第13話 本の可能性

 


 教室は、公共事業に参加する作業員の休憩スペースに併設されていた。風に飛ばされないように固定されたテントが並び、お昼休憩の時間なのか炊き出しの良い匂いが風に乗って運ばれてきた。


 午前中に作業をしていた子供たちが交代で、教育部に参加する。教育部には、職業訓練と青空教室の二つがある。職業訓練には、大人が参加する。青空教室には子供だ。公共事業に参加しないといけない子供にこそ、職業訓練が必要なのではないか。アルナシーム様に質問すると、公共事業に参加した子供には支援金を補助することが議会で可決したと言う。生活保護のようなものだろうか。


 青空教室の目的は、中央学園に入学できるレベルの学力を身に着けることにあるらしい。アルナシーム様は優秀な平民に目をつけている人だ。こうして、優秀な平民を教育して作り出すということもしている。


 アルナシーム様は、これからある会議に出席する。教室が始まるまで、やることが無いなと思っていたのだけど、アルナシーム様から炊き出しを行うように命じられる。調理場に向かうと、大きな鍋をたくさん用意して、シチューのような煮込み料理が調理中だった。


 炊き出しの料理を担当するのは、タラコットの町の住人である。調理場には女性しかいなかった。実家のお屋敷の料理長は男性だし、料理は女性の担当という文化はないはずだけど、平民の生活では違うのだろうか。


 わたしの登場に、調理場は盛り上がる。黄色い声まで上がっている。作業を続けてくださいと言うと、元気な声で返事も出る。調理監督を務めているふくよかな女性に、わたしでもお手伝いできることを尋ねる。



「では、受け渡しの係をお願いします」



 受け渡しのフローを傾聴する。シチューのサイズには小、中、大の三つがある。公共事業の参加者には札が配られているので、その札とシチューの入った皿を交換する。なるべく、盛られた順番が古い皿から渡していく。


 小学校、中学校で、給食当番をしたことがある。ヨモギの経験が生きるはずだ。


 タラコット分水は完成が間近だ。公共事業が始まってから、長い時間が経過している。公共事業に参加する人たちは、炊き出しに慣れていた。フレッシュなわたしは、周囲から浮いている。


 シチューを受け取りに来た人たちは、わたしの存在に色めき立っている。


 そんなパッと見で、わたしが領主の娘だって分かるものなのだろうか。



「ウラフリータ様がタラコット町を訪れたときに、お顔を拝見しました。あの日は、町民も仕事を放り投げて、お祭り騒ぎでしたよ。ウラフリータ・デイを謳って、飲食店は深夜まで営業して、麦酒の割引イベントをやっていました」


「照れるわね」



 シチューのお鍋をかき混ぜている女の子と会話をする。タラコットの有名な商人の娘だ。公共事業に参加することは、商人として箔が付く。若い商人は積極的に、公共事業に参加してくれる。そこで出会った繋がりが、将来の仕事の役に立つことがある。大学ラグビーみたいだね。


 わたしは、列に並んでいる人から順番に札を受け取り、大きさの注文を聞いてから、シチューを渡す。笑顔になる人。嫌な顔をする人。手が震えている人。わたしからシチューを受け取ったときの反応は様々だ。


 平民との共同作業に慣れさせようというアルナシーム様の意図は伝わる。しかし、わたしに為政者としての感覚はない。大衆に芽生える多様性の中に取り込まれていく。様々な人がいる環境が心地良い。嫌な顔をする人は、お父様が政変で勝ったことで仕事を失ったり、不都合があったりした人だろう。ようやく敵意を顔に出す人が現れた。それでこそ世界だ。


 わたしはシチューを持って、平民と同じ食卓に座った。平民と貴族が並んで座るのは、本来なら有り得ないこと。貴族が椅子に座るなら、平民は床に座る。しかし、人は平等であるべきという考えが、わたしの心の中にある。それは貴族として生まれ、育った人間の感覚としては、唯一無二だと自覚している。



「この中に小説家はいる?」



 わたしはその場にいた平民に対して、質問をする。これがわたしにとっては最も重要な質問だった。この世界の文芸事情に関しては、まだ調べることができていない。思えば、社会に対してコミュニケーションをとるというのが、これが初めてだった。



