クラブの開拓と音楽活動の再開

 アメリカでの初ライブは、私にとってまさに夢の実現だった。AC/DCの全曲を知っているわけではないが、昔から抱いていた「本場でライブを体験する」という願望が叶ったのだ。その瞬間は、かつて憧れたアメリカンドリームへの最初の一歩を踏み出したような高揚感に包まれた。

 この貴重な体験を私にもたらしてくれたのは真紀だ。音楽ジャンルを問わずコンサートに興味があるとは言え、真紀には無理を言ってスケジュールを調整してもらった。彼女のおかげで、私は小さな夢の一つを叶えることができた。その思いは、感謝の気持ちでいっぱいだ。

 コンサートは想像以上に盛り上がり、その興奮を胸に帰路についた。一人ずつがそれぞれの学生寮で降りていく中、最後に私は自分の寮の前で降ろされた。真紀はそこから自分の寮に戻った。レンタカーの返却を一緒に行こうと提案したが、彼女はそれも引き受けてくれた。また彼女に甘えてしまったことに、申し訳なさと同時に、深い感謝の気持ちを感じている。真紀の親切には本当に頭が下がる思いだ。

 アメリカでの初めてのライブ体験に続き、もっと身近でアクセスしやすいクラブサイズのライブにも足を運ぶことを考え始めた。地元の「シティーペーパー」をチェックすると、たくさんのクラブでのライブスケジュールが掲載されており、私の好きなメタルバンドの名前もいくつか見つけることができた。

 驚いたのは、チケットの安さだ。日本では通常最低でも5500円はするチケットが、こちらでは2000円台で手に入るのだから、その価格差には本当に目を見張る。しかも、日本では大物扱いされるバンドが、キャパシティ1000名程度のクラブで間近で見られるというのは、音楽活動をしていた身としては、これ以上ない幸せといっていい。

 この発見から、決まったメンバーでクラブのライブに定期的に足を運ぶことが私たちのルーティンになった。この新しい環境で音楽を楽しむ毎日は、私にとって新たな生活の一部となり、音楽に対する情熱も一層深まる結果となった。

 私のライブに足を運ぶルーティンが真紀に知られるようになったのは、たまにカフェテリアで朝食を共にするうちのことだった。いつも行くメンバーから話を聞いたという真紀は、自分もその一部になりたいと提案してきた。私は彼女の提案を即座に快諾した。それ以来、真紀の車で様々なクラブへ行くようになった。

 アメリカのコンサートクラブは、日本のそれとは異なり、比較的治安の悪そうな場所に多く立地している。一部の綺麗なクラブを除いて、殆どが寂れた地域にある。これは大きな音が漏れても、周囲の住民からクレームが出なさそうな場所だからかもしれない。私たちは、そんな場所にだんだん慣れていったが、最初は決して慣れていたわけではなかった。初めて行くクラブは、必ず昼間にメンバーで下見をするというのが私たちのルーティンだった。

 この時期になると、治安の悪い場所でも、実際に事件が起きそうな場所の特徴が見えてきた。それは、「人気がない」場所だった。治安が悪そうに見えても、人通りが多いと事件は起きにくい。もちろん、これが絶対的な安全を保証するわけではないが、現地の人と同じような服装でカモフラージュしていれば、大きな事件に巻き込まれることは少ない。私の17年間のアメリカ生活では、一度も危険な目に遭ったことがない。この地域調査の習慣で、新たな場所を探索し、行動範囲を徐々に広げていくことが私の行動パターンとなっていった。経験から得られる感覚は、人伝えに聞いた知識よりもはるかに信頼できる情報源だと確信した瞬間でもあった。

 クラブサイズのライブに慣れてきた頃、音楽フェスの告知がシティーペーパーに掲載されたのを見つけた。日本にいた頃から音楽フェスに行くことに憧れを持っていたものの、アメリカに来てからはそういったイベントの告知を見たことがなかった。その告知は、オズフェストと呼ばれるイベントで、ロックアーティストのオジーオズボーンが主催するフェスの2回目の開催だった。

 日本でも洋楽バンドの来日公演にはよく足を運んでいたが、フェス自体には一度も参加したことがなかった。だから、いつものメンバーに思い切ってフェスへ行く提案をしたところ、彼らもすぐに快諾してくれた。さっそくチケットを購入しに行ったのだが、モッシュピット席でなければ約$30という価格だった。クラブでのライブよりは若干高いが、数多くのベテランバンドや新人バンドが一堂に会する機会を得られると思うと、その価格も納得できた。

 そのフェスの日、多様なバンドのパフォーマンスを目の当たりにして、その環境と雰囲気に完全に魅了された。私は音楽と共に生きる喜びを改めて感じ、その日の経験は私の音楽に対する情熱をさらに高めてくれた。それが私の音楽イベントへの情熱をより一層深めることになった瞬間でもあった。

 フェスの体験がきっかけで、再びバンド活動を何とかして再開したいという気持ちが僕に芽生えた。音楽を共有する喜びを再び味わいたい—そんな思いが強くなっていた時、いつも一緒にライブに行くメンバーで話していたら、真紀も高校時代には女子高でバンドをしていたことがあると教えてくれた。彼女は上手ではないと言っていたが、私たちもプロを目指しているわけではないので、気軽に音楽を楽しむ仲間として完璧だった。

 ドラム、ギター、ベースは既に揃っていたので、真紀がキーボードが弾けるということで参加してみたいと提案してきた。その出来がどのようなものかは分からなかったが、元々の三人も完成度が極めて高いわけではなかったので、彼女の提案を快諾し、さっそく練習スタジオを探す難題に取り組むことになった。

 結論から言えば、日本のようなスタジオは見つからなかった。シティーペーパーやインターネットの掲示板を使って探した結果、真紀が詳細を持ってきてくれた。1時間当たりの金額も4人で割れば妥当だし、場所も大学からそれほど遠くない。機材も揃っており、ドラム、ベースとギターのアンプ、キーボードとボーカルのPAまであった。

 しかし、現地に着いて全員が唖然とした。治安のよくなさそうな路地を入っていくと、舗装されていない凸凹の道、コンクリートが崩れた道を進むと、ぼろぼろの戸建てが現れた。外見からは空き家のようにも見えるその場所が、なんとそのスタジオの場所だった。

 中に案内されると、広い広間には確かに機材一式が揃っているものの、床のカーペットや壁や柱が恐ろしく傷んでおり、汚れがひどかった。更に奥の部屋に案内されると、レコーディングの機材も揃っており、オーナーが地元の大きなラジオ局で曲が定期的にかかるミュージシャンだということを知った。セミプロのミュージシャンがここで生活しているとは思えないほどの環境に驚いたが、彼の音楽への情熱を感じることができた。その日、私たちは新たな音楽の旅を始めることになった。


 

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