第9話

 「私、今日映画を見に来ていたの。あの映画館ってロビーから外が見えるでしょ。私早く着いちゃったから少し外を眺めてたの。そしたらあなたの彼女?がたまたまいて、チャラい2人組と話していたの。たぶんさっきの2人ね」

 彼女はそういうとさっき曲がった角からホテルの方を覗きみた。そして振り返り一息つくとまた話し始めた。僕はただ茫然と突っ立ていた。

 「でね、しばらくすると男2人はどこかへ行って彼女だけその場に残ったの。そして少しすると別の男の人が彼女に話しかけた。待ち合わせのようだったわ。男の人はあなたみたいな人だった。」

 僕らが話している道は大通りではないが、車が交差できるくらいの道幅でさっきから黒い車が何台かゆっくりと通り過ぎていた。

 「彼女とあなたみたいな人は少し話して歩き出した。いま私たちがいる方向ね。あなたと同じく彼女が先に歩いてた。」

 おそらく他人の話であれば最後まで聞かずともここで全容を把握できただろう。僕もバカじゃない。しかも今の黒い女の話にまだ僕は出てきていない。僕は僕は続きを聞きたくて、それからと聞いた。

 「映画を観た」と彼女は言った。へ?と間抜けな声が新宿の喧騒に消える。

 「だって私は映画を観に来たのよ。」彼女はさも当然かのように言った。そしてそれはさも当然だった。確かに、と僕は言った。

 「そしてね、映画を観終えて外へ出る長いエスカレーターを降りていると少し遠い向こう側からさっきの彼女をまた見つけたの。そして彼女の延長線上にあなたが居た。私ハッとして、周りを見まわしたの。そうしたら遠くに男2人組も居たの」

 それを聞いた時、僕がどんな顔をしていただろう。無意識に彼女の証言から導き出されそうな結論に対する反証材料を探していた。彼女は僕の顔を少し見て、また話を続けた。

 「私もそこから記憶が曖昧なのだけど、気付いたらあなた達を追っていた。怖いもの見たさの興味心か、ただの正義感か、もしかすると映画の前に見たあなた風の人への罪悪感かもしれない。」

 とにかく、彼女は続けた。

 「あなた達をつけると、定型文かのようにホテルに入って行った。私その時にどうしようかとても迷ったの。でもそんな迷いとは裏腹に身体は動いてた。」

 彼女は僕らの後を追ってホテルに入り、隠れながら部屋を選ぶ僕たちを見ていたそうで、鍵を貰ってエレベーターに乗った僕たちを見送った後に受付に声をかけた。

 私咄嗟だったの、と彼女は言って続けた。

 「何も考えずに、ただ受付の前に行ったの。でもそこから何も言葉が出なくて…受付のおばさんもちょっと不思議そうな顔してたわ。で、私いったの。さっきの男、私の彼氏なんですって。」

 丁度僕がAVを付けている頃だ、ふと僕は思ったがそれはすぐに掻き消した。

 「で、部屋に電話させてほしいっていったの。電話させてくれないと部屋に乗り込むって言って。そうしたら案外にもおばさんはすぐに電話をしてくれたわ。そこからはおそらくあなたも知る通りよ。そして今ね」

 彼女は話し終えると、僕を少しじっと見て、大丈夫?と言った。

 僕は呆然としていた。するとポケットに入れていた僕のスマホが震え出した。取り出すと、ホテルの部屋に居る彼女からだった。僕は電話に出ることができなかった。しばらくすると電話が切れて、すぐにメッセージが来た。

 「今どこにいるの?」

 僕は通知画面に映るその文字をただ眺めていた。そしてふと僕は目の前にいる黒の女に言った。

 「君の話を聞く限り、僕はまったく馬鹿なやつだ。でも…」

 「あとはあなた次第よ」彼女はそう言った。

 「私は私のできる限りをしたつもり。あなたが考えていることも分かるわ、そしてその考えが合っている可能性ももちろんある。かなり極小だとは思うけど。」そういうと彼女はおもむろに道の真ん中に向かって歩き出した。

 「私はタクシーで帰るから。あなたも…」と彼女は言いかけてやめた。僕は呆然の立ちすくんでいるだけだった。僕はスマホを見ると着信がこの10分程度の間に十数件入っていた。僕は角のそばからホテルの方をそっと見た。するとホテルから彼女が一人で出てきた。僕は咄嗟に隠れた。そして用心深くもう一度彼女を覗きみた。彼女は周りをキョロキョロしていた。僕を探している、そう思うと胸が少し痛んだ。そもそも黒の女の言っていることに証拠も何もない。風邪を引いていた彼女にこんな仕打ちをして僕は何てやつなんだとすら思った。ともかく弁明だけでも聞くべきじゃないか?僕はホテルの前にいる彼女の方へ踏み出そうか迷っていた。黒い女はタクシーに向かって手を挙げて、一台のタクシーが彼女に向かって減速しながら近づいてきた。

