おじさん (お気に入りの水平線)

帆尊歩

第1話 カフェシーサイド「柊」19

寒い。

寒すぎる。

スウェットを着ていても寒い。

朝からずっと海の中だ。

今日は「柊」のバイトは休みなので、一日波に乗ろうと決心してきた。

春先とは言え暖かそうだったので、いい環境と思ったけれど、さすがに海につかりっぱなしだと体が冷える。

眞吾さんは二言目には「真希ちゃん、女の子は体を冷やしたらだめだよ」と言ってくるけれど、そんな時はいつだって、(私はそんなやわじゃない)と、心の中で言い返していたけれど。

今日はこたえるな。さすがに他に波に乗っている人は見かけない。


ここ塩浜海岸は、サーフィンの聖地なので、わりとオールシーズン波に乗る人がいる。

でも今日は見渡せる所には私一人だ。

私は、浜に上がるとスウェットを脱いで、ボードと一緒に木の影で乾かし、自分はラクダのブロンズの台座に寝転ぶ。

ブロンズの台座はラクダ同様金属なので、晴れていると意外と暖かいのだ。

私は台座に体を押しつける。

うん、暖かいぞ。

これはいい。

誰かに見られたら恥ずかしいけれどね。だってビキニ姿の女が、ラクダの足下に張り付いているんだから。


少し暖まって落ち着いてきたので、ラクダの足に寄り掛かりまどろんだ。体が乾くと太陽の日は結構暖かい。そう体を温めるには、太陽の光が一番だ。

私はぼんやり海を眺めていると、ラクダの後ろから近づく気配に気付いた。無視してそのまま体を温めていると、すぐ横の視界に入った気配の人と目が合った。

それはスーツ姿のおじさんだった。足下は革靴だ。海には似つかわしくない。

でもそれはおじさんも同じ様に感じたようで、私達は二人して見つめ合った。


それがどれくらいの時間か分からなかったけれど、これは埒があかないと感じた私は仕方なく、

「なんですか」と私の方からおじさんに話掛けた。

「いや、夏でもないのに水着の女の子が、浜で寝転んでいるから」

「変ですか?」

「いや、変でしょう。あまりに異様な姿だよ」おっしゃるとおりと思った。

「人の事言えませんよね。ビシッとスーツを着たおじさんが、これまた浜には似つかわしくない、高そうな革靴でふらふら歩いているんですから」

「ああ、そうだね。でも君ほどじゃない。近くを通りかかって、海を見に来た。変じゃないよね」

「わたしだって浜辺に水着、変じゃないですよね」

「今が夏で、砂浜にシートなんかをひいて寝ていればね。こんな薄ら寒い時期に、なんでそんな露出の高いビキニでラクダの下で寝ているの」寒いから張り付いているんだよとは思ったけれど、私は笑ってごまかした。

「おじさん、人魚かと思ったよ」とおじさんは、少し緊張が解けたように言う。

「私、足ありますよね。人魚は足と引き換えに声を失うんですよ。ちゃんと話しているでしょう」

「おじさんは王子様なの?」イヤイヤ、私の話を聞いていなかったのか。

「イヤイヤ、自分で言わないでください、世間ではそれをおこがましいと言うんです」

「なんだ、若い子に王子様って言われてちょっと嬉しかったんだけどな」

「言ってませんから。でおじさんは、この塩浜海岸に何しに来たんですか。観光じゃないですよね」

「えっ。ああ、水平線が見たくて」とおじさんが言うのを聞いて、私はよからぬ物を感じた。

そういう人は独特の雰囲気を醸す。

私はおじさんを見つめる。

さてどうした物か。

仕方がない、

私は自分の事を言う。

「私、この浜に逃げてきたんですよ」

「逃げてきた?」唐突に自分の事を話す女に、おじさんは戸惑いを隠せないようだった。

「ええ、ここで海を見ていると、なんか何もかも馬鹿らしくなって、だからここにいるんです。ここにいると、心が救われる」

「そうなの?」

「ええ、でも気をつけないと、居心地が良くて、ここから抜け出せなくなるんです」

「だから、この浜で寝ているの?」

「そんなにビキニ姿の女が浜で寝ていると、おかしいですか」

「いやおかしいでしょう。夏ならともかく」

「そうか」

「おじさんも、何かから、逃げてきたんですか?」私はズバリ聞いてみた。

「えっ、いや、僕は・・・・」間違いないと私は確信した。

「まあ、この塩浜にいると、嫌なことは忘れられますよ。ここは特別な場所なんだから」

「そうなんだ」その言葉におじさんの雰囲気が変わった。

これなら、とりあえず大丈夫かな。

体も温まったし、さてもう一乗りして来よう。

「あっ、もう行かなくちゃ」と言って私は立ち上がった。

「あの、何処へ」おじさんがあっけにとられて言う。なんとなく私はかっこつけたくなった。

「海へ」私は海を見つめて言い切る。

「海?」おじさんは、あっけにとられたように言う。

「だって私は、海の住人だから。おじさんも頑張って」

「あっ、ああ」と言うおじさんを尻目に、私は近くに乾かしていたスウェットスーツを着ると、サーフボードをかかえて海へと走っていった。

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