第3話 あめあめふれふれ
流石の僕も、もう合羽や長靴は使わなくなった。防水の靴に傘を差して向かったのは、とうさんが居るという刑務所だ。
ずっとずっと待ち侘びていた運命の瞬間が、刻一刻と近づいてくる。
僕は昨日の夜から沢山考えた。何から話そう、何を話そう。とうさんの顔を見られたら、まず一言、なんて言おう。
答えは全部決まっていた。後はとうさんと会うだけだった。
――それなのに。
とうさんは、どんなに待っても現れなかった。
「面会を拒絶しています。お帰りください」
きんきん、と刑務官のその言葉が頭の中を反響する。
どうして? なんで? 僕だよ? 僕が来たんだよ?
――どうして、会ってくれないの?
僕は再び、沢山考えることになった。
どうしてとうさんは会ってくれないんだろう。
どうしたら会えるんだろう。
あれから何度面会をしに行っても、とうさんは全てを拒絶した。
だから、面会は駄目なんだ。それ以外の方法で会わなくちゃいけない。
とうさんともう一度会うために僕はこれまでの人生を生きてきた。そのために出来ることならば、なんだってできると思った。
そのうち僕は、閃いたんだ。
この方法なら絶対にとうさんと会える。僕ととうさんの途絶えてしまった絆を、もう一度繋げられる。
「……ねぇ。きっと、そのために生きてきたんだよ」
僕は語りかけた。透明の合羽に、雫が強く打ち付けられては散っていく。
「いいよね? その命を僕たちに捧げてくれるよね」
手の中に握っていたものを、ゆっくりと振り下ろしていく。
「おやすみ。――かあさん」
――あめあめふれふれとうさんが
じゃのめでおむかえうれしいな
ぴちぴちちゃぷちゃぷらんらんらん
合羽が、包丁が、水溜まりが、紅に染まっていく。
僕はその時、全てを思い出した。
そうだ――あの日、交通事故が起きたんだ。雨で視界の悪い中、僕のために歌を歌ってくれたとうさん。
寝たきりのかあさんの代わりに、毎日擦り切れるくらい働いていたとうさん。
急に雨にまで降られて、疲れ切っていた――とうさん。
ねぇ。その事故は一体、誰のせい?
とうさんのせいじゃないよね? だってとうさんは疲れてたんだ。一生懸命、毎日頑張っていたんだ。
それなら――とうさんがあの日、人を殺めてしまったのは――
――僕のせい?
「違うよね。違うもんね!」
何度も何度も包丁を振り下ろす。眠ったままのかあさんは、何も言葉を発さない。
「あぁ、そうだ、かあさんのせいだ! かあさんが僕たちを助けてくれないから! 何もしてくれなかったから!」
毎日毎日眠るだけで、何もしてくれないかあさんが居るから、とうさんは疲れていったんだ。
きっとそうだ。
そうに違いないんだ。
遠くから聞こえてきたサイレンは、直ぐに僕へと近付いた。怖くなかった。不安もなかった。
ただ、僕の顔を見たお巡りさんの悲痛な顔が、どことなく見覚えがある気がして。
一体どこで目にしたんだろう――思い出そうとしても、分からなかった。
「ねぇ、とうさん。ようやく会えたね」
「嬉しくて堪らないよ」
ひとときの休息の時間。庭のベンチに並んで腰を降ろしたら、僕ととうさんの身長はすっかり同じになっていた。
「とうさん、とうさん。もう一度、歌を歌って?」
「僕はとうさんの歌が大好きなんだ。お願いだよ……とうさん」
僕だけの愛しいとうさん。
優しい歌声のとうさん。
ようやく戻れるんだ。あの頃の、平和であたたかい毎日に戻れるんだ。
とうさんがなかなか歌ってくれないから、僕はとうさんに思い出してもらおうと、いつもの歌を口遊んだ。
あめあめふれふれとうさんが
じゃのめでおむかえうれしいな
ぴちぴちちゃぷちゃぷらんらんらん
でも、僕の歌を聞いたとうさんは――
「違う!!」
――僕の手を振り払い、叫ぶようにそう言った。
「その歌詞はとうさんじゃない……かあさんだ!」
「なんで俺なんだ! どうして俺だけだったんだ!」
「ようやく終わったと思ったのに! お前から! 解放されたと思ったのに!!」
「どうして……どうしてこんなところまで着いてきたんだ……!!」
――頭を抱え、声にならない声で叫び出したとうさんは、その内刑務官に連れて行かれた。
僕は一人、そこに取り残されていた。
雨が降り出した。
合羽を着ていない僕の身体は、じっとりと濡れそぼっていく。
「……聞かせてよ。もう一度、歌ってよ」
「僕はそのために……ここに来たんだよ?」
あめあめふれふれ――
――あれ? その先は、なんだっけ?
あめあめふれふれ 黒詩ろくろ @kuro46ro
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