 僕が愚図ぐずしながら角でホテルの方を見ていると、さっきの男2人組を出てきた。しかし男たちは彼女を通り過ぎて僕のいる方とは逆の方へ歩いて行った。僕はこの時、いいようにない安堵に包まれた。彼女と男たちは関係なかった。「何だよ」とこころの中で呟いた。すぐに彼女元に駆け寄っても良かったが、色々ありすぎたせいか身体がすぐに動かなかった。少し息を整えた。そしてこのドタバタも含めて彼女に癒してもらおうなどと、考え始めていた。

 すると向こう側に行ったはずの男たちが、10mほど進んでバッ踵を返した。そしてまたこちらに向かって歩いてきたかと思うと、ホテル前の彼女の前で止まった。

 「あいつどこ行ったんだよ」

 「知らないよ、そんなの。さっきから電話もメッセもしてるけど既読もつかない」

 「ったく、お前バレてんじゃん」

 普段なら会話なんて聞こえないくらい離れている、そしてこの新宿の喧騒。だがこの時、彼女たちの会話ははっきりと聞こえた。もしかするとこぼれ聞こえる彼らの声を勝手に自動補正していたのかもしれない。しかし彼女たちの会話の内容は確実に聞こえていた。根拠はないが確信があった。

 「マジでなんかバレるようなことした?」

 「してないよ!そもそもそんなじゃべってないし」

 「それがダメなんじゃねーの。もっと最後まで愛想良くしろよ。いつも裸にするまで油断すんなっていってんじゃん」

 彼女は俯く

 「お前いつも風俗でやってんじゃん。なんでできないの。あいつとも一回はやってんだろ?」

 「やってないよ!」

 「は?でもあいつはソープの客だろ?ソープきてやらないとかあんの?」

 「勃たなかったのよ」彼女は見下すように言った。僕は全身の血の気が引いた。

 「は?勃たなかった?そんなことあんの?だってあいつまだいって30くらいだろ」

 「一応勃つには勃ったよ。でもゴムつけようとすると萎えちゃうの。で何とかゴムまでつけても結局萎むから入らない。マジでヤリたいとは思ってないけど、私の方が萎えたわ」

 「マジ、それであいつ今日何しに来たの?だってできないんだろ」男はケラケラ笑っている。もう1人の男も黙って聞いているが口元が緩んでいる。

 「知らないよ、だから連絡してるのもマジでダルかった。今日会っても穴息だけ荒いくせに会話できないし。なのにホテルでAVつけだすし、まじ最悪」

 「マジかよ。やる気満々じゃん」男とずっと笑ってる。

 するともう一人の男が口を開いた。

 「そんなやる気でなんで居なくなるんだ?」

 「確かに」さっきまで笑っていた男も少し真顔になって答えた。

 「知らないよ、受付から電話があって先払いって言われたから払ってくるっていってそれきり」女は少しむくれている。

 「でも受付のババァはそんなこと知らないって言ってたぜ、お前嘘ついてんじゃないだろうな」

 「嘘なんて言わないよ、なんであんな半端ED男のためにここまできて嘘つくのよ」

 「ってか、どこ言ったんだよ、クソが」男が勢いに任せて唾を吐く

 もう1人の男が呟く

 「やっぱりさっきすれ違った男か?」

 僕はドキッとする

 「でもさっきのやつは女連れてたぜ」違うだろ、ともう1人の男が吐きすてるように言う。

 「あいつらどっちに行った?」

 「俺たちと逆からだからあっちだろ」男は僕のいる方を顎で指す。

 「ってかまだ既読つかねーの?」

 「つかない」女は素っ気なくいう。

 口数の少ない男がこっちに向かって歩いてくる。僕は咄嗟に首を縮める。

 「どこ行くんだよ?」

 「少しこっち側を見てみる」顔だけ振り返ってそうう言った。

 「あーそ。俺はもうダルいからここでヤッてくわ」そう言うと女をぐっと引き寄せて乱暴にキスをした。女は身を預けている。舌も全然入っていた。

 「好きにしろ」静かな男は言った。

 「もし見つけたら部屋連れてきて。俺らのセックス見せながらボコしてやるから」男は女から口だけ話してそういうと、笑いながらホテルへ入って行った。女も乱暴キス男に甘えるように抱きついている。あれが正しいラブホの入り方なんだろうな、とふと思った。

 静かな男は顔を元に戻すとこちらに向かって歩き出した。僕は急いで角から顔を引っ込めたが、そこから体が動かなかった。頭は逃げなきゃと考えているのに体が言うことを聞かない。ただただ考えだけが体を駆け巡っていく。

 どうしよう…とどうしようも考えているとふと目線を感じた。その目線を追うと後部座席のドアが開いたタクシーの中から黒い女がこちらを見ていた。

 「乗る?」

 彼女の顔はケガするからダメだと言われた遊具に乗ってケガをした園児を見つめるような、そんなどうしようもないという顔をしていた。僕は彼女の呆れ顔に向かって、小さく頷くと急いでタクシーに乗り込んだ。タクシーは僕を乗せるとすぐにドアを閉めた。そして彼女は運転手に新宿駅まで、と告げた。運転手は無言でアクセルを踏んだ。静かな男は僕がさっきいた角にいた。その姿がバックミラー越しに小さくなっていった。  

 

 

 

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