第14話 千客万来



 毎日のようにアルナシーム様の背中に捕まって教室に通い、先生と生徒の名前を覚えるころには、タラコットの町での生活も慣れた。朝のノースアロライナ体操も再開して、受け身の練習をしてから、剣の素振りをする。


 教室で学ぶことは、フリタルトの授業よりもレベルが一段上だった。少なくとも6歳で学ぶようなことではない。わたしからの質問を先生がなるべく丁寧に答えてくれるから、なんとか付いていくことができている。


 最近の授業では、この世界で小説を書くには必須の知識が多い。ジルボーデンについての小説で、書き直しが必要な描写も出てきた。ヨモギの知識で書いてしまうと、現代の口だけ賢者ローレライになってしまう。


 教室には優秀な平民の子供がたくさんいた。とくにわたしの印象に残ったのが文学少女のサマトラちゃん。豪農の娘ということで経済力があり、家には娯楽小説を含めた様々な本がある。貴族への受け答えなどは『女流騎士物語』で学んだという。


 勉強に関して分からなかったことをサマトラちゃんに質問すると、すぐに答えが返ってくる。本当に優秀な女の子だけど、教室では真ん中くらいの学力だと彼女は謙遜していた。謙遜ではなく事実だと知ったのはテストのとき。わたしが15点しか採れなかったテストで、サマトラちゃんは70点を採っていたけど、教室の平均点は72点だとナムリテ先生が言っていた。


 アルナシーム様は、わたしに平民の優秀さ、多様さ、個性を伝えたかったのだろう。もちろん、十分に伝わった。そして、ノースアロライナの成功が知れ渡れば、他領も平民の優秀さに目を付けることになる。そうすれば、優秀な平民が大領地に引き抜かれるのは、分かりきったことだ。


 アルナシーム様とご一緒した夕食後には、その話題が上がった。



「わたしが誰よりも早く平民に目を付けたことで、優秀な平民はノースアロライナが独占することができた。しかし、今後はそう上手くはいかない。むしろ、優秀なノースアロライナの平民が大領地に引き抜かれる可能性もある。そこで、ウラフリータにも対策を考えてほしい」



 6歳に期待しすぎではないだろうか。デザートを食べながら、モルシーナに目配せをする。わたしの意思は伝わったようで「アルナシーム様、そのようなことは会議の場でお話ください」と意見してくれる。アルナシーム様は他人に期待しすぎる性格だ。平民にも、わたしにも、大きな期待を向けている。



「ふむ。しかし、ウラフリータは定例会議に参加することができない。では、こうしよう。この件に関して何か対策を考えたら、町の本屋を視察することを許可する。悪い話ではないだろう?」



 わたしはモルシーナに目配せをする。モルシーナは給仕に、紅茶のおかわりを要求する。まさに以心伝心。一回目と、二回目の目配せで、何か変えたことはないのだけど、モルシーナはわたしの思考を正確に読み取ってくれる。


 熱々の紅茶が淹れられる。


 アルナシーム様の言う通り、わたしにとって悪い話ではなかった。



「ノースアロライナから中央学園に入学する平民に、給付型の奨学金を与えるのはどうでしょう。条件は、卒業後もノースアロライナで働くこと。そうすれば、お金はないけど優秀な平民を中央学園で学ばせることができて、さらにその平民を他領に取られることはなくなります」


「ふむ。優秀な平民に投資をするということだな」



 前世の知識を踏まえて、わたしなりに考えてみる。職業選択の自由を考えると、日本でこの形式の奨学金制度は、たぶん無理だ。トロイテンでは、おそらく可能だと思う。なんなら、優秀な平民の流出を防ぐという意味では、かなり良い施策なんじゃないかな。


 でも、ちょっとだけ気になることがある。



「しかし、平民に投資をするよりも、貴族の子息を育てる方が良いような気がします。わたくし、貴族の子息をアリスローゼしか知らないのですが、彼女はとても優秀ですよ。平民を優遇するのは、それはそれで、ノースアロライナの貴族から反感があるのでは?」


