第15話 船客万雷



 鯨の王クイルホローと、ドラゴ・ノースアロライナの会合は、完成したばかりのサクラス川とタラコット分水を繋ぐ、堰の上で行われることになった。クイルホローと対等であることを表明するために、ドラゴ・ノースアロライナは船に乗って、サクラス川に入る。


 船は領主が有事の際に乗り込む、特別豪華な船だった。お父様は、わたしがご褒美に船をおねだりしたときから、船大工を引き連れて張り切っているようなので、あの船くらい豪華な船が完成するとモルシーナから聞いている。


 クイルホローとの会合を前に、船はタラコットの町に到着する。船着き場は町の役人が集まり厳格な様子でドラゴ・ノースアロライナを出迎えた。船からは、お父様と、近衛騎士団が降りる。近衛の中にはテスタートの顔もあった。


 タラコットでは立場が一番であるアルナシーム様が、穏やかな表情のお父様に挨拶をする。形式的な挨拶が終わり、お父様はわたしの前に立つ。わたしと会話がしたくてたまらないというのが表情から見てとれる。



「無事に契約は済んだと聞く。健康はどうだ?」


「元気です。精神的な不調もありましたが、乗り越えることができました」


「ふむ。よろしい」



 お父様は口元をニマニマさせながら、わたしの頭を撫でる。わたしは宝石にはならないけど、お父様の瞳には、宝石のようなウラフリータが映っている。さてはて、お父様にクイルホローを御せるのだろうか。


 ドラゴ・ノースアロライナの到着と同時に、タラコットのお屋敷では会議が開かれた。主催はアルナシーム様だ。もちろん、わたしも呼ばれる。こういう会議には側近を一人付けるのが普通なので、モルシーナに来てもらう。


 本来、側仕えに文官のような立ち回りを求めることは能力的にできないのだが、優秀なモルシーナはオールラウンダーとして活躍してくれる。護衛として剣や魔法の技術には期待をしないでくれと言っていたけど、命をかけて身代わりになる覚悟はあるようだ。


 モルシーナがヨモギと同い年であるということを考え、つい二人を比較してしまう。日本で生まれ育ったヨモギと、ノースアロライナで生まれ育ったモルシーナを単純に比較することはできないけど、モルシーナはとても優秀な女の子だ。


 この考えは、ヨモギ下げみたいになって嫌だけど、脳裏によぎるのは仕方がない。


 会議は、ノースアロライナの文官長を務めているドルケサの司会でスムーズに進行した。学生時代からお父様を支えている優秀な男で、議論を取りまとめる能力が高い。政変による激務のせいか、やせ細っているのが気になる。



「アルナシーム様の方針転換は承知しました。しかし、そもそもクイルホローというのは信頼できるのでしょうか。洞窟に何百年と眠っていた鯨の王など、何を考えているのか想像もつきません」


「その点は安心しろ。ウラフリータは鯨の王を御せる器を持っている。信頼はできずとも、信用はできる。クイルホローの鯨の王としての力は本物だ。必ずノースアロライナに栄光をもたらす」


「……鯨の王の力というのは、いったい何の役に立つのでしょうか」


「大地を肥やすには、様々な種類の竜の魔力を混ぜることが必要だ。しかし、竜の魔力を混ぜただけでは、土地は完全に回復しないことは、近年の研究で判明している。竜の魔力に、鯨の魔力を混ぜることができれば、ノースアロライナだけが豊かな土地を手に入れることができる」



 疲れてしまった大地を回復させるには、竜の魔力を与える必要がある。一種類の竜の魔力ではその効果は弱まってしまう。なので、婚姻などを用いて、他領から性質の違う竜の魔力を持った貴族を嫁がせる。


 現在のノースアロライナの大地には、お父様と第一夫人であるヨーナリーゼ様の魔力が注がれている。大地は、お二人の魔力が混ざった性質をしている。そして、その大地と、お二人の子であるディオランテお兄様の魔力は、かなり似た性質を持っている。


 つまり、今後、ディオランテお兄様が領主になる場合は、また他領から魔力の性質が異なる令嬢に嫁いでもらうことになる。領主一族とは、この営みの繰り返しだ。そして、この営みのなかで、全く異なる魔力の性質を持つ人間がポンと生まれることで、その領の力は一気に伸びる。


 鯨の魔力であるわたしが生まれたのは、絶好の機会だとアルナシーム様は考えている。ドルケサはそんなことは分かっていますという顔をする。彼が言いたいのは、クイルホローの安全性だ。大地に鯨の魔力を混ぜ、それが悪い方に傾けば、取り返しのつかないことになる可能性もある。



「世代が進み魔力が混ざることで、人の身体では耐えられないほどの魔力にまで増幅した歴史があります。大地も魔力に耐えられないということがあるのでは? 実際、ウラフリータ様は鯨の魔力に耐えられなかった」


