壊れたんじゃないでしょうね」


 布川はもう一度運転ボタンを押すが、やはり「ぎっ」と音を立ててシュレッダーは停止する。


「どうした布川」

 異変に気付いたのか一番席が近い先輩が近づいてきてくれた。


「動かなくなっちゃって……。どうしよう」

 もう泣きたいという言葉はさすがに飲み込む。


「ゴミがいっぱいなんじゃないか? どれ」


 先輩は巻き込み防止のために首から下げている社員証を布川に放ってよこし、シュレッダーの前に座り込む。そのまま前面にある扉を開いた。


 表示板には「ゴミ箱が開きました」と出ている。


 シュレッダーの仕組みは簡単だ。

 回転する刃の下に破砕した紙を受けるゴミ箱がおかれているだけ。

 そのシュレッダーゴミが偏っているため、満杯ではないのにセンサーが反応して停止するときがある。


「え……。なんだこれ」


 言うなり先輩は座ったままいざった。

 手が外れたからだろう。

 シュレッダー内部にあったゴミ箱が外に向かって倒れ、中身を外に吐き出した。


「ひっ」

 布川も悲鳴を上げて後ずさる。


 そこには。

 破砕された廃棄用の会議資料などひとつもなかった。


 ゴミ箱の中は。

 真っ黒だった。


 本来は白か灰色に見えるはずのゴミ箱内。


 そこは。

 ただ、真っ黒。


 乱雑に切られた黒髪でいっぱいになっていたのだ。


「どうした?」

 布川と先輩の様子に同僚のひとりが声をかける。


 なにか答えようとした矢先、「ただいま戻りましたー」と声が上がった。

 首を向けると、佐々木だ。

 その後ろには芝浦がいる。


 が、様子がおかしい。

 芝浦はおなかを抱えるようにして背を丸め、歩くというよりゆらゆらと千鳥足になっていた。


「芝浦?」


 異変に気付いた近くの社員が近づいた。佐々木が振り返り「え? 芝浦先輩?」といぶかし気に声をかける。


 だが本人はそのまま両膝を地面についた。


「芝浦⁉」

「芝浦先輩!」


 フロアにいた社員全員が異変を感じ取って床に四つ這いになっている芝浦を見た。


 彼女はそのままいきなり嘔吐した。

 布川の立っている位置からもそれははっきりと見えた。


 芝浦は怒った猫のように背を丸め、苦し気な声を漏らしながらそれを一気に吐き出す。


「え……っ」


 それは、真っ黒な滝に見えた。


 炭かなにかでも飲んだのかと混乱するほど、延々と芝浦は真っ黒いなにかを吐き続ける。


 そしていきなり電池がきれたおもちゃのように昏倒した。

 フロア中が騒然とする。


 嘔吐したことに、ではない。

 芝浦が気絶したことでもない。


 嘔吐の内容物に、だ。


 彼女が延々と吐き続けたもの。

 それは。

 黒い長髪だった。


 芝浦は。


 胃液にまみれた黒髪の中に顔を突っ伏すようにして倒れており、救急搬送されるために仰向けにされたとき、口からはまだ黒髪が垂れていた。

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