「ノースアロライナの貴族は450家。一方で、例えば、そうだな……、ブラウンハイトの貴族は2200家。この圧倒的な差を埋めるには、平民の力が必要だ。それに、平民を優遇したところで、貴族からの反感はない。理由は分かるな?」


「魔法特権ですか?」



 アルナシーム様の口から、ブラウンハイトの名前が出てきたのが気になる。ノースアロライナの仮想敵なのだろうか。政変の全容を知らないわたしには、ブラウンハイトが不気味に思えてしまう。わたしが海に落ちて死んだのは、それなりの理由があるはずなのだ。



「ウラフリータの中央学園入学に合わせて、平民の質を最大まで向上させる。いいな?」


「ディオランテお兄様は?」


「ディオは貴族の旗だ。お前は平民の旗になれ」



 わたしは小さく頷いた。



◇◇◇




 自我の崩壊を乗り越え、魔力の問題を解決しても、水は未だに怖いまま。水はヨモギとウラフリータのトラウマになってしまっているから、わたしの真髄にまで恐怖が浸透してしまっている。


 水への恐怖を克服するには、水を理解し、操り、支配する必要がある。やっぱり、水についての小説を書くべきなのだが、するとスライムになってしまうというジレンマがある。


 どうしたものかと思い悩み、教室でサマトラちゃんに相談してみる。



「ウラフリータ様の感覚が正しいと思いますよ。本来、人は水を恐れるべきなのです。それを傲慢にもウーデローネの意志に反し、自然を操れると思い込み、水への恐怖を忘れてしまっているのです。水が怖いというのは、長所にもなるのでは?」


「……サマトラちゃんって何歳かな?」


「14になります」



 サマトラちゃんはわたしにはなかった視点をもたらしてくれた。水へのトラウマが長所とはどういうことだろうか。サマトラちゃんの考えを深く知るために、彼女が書いた何かしらの本を読みたい。彼女の哲学を知りたい。


 竜結びの義を終えれば、本を読むことができる。外の世界に出ること以上に、本を読むことは、世界を知ることができる。百聞は一見に如かず、と言うけど、わたしにとって一読は、百見に等しいのだ。


 秋も深まり、アルナシーム様の公共事業も終われば、タラコット分水の完成披露と同時に、竜結びの義が行われる計画だ。そのときには、ノースアロライナの貴族が、タラコットに集結する。


 ノースアロライナだけではなく、周辺地域からも多くの貴族や、行商人が集まることも予定されている。サマトラちゃんのように、優秀な平民の引き抜きに気を付けなければならない。民は領地の資財である。サマトラちゃんは、わたしのものだ。


 そんな決意をしていると、なにやら慌てた様子の男が教室にやって来る。何度か見たことのある人だ。お昼ご飯を配膳したこともある。先生も授業を中断して、男に話しかける。その人は、わたしの姿を確認するやいなや、先生の言葉を無視して、わたしの膝元に跪き、挨拶を省いて、報告を始める。



「報告します! サクラス川に人の言葉を話す鯨が出現! 鯨は、ウラフリータ様をここに呼べと要求しております!」


「……鯨?」



 男を警戒して立ち上がり、拳を振り上げていたサマトラちゃんが呟く。サクラス川にやってきた鯨というのは、鯨の王クイルホローのことだろう。すっかり存在を忘れていた。記憶を失ったせいで、前後の記憶があいまいだけど、しっかり契約を結んだはず。



「……アルナシーム様を待ちます。報告には向かいましたか?」


「別の者が向かっております!」


「竜の導きがありますように」


「ありがたき幸せ!」



 ねぎらいの言葉をそれっぽく伝えると、五体投地をする勢いで頭を下げて感謝される。そんなに嬉しいものなのだろうか。貴族と平民の関係性のようなものもまだ掴みきれていない。普通の関係性を学ぶ前に、アルナシーム様が作り上げた、新時代の形に触れてしまっている。