「大地の許容量を見極めながら、慎重に行えばいい。新しい試みが不安なのは分かるが、ノースアロライナの研究者を信頼しろ」


「……鯨の魔力の有用性は分かりました。では、具体的にクイルホローに対して、ノースアロライナとしてどういう態度をとるのか議論しましょう」



 議論のなかでお父様とわたしは黙って聞いているだけだった。わたしは、まあ言いたいことも、何か言えることもないけど、お父様は積極的に意見を言った方が良いと思う。実際に、クイルホローと会合をするのは、ドラゴ・ノースアロライナであるお父様なんだから。


 それでも会議はドルケサと、アルナシーム様を中心に進んだ。二人以外の発言は、専門性のある分野での、専門家たちの補足だけだった。歴史学、生物学、魔法学での専門家が会議には参加していたが、生物学以外は、アルナシーム様も博識だった。



「では、ドラゴ・ノースアロライナとして、クイルホローには毅然とした態度をとることを心がけよう。交渉事は、その場の判断も重要になる。当日の支援も期待している。皆、頼んだぞ」



 お父様の言葉で会議は終了した。



◇◇◇



 サクラス川とタラコット分水の入り口になる堰の上に、わたしを含めたタラコットの町の役人たちが並ぶ。ひと際豪華な椅子にアルナシーム様が座り、わたしはその隣の比較的に豪華な椅子に座る。


 筆頭側仕えであるモルシーナと合流した護衛騎士のテスタートはわたしの椅子の後ろに立っている。二人と出会ってまだ日が浅いが、安心感がある。会合の規模としては、そこまで大袈裟な規模のものではなく、雰囲気に飲まれることはない。


 サクラス川では、鯨の王クイルホローと、ドラゴ・ノースアロライナを乗せた船が対面していた。上流側に船が停泊し、下流側にクイルホローが浮かんでいる。わたしたちは、その真ん中で、まるで中立のような態度をとる。

 実際、わたしはノースアロライナに肩入れをしているわけだが、ここでクイルホローが死ぬことになったら、わたしの命に係わるのではないだろうか。そもそも、この会合で何が決定するのか、いまいち把握していない。



 正直、お父様が来なくとも、クイルホローの相手はわたしで十分だったと思う。わたしなら実現可能な範囲で、種の調和を目指すことのできる方法を知っていた。クイルホローはその方法を歓迎してくれるはずだ。


 竜と同じ方法で、しかし、トッテンハイムよりも、鋭く、賢く、高いレベルで、わたしは世界を種の調和に導くことができる。ペンは剣よりも強い。竜よりも、鯨よりも、魔法よりも強い。当然、人よりも強い。


 小説は強い。


 そしてわたしの小説は『龍王書記』よりはるかに強い。


 船頭にお父様が登場する。ドラゴ・ノースアロライナと、クイルホローが互いに見つめ合うことで、わたしの周りには独特な緊張感が漂っていた。誰もクイルホローについて詳しく分からないのだ。この会合がどうなるか、予想がつかない。



「ふん。余の前で泣きべそをかいていた小僧が、随分と立派になったものだ。あれから10年で、ノースアロライナはお前のもの。気分はどうだ?」



 クイルホローのジャブから会合は始まった。内容は、わたしの知らないことが含まれていたけど、幼いころのお父様がクイルホローと知り合い、恐怖のあまり泣き出してしまったのは、会話の内容から察することができる。



「ノースアロライナはトロイテンのものだ。俺のものではない」


「ふん。つまらぬ」



 ジャブは華麗にかわす。洞窟で何百年と過ごしてきたクイルホローのコミュニケーション能力では、トロイテン貴族の社交で戦っているドラゴ・ノースアロライナに一切のダメージを与えることはできない。



「余は貴様に二つの要求を用意した。一つ目、貴様の娘を余によこせ。やつは鯨神ウーデローネの魔力を持つ。貴様の手にはあまる代物だ。二つ目、種の調和を目標にノースアロライナはトロイテンから独立宣言をし、やつを王として据えること。要求は以上だ」



 お父様の様子を見て、クイルホローは方針を転換する。精神的な攻撃を止め、さっそく本題に入る。本題とは、クイルホローとノースアロライナの関係性を言語化すること。それは、わたしとクイルホローが契約したというのを踏まえたものになる。もちろん、ノースアロライナとしては、クイルホローと悪い関係性にはなりたくない。


 しかし、クイルホローの要求は、ノースアロライナとしては飲み込み難いもの。内容は壮大でカッコいいが、要点はぼやけている。わたしが独立したノースアロライナの王になり、王となるわたしをよこせと要求することは、ノースアロライナをよこせと言っているようなもの。やっぱり、竜に戦争を仕掛けるつもりなのだろうか。