「おーい。小説家はいるかー!」



 平民の中でもよりお調子者な男が、わたしのメガホンとして機能する。食事をしている人の耳に、声が届いているはずだ。しかし、小説家は名乗り出すことはない。シャイなのか、いないのか。


 ちょっとガッカリだ。


 ガッカリしているのが周囲にも伝わったのか、ちょっとだけざわついた。平民が貴族をガッカリさせるのは、不敬になる。遠くでシチューを食べていたチョビ髭の男性が近づいて、口を開いた。



「ウラフリータ様。会議に参加しておられるクラークさんが物書きを生業にしています。それから、私は小説家ではありませんが、タラコットの町で本屋を営んでいます。なかなか経営が厳しくて、こうして公共事業に参加しています」


「本屋さん!」



 なんとチョビ髭は本屋さんだった。本屋さんというより、カフェのマスターみたいな風貌だ。経営が厳しいということは、本の需要はあまりないのだろう。それとも、本の需要はあるけど、本屋が機能していないとかね。



「どうして経営が苦しいのかしら」


「例えば、裁縫についての資料がまとめられた本は、本屋で買うよりも、手芸店で購入した方が確実です。本の需要は様々で、わたくしどもの本屋で売られるような本に需要がないというのが現状でございます」


「エンタメ小説や、文芸書は売れないのね」


「売れないわけでもありません。近年では『ポロモンの騎士』や『音楽家の旅』などに代表される冒険小説が人気です。しかし、数が出ませんので、経営を改善するには至りません。出版業界では、実用書を優先するような動きが見られます。先ほどの話と重なりますが、実用書は本屋では売れません」


「苦境ね」


「苦境でございます。しかし、政変によりノースアロライナが安定したら、文芸の時代が来ると信じています。実際、ブラウンハイトや、ダーネスウェストなどの大領地では、文芸が盛んだと聞きます」



 この世界にも文芸が盛んな場所があるんだね。ブラウンハイトも、ダーネスウェストも地理の授業で勉強した領地名だ。ノースアロライナから近いのは、ダーネスウェストの方だね。海を1つ越えたところにある大陸が、まるまるダーネスウェスト領だ。


ダーネスウェストの序列は第2位である。上位の領地は40年近く序列の変動がない。政変の影響で、ノースアロライナを含めた中位・下位の領地は、大きく序列を変動させている。政変前は32位だったノースアロライナの序列は、政変後には24位になっている。


 ちなみに、領地は全部で47個。都道府県と同じだね。


 そして、この47個の領地を束ねるのが、中央だ。



「どうすれば、ノースアロライナに文芸の時代が訪れると思いますか?」


「小説の天才が一人いたら」



 本屋の答えに、わたしはにっこりと笑う。笑顔を見た人たちがざわつく。なかなか骨のある平民がいる。日本において、本屋全盛の時代はいつだったか。2010年に日本は電子書籍元年を迎え、ヨモギが死んだ後、日本の本屋がどうなっていくのか想像は容易い。


 小説家が本屋を見殺しにするわけにはいかない。



「なるほど、貴方と出会えてよかったわ」


「光栄でございます」


「五年待ちなさい。竜結びの儀が終わって、本を読むのに一年。わたしが書いた本を出版するのに一年。読者を集めるのに一年。小説家を集めるのに一年。そして、五年目にウラフリータ文学賞を開催します。わたしが貴族院に入学するまでの六年間に、ノースアロライナを文芸の領地にします。貴族院では、他領にノースアロライナの文芸を広めます。文芸がノースアロライナの武器なのです。いいですね? 戦乱の時代が終わり、次は文芸の時代です」


「その五年、本屋は何を行えばいいでしょう?」


「そうね。待っているだけは辛いものね。でもね、待たせる方だって辛いのよ」



 この世界に『走れメロス』はない。日本なら教科書に載っていて、誰でも知っている物語。けれど、この世界に太宰はいない。夏目、芥川もいない。わたしが好きな中村文則もいない。なんなら、ドストエフスキーすらいないわけで、文芸の文脈が根本から違っている。



「本屋の隣にカフェを併設しなさい。本を購入して、カフェで読んでもらいましょう。そうね。本を購入してくれた人に、ドリンクの割引券を配りなさい。本を娯楽として大衆に広めるには、工夫が必要です。期待しています」