 授業が再開する雰囲気ではなかったので、アルナシーム様が教室に迎えに来てくれるまで、サマトラちゃんと雑談をする。貴族と平民が、雑談をするというのも、おそらく本来ではありえないことだろう。


 鯨とは何かを聞くと、6歳にも分かるように、理路整然と分かりやすく答えてくれる。鯨とは伝説上、または歴史上の生き物であり、現代においては長らくその姿を目撃することはなかった。クイルホローは洞窟の隅っこに封印されていたからね。


 また『龍王書記』には、トロイテン建国以前、竜と鯨は対立していたと記されているようだ。クイルホローとの会話のなかでも、二つ目の条件として「竜の思想に惑わされず、鯨の子として生きること」というのがあったのを思い出す。


 アルナシーム様は、すぐにわたしを迎えに来た。エスコートされながら、青い竜に跨り、アルナシーム様の背中にくっつく。長い灰色の髪が良い匂い。安全を確認してから、青い竜は飛び立ち、クイルホローが現れたとされるサクラス川に向かう。



「計画通りにいかないものだ。クイルホローが動けるとは思わなかった」


「計画とはなんですか?」


「お前とクイルホローの契約は、一時的な延命処置だ。時間をかけて、竜と契約する方法を探る予定だった。しかし、クイルホローが動けるのなら話は変わる。さて、よくもわるくも動けるのなら、クイルホローには都合よく動いてもらおうか」


「クイルホローを裏切るつもりだったのですか?」


「トロイテンの貴族社会は、鯨と契約して乗り越えられるほど甘くはないな。お前がいくら優秀だとしても、余計な苦労をする必要はない。と、考えていたが、クイルホロー次第では、竜と契約するよりも、貴族社会で優位に立ち回れる可能性もある」



 アルナシーム様はしたたかだね。鯨の王であるクイルホローですら、手のひらの上で転がそうとしている。トロイテンの端っこにある田舎のノースアロライナが、大領地と渡り歩くには、王を手玉に取る強さが必要なのだろう。


 わたしには、鯨の魔力と竜の魔力の違いが分からない。海を泳ぐか、空を飛ぶか、鯨と竜の違いで分かるのは、このくらいだ。はるかむかし、対立構造にあったことからも、この二つの種族の性質は酷似しており、パイを奪い合っていたのだろう。


 少なくとも、ヨモギとウラフリータの知識では図れない。



「……ウラフリータは竜だった。ヨモギは鯨だった」


「どういう意味だ……?」


「気にしないでください。わたしの思い付きや、呟きのほとんどが空想物語のような妄言です。しいていうなら、詩でしょうか」



 わたしたちを乗せた竜が、サクラス川に到着する。サクラス川は川幅が広く、水の流れはゆったりとしていた。水質は透き通るような美しさで、ノースアロライナに恵みをもたらすというのが見て分かる。


 しかし、雄大なあまりに、自然が人に牙を剥くこともある。サクラス川が決壊すると、アロイド平野の農場は壊滅する。そればかりか、海抜よりも低く、水はけが悪い土地なので、あふれ出した泥水がいつまでも溜まり続けることになる。


 わたしの膝が笑う。喉元にナイフを突きつけられているような、冷えた感覚になる。でも、大丈夫。ナイフよりも、ペンの方が強い。深く息を吐き、アルナシーム様のエスコートを受けながら、竜から降りる。


 降りた先には、人だかりができていた。人だかりの向こうには、サクラス川にプカプカ浮かぶ、クイルホローの背中が見えている。鯨の背中は、龍神メテロノーレの光を浴びて、紺色に輝いて見えた。


 アルナシーム様は竜の頭を撫でて宝石にする。それから、わたしの頭も撫でて、こちらに注目している群衆に向かって歩き出す。わたしは宝石にならないけど、アルナシーム様の小さくて、丸くて、けれども頼もしい背中についていく。



「遅い」


「待つのは慣れているだろう」



 クイルホローの威厳を孕んだ一言に、アルナシーム様は覇気を持って答える。二人のやりとりが仰々しく感じるのは、わたしだけだろうか。アルナシーム様が歩くと、群衆は左右に分かれ、道が生まれる。