「……鯨の王よ、勘違いをするな」



 クイルホローの要求に対して、お父様は強気に出た。毅然とした態度をとることは、会議で決まったことだ。そして、ドラゴ・ノースアロライナの意志は、ノースアロライナの利益にある。飲み込み難い要求は、跳ね除けるのがお父様の役目だ。



「貴方は我々に要求する立場にない。ただ、こちらが与えた選択肢を吟味し、後悔がないように選択をするだけだ」


「なに?」


「貴方に与えられた選択肢は二つだ。ウラフリータのために生きるか、ここで鯨の王の誇りのために死ぬか」


「……随分と大きく出たではないか」



 どうしてお父様が、この二択をクイルホローに与えたのか分からない。けれど、困惑した様子を見せる人はわたしの周りにはいなかった。おそらく、クイルホローに与えるには妥当な選択肢なのだろう。


 わたしは「鯨の王を殺せるのですか?」とアルナシーム様に耳打ちをする。アルナシーム様からは短く「可能だ」と返ってくる。可能だとして、やっていいのだろうかと疑問に思っていると、アルナシーム様は「しかし」と続ける。



「鯨の王を殺すことができたなら、それは竜の王を殺せる証明にもなってしまう」


「……」


「トロイテンの社会構造にひびが入る」



 人と竜の均衡が瓦解するキッカケになってもおかしくない。竜の神話が失われることで困るのは、竜の利権を握っているトロイテンにいる多くの貴族だ。ここでクイルホローを殺してしまえば、トロイテン中の貴族から、ノースアロライナは非難を浴びるだろう。



「死ぬと言われたら、困るのはこちらだ。だが……」



 アルナシーム様は途中で発言を止めた。まあ、言わんとすることは分かる。お父様の態度は交渉の手本なのだろう。しかし、都合よくクイルホローがこちらの思い通りに動いたとして、信頼関係が築けるとは思えない。


 そこまで考えて、ハッとする。「信頼はできずとも、信用はできる」会議のときのアルナシーム様の言葉を思い出す。ノースアロライナにとっては、クイルホローとの信頼関係など、はなから必要としていない。


 すると、わたしは個人的にクイルホローと信頼関係を結んだ方がいいのではないだろうか。クイルホローに対して、ノースアロライナは信用する、わたしは信頼する。わたしの役割をはきっとこれだ。



「鯨の王である余が、人の娘の下に就けと?」


「下? 誰かのために生きることは、下に就くことではない。俺もノースアロライナのために生きているが、ノースアロライナの下に就いているわけではないからな。ふたりには信頼関係を結んでもらいたい」


「人と鯨が、どう信頼できる?」


「人と鯨ではない。俺の娘と貴方、ウラフリータとクイルホローだ」



 少なくとも、クイルホローは馬鹿でも無能でもなかった。バカなプライドは捨てることはできるし、自分と、自分の目標のために、利益を最大にし、損失を最小にしようという気概もあった。そうであるなら、ノースアロライナとしては、信用ができる。


 わたしはクイルホローを信頼できるのだろうか。契約を結んだ時点で、無条件で信頼するべきなのだろうか。それとも、クイルホローが態度で示すまで、わたしは心の扉を閉じるべきなのだろうか。



「ウラフリータのために生きて貰えたら、あとは貴方の好きにしてくれ。彼女と強力して、世界の構造を変えてしまっても構わない。ノースアロライナが協力できることもあるだろう。こちらとしては、貴方の鯨の王としての能力を信用したい」


「……ウラフリータのためとは、具体的にはなんだ? やつは何を望んでいる」


「それは、本人と話をしてくれ」



 出番だろうか。わたしは椅子から立ち上がる。対話の文脈に合わせて立ち上がったわたしに、注目が集まる。クイルホローとお父様が乗る船に声が届くように、わたしは一歩前にでる。


 結局、わたしとクイルホローの会話で決着する。


 目下にサクラス川のおだやかな水の流れが映る。わたしの心臓を逆撫でる。恐怖由来の片頭痛がして、顔が歪む。そっと、腰に手が添えられる。モルシーナの手だ。わたしは深く息を吐き、震える唇を治める。



「わたしの望みは、あまりこういう場に相応しくないかもしれませんが……」



 これはわたしとクイルホローの信頼のための話だ。ノースアロライナの領主の娘としてのウラフリータではなく、ヨモギとウラフリータの意志を継ぐ、わたしとしての望みを言葉にするべきだろう。その場合、わたしの言葉は一貫している。



「鯨の王クイルホローを題材にした絵本を出版したいです。それを仲良しの証としましょう」

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龍王文学~異世界で小説家になろう!~ フリオ @swtkwtg

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