「ははっ」



 チョビ髭の本屋さんは地面に平伏した。食事をする手をやめて、わたしの言葉に傾聴していた平民たちは、立ち上がって歓声を上げる。急に盛り上がるからビックリした。熱狂の中心にわたしがいることに、恥ずかしくなる。


 わたしは恥ずかしさを誤魔化すようにシチューを急いで食べた。


 騒ぎを聞きつけてやって来たアルナシーム様を、わたしは白いチョビ髭を付けて出迎えた。




◇◇◇




 アルナシーム様の教室に参加する子供たちは思ったよりも多い。子供と言っても、全員がわたしよりも年上だ。教室には椅子と机が用意されている。新しく、端っこの方にわたしの席も準備された。屋根はない。雨が降ったらどうするのだろうか。


 教師を務めるのは、中央学園から連れてきた優秀な平民たちだ。下級貴族のテスタートですら、領主の娘であるわたしに何かを教えるのは相応しくないとされているのに、平民が貴族の教師になることなんて滅多にない。



「王権は竜から付与されたものである。キング・トロイテンは竜によって選ばれ、その恩寵を受ける。『竜寵帝理念』に基づく『王権竜授説』は、現在までキング・トロイテンの権威の根拠とされている」



 竜と王権の関係を説明するのは、中央学園で『龍王書記』を専攻していたギルマイという平民の女性だった。片方の足が悪いようで、常に杖をついて歩いている。身体障がい者でも中央学園を卒業できる。バリアフリーが行き届いているのか、ギルマイの努力か、またはその両方か。


 中央学園の貴族院に入学するのは、楽しみではあるけど、憂鬱でもある。周りの貴族は竜と契約しているのに、わたしだけ鯨だ。例えば、遠足のときとか、みんなは空路だけど、わたしだけ海路になるとか、想像するだけで恥ずかしい。



「現代における龍王書記の解釈では、竜には二種類が存在する。説話竜と、生物竜だ。説話的竜とは、自然物を竜として信仰したものだ。もしくは表現したものだとも言える。龍神メテロノーレなどが説話竜の代表だ」


「えっ」



 思わず呟きが漏れて、教室の視線がわたしに集まる。龍神メテロノーレって、サンタクロース的な存在だったのだろうか。もしかして、今もわたしの頭上で燦然と輝いているアイツは、やっぱり太陽的な何かなのだろうか。



「何か質問があれば申し付けください」


「わたくし龍神メテロノーレは、生きて動いている竜だと思っていました。竜ではなかったのですね。では、あれの正体はなんなのでしょう」


「竜ですよ。説話竜です」


「えっと、説話竜は竜なのですか? 別の何かを竜だと解釈しているだけですよね」


「はい。そして『龍王書記』によれば、その解釈で間違いはないということです。別の何かであったとしても、あれも竜です。これも竜です。この世界の絶対的なもの、もしくは普遍的なものは、竜だと決めたのです。だとしたら、空に浮かび輝く球体も、この大地も、海も、竜に違いないのです」



 ギルマイ先生の言っていることは分かる。『そういうもの』ってやつだ。人の手が施された絶対的な何か、つまり『龍王書記』や『数学』のようなこれと決めた絶対的なものを、また別の人に説明するときに、このような言い草になるのは仕方がない。これは、下品で卑猥な人間の仕草であり、仕業だった。


 ギルマイ先生の龍王書記学を聞いていると、イライラしてくる。宗教や神話などの人間の御業による絶対的な思考実験の舞台が、あまりにもわたしに似合わない。とくに数学は嫌いだ。わたしは文学少女だからね。


 思えば転生という考えも、宗教的なものだよね。ネット小説の作品として、転生ものがランキングの上位を占めていたのを思い出す。多くの場合、小説のテーマは『やり直し』であり、前世で浮かばれなかった人が、来世で無双してチヤホヤされていた。


 それを考えると、前世の死因による精神疾患を抱え、自我が崩壊しかけたわたしは、転生という舞台で踊るには、あまりにも不甲斐ないのかも。残念ながら、いくら剣と魔法で無双してもわたしの『やり直し』願望が満たされることはない。わたしの業は小説にあった。


 わたしの転生が、サンサーラなのか、リインカーネーションなのか、はたまた別のものなのか分からない。しかし、小説という業を中心に輪廻しているのは確かだ。小説に憑りつかれた文学少女として『そういうもの』には反抗したい。