 アルナシーム様は道を歩き、クイルホローと対面する。契約をしている影響か、クイルホローに温かみを感じるね。なんだか安心する。撫でたら宝石になるだろうか。竜と鯨は違うから、宝石にはならないだろうね。



「ふふふ。これまで、長く感じた数日は無い。ウラフリータと契約をした日から、余の体調はすこぶる優れている。全盛の時代に引けを取らない。鯨が日の目を浴びるとすれば、背中の渇きなど、どうということはない」


「よく喋る」


「気分がいいのだ。よし、ウラフリータ。人の一生は長くない。お前が存命のうちに、我々は天下を統一しようではないか。全ては種の調和のため」



 会話の矛先がわたしに向く。サクラス川に浮かんでいるクイルホローと、川岸に立っているわたしとでは、洞窟のときよりも距離があった。触れられないから、撫でることもできない。



「種が調和すると、何か良いことが起こるのですか?」


「世界が正常に動くには、種の調和が必要だ。竜に支配された世界は、健全とは言えぬ」


「そうですか? 十分に快適だとは思います」


「竜と契約をした人にとって、この世界は快適だろうな」


「わたしは鯨の王の貴方と契約していますよ。それでも快適です」


「ふむ。しかし、竜と契約をした人の子として生まれ、その恩恵に授かる立場にいる。世界の乱れを自覚できないのも仕方ない。知っているか? この世界の平均気温は毎年のように上昇している」



 人間の利益だけではなく、世界のことを考えた環境問題に取り組みましょうみたいな話だろうか。ウラフリータは特権階級の人間だ。特権を与えられたのだから、自己満足の人生ではいけない。もちろん、わたしにとっての自己満足とは小説を書くことだ。



「では、種とやらを調和する方法を考えましょう」


「方法だと? そんなものは、戦争を仕掛ける以外にあり得ない」


「野蛮ですね」



 戦争という言葉が出てきて、群衆のなかにいたタラコットの町からやってきた兵士たちが難色を示す。政変と呼ばれる内乱が終わって、また戦争が始まったとしたら、平民の生活は瓦解する。せっかく手に入れた平和だ。しばらく戦いたくはないだろう。



「もっとセクシーな方法で種の調和を目指しましょう」


「その必要はない。竜と戦い、その支配の一部を削り、削り取った一部で種を保存する。安心しろ。竜と戦い勝利できると思い上がるほど、うぬぼれてはいない。奇襲を行い、傷をつける。それで十分だ」


「いえ。不十分です」



 クイルホローは『龍王書記』が世界にもたらした影響を知らない。この本があり、人が龍王書記に従い生きる限り、竜の時代は終わらない。戦争を仕掛けて、勝った、負けたという浅はかな次元では種の調和という目標は叶えられないだろう。



「ペンは剣よりも強いのです」


「……どういう意味だ」



 意味が分からないのも仕方がない。クイルホローは鯨の王だけど、王の器ではないのだろう。知識がなく、経験が浅い。経験が浅いのに、自分の経験だけで何かを行おうとするから、戦争という浅はかな考えが生まれる。



「まあ、待て。お互いに落ち着きなさい」



 アルナシーム様は、討論を治める。落ち着きがなかっただろうか。わたしは、結論を急いだわけでもない。むしろ、暴走気味のクイルホローを落ち着かせた。一度、冷静になり周囲を見渡すと、群衆は不安そうな顔をしている。



「この場所で行うような話でもなければ、ウラフリータの仕事でもない。後日、適切な場所を用意し、ドラゴ・ノースアロライナが直々に会合を開く。それまでは、クイルホローも英気を養え」


「ふむ。あの小僧が余と対話できるとは到底思えぬ」


「ならば腕の見せ所だ。種の調和とやらを目指して、兄上を上手く言いくるめたら良い」


「そうさせてもらおう」



 鯨に腕などあるのだろうか。

 もちろん、二つの意味でね。

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