 新解釈こそ小説の神業だ。


 単に逆張りとも言えるけどね。



「導きの竜ミロルバミューダは説話竜ですか? 挨拶を竜と解釈していますよね」


「はい。ミロルバミューダは説話竜です。生物竜とは違って、この世界に存在しているわけではありません。人間の解釈と『龍王書記』によって生まれた不在の竜です」


「ですが、わたしはミロルバミューダと会話をしたことがあります。竜結びの際です。わたしだけではありません。わたしの側近のアリスローゼもミロルバミューダとの面識があるはずです」


「ほう」


「『龍王書記』が正しいのなら、どうしてわたしは、不在とされているミロルバミューダと会話できたのでしょうか?」



 ギルマイ先生に舌戦を挑む。創作の中のソクラテスや諸葛孔明になった気分だ。無双する気分とはこのことだろう。気分が良くなったわたしは口が回る。自転車のチェーンに油を刺したときのような舌先のケイデンス。



「さては『龍王書記』は信用ならない文献なのでは? そして、現代の文学の最先端に相応しい本が他にあるのではないですか? 『龍王書記』を、自分の経験以上に信じていいものなのでしょうか? わたしは『龍王書記』を読んだことがないので、教えてください」



 教室に緊張感が走る。わたしが怒っているように見えたのだろう。実際イライラしているわけで、平民には荷が重い状況だ。ギルマイ先生は、領主の娘の怒りを孕んだ質問に対して、冷静に口を開く。その時点で舌戦には負けていた。



「ウラフリータ様、不在の竜と会話をする方法は1つ思い当たります」


「はい?」


「魔法です。魔法は不在を実在させるのに相応しい力です。人々の信仰によって魔力が集まり、おそらく竜結びが引き金となって、ミロルバミューダは実在することができた。そして、魔力とは人間が竜から授かったものだと『龍王書記』には書かれています。不在が実在するという矛盾は、魔法が解決するのです」


「……ギルマイ先生、暴論です。魔法によって不在が実在してしまったら、本来この世界に無いものまで、あっ」



 ヨモギ。


 本来、この世界には実在しない人。チェーンが外れたように、舌先が動きを止め、咥内に溜まった涎が垂れないように口を閉じる。鯨神ウーデローネが持つ、膨大な魔力によって、ウラフリータの生存に必要だった不在のヨモギをこの世界に実在させた。涎の代わりに、汗が垂れる。机の上を濡らす。寒気がする。


 不在を実在させる。


 魔法にはそれが可能だと実感してしまう。


 ミロルバミューダの実在は、再現性があるのだろうか。『龍王書記』で可能なら、他の作品ではどうなのだろうか。例えば、『指輪物語』のような世界中の人に読まれるような作品があって、信仰と魔力を集めた結果、エルフが実在するようなことが起こり得るのだろうか。


 起こり得たとしてファンタジーではなく、SFならどうだろう。ガンダムの実在、エヴァンゲリオンの実在、その果てに、涼宮ハルヒすら実在してしまうのではないだろうか。だとしたら、文芸の価値が、前世と、この世界ではまるで違う。


 鼻血が垂れる。知恵を働かせ、興奮しすぎた。



「ウラフリータ様!?」



 ぼんやりと白くなっていく視界のなかで、なにやらヨモギが叫んでいた。違わない! 日本でも同じだ。小説は強い。文芸には世界を変える力がある。心と身体が乖離する。ヨモギの自我が強まって、ウラフリータの身体は耐えられない。


 ああ、また気絶しちゃう。


 視界が白に包まれる。


 しかし、急激に晴れていく。



「あ、あれ?」


「だ、大丈夫ですか?」


「ええ……」



 鼻を拭う。左手はベットリと赤に染まる。しかし、血はもう止まっていた。椅子の背もたれに身体を預けて深呼吸をする。ギルマイ先生は、生徒の一人にアルナシーム様を呼びに向かわせた。オドオドしている教室の雰囲気を見て、わたしは落ち着く。


 アルナシーム様が到着して、わたしの目の前にしゃがむ。左手の血をハンカチで拭き、わたしの容態を診察してくれる。とくに問題が見られなかったみたいで、「いったい、どうしたのだ?」と聞かれる。



「鯨が助けてくれました」



 わたしは自分の新しいパートナーを自慢するように言った。

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