音楽を始める

 アメリカ生活に慣れてきた私は、同期の中から楽器を弾く数名を見つけた。高校時代から軽音楽部でドラムを担当していた私は、一緒に音楽を楽しむことを提案した。同期の一人が音楽のクラスを取っていて、その関係で練習用のスタジオを借りることができたのだ。私たちは3人でそのスタジオに集まり、毎週末、地下鉄を使って小型のギターとベースアンプを運び入れた。

 スタジオは本来ジャズの練習用で、2畳ほどの広さのドラムスタジオだったが、私たちはそこで耳コピしたメタルのカバー曲でジャムセッションを行った。しかし、周囲からはジャズのスタジオとしては騒がしすぎると追い出されてしまい、途方に暮れた。

 高校でバンド活動をしていた私がアメリカに来て感じた違和感の一つは、練習スタジオが見つからないことだった。正確に言うと、日本のようなリハーサルスタジオがほとんどない。アメリカでは、スタジオがあっても単なるスペースだけのことが多く、多くのミュージシャンは自宅のガレージでリハーサルしている。これは映画やドラマの世界の話だけではなく、現実でもある。

 日本では、ライブをする際にライブハウスにはドラムセットやアンプが備え付けられていることが多い。しかし、アメリカの会場にはそういった機材が用意されていないため、ローカルアーティストは自分のライブ用の機材を全て自己所有する必要がある。寮生活をしている留学生の私にとって、ドラムセットを購入するのは現実的ではなかった。スタジオから追い出された後、また別の方法を考えなければならなくなった。人生、いつも順風満帆ではない。

 バンド活動が物理的にできなくなった私は、代わりに好きなアーティストのライブを見に行くことに集中することにした。そのきっかけは、校内に置かれているフリーペーパーだった。このフリーペーパーには、地元の産業を盛り上げるために必要な情報が網羅されており、運営は広告出稿によるスポンサーで賄われている。「ライブ情報」、「~売ります・買いますの掲示板」、「地元のレストランやバーの広告」など、様々な地元産業に消費者を送り込むための仕組みが満載だ。

 毎週発行されるこのフリーペーパーは「シティーペーパー」と呼ばれており、地元のコンサートヴェニューのスケジュールをここで確認することができる。大きなアリーナで行われる大規模なコンサートの場合、その広告が大きく掲載されることが多い。これらの情報を元にコンサートのチケットを取り、ライブを見に行くことで、バンド活動ができなくなった空白を埋める試みをした。

 ヴェニューを調べてみると、どれも治安の悪い場所に立地していた。こういう所も、日本とは大違いだ。ある時、シティーペーパーに大きくAC/DCがバスケットボールアリーナでライブをするという広告が掲載されていた。AC/DCは知ってはいるものの、メタルが好きな私は実際にアルバムを購入して聞いたことがなかった。しかし、同期の中で普段AC/DCを大音量でかけている野村拓也がいた。よくつるむ仲間の一人だったので、思い切ってライブに行きたいかどうかを提案してみた。

 「あのさ、AC/DC好きだったよね。」

「うん、結構好きだね」

と拓也は答えた。

「実は、メリーランドにあるバスケのアリーナでライブやるんだよ。もしよかったら行く?」

すると拓也は驚いたように答えた。

「え!マジで!俺、コンサートって今まで行ったことないんだよ。行けるなら是非行きたい」

と愛知訛りの話し方で続けた。

「そのアリーナってメトロでいけるの?」

 『いい質問だ』と私は心の中でつぶやいた。

「いや、車じゃないといけないんだ」

と説明すると、拓也は

「タクシーで行くってこと?」

と聞いた。私は少し間を置いて答えた。

「車を運転できる人を探してみようと思う。レンタカーで行ければ、皆でお金を出し合って借りることができると思う。取り敢えず、他の数人にも聞いてみるよ。」

「分かった。じゃあ、詳細決まったら教えて。その日は空いてるから」

と拓也は言い、口調は落ち着いていたが、顔は興奮が冷めず、明日にでも行きたいという表情を隠せずにその場を去っていった。


 さて、イノベーションのアイデアが決まったら、次は投資家を探さなければならない。これこそがまさにアメリカ流の考え方で、私が学ぶためにアメリカに来た理由だ。ひとまず、同期で車の免許を既に取得している人がいるか聞いて回ったが、残念ながら一人もいなかった。ただ、1つ上の先輩に免許を持っている人がいると聞き、その人に相談することにした。

 実は、入学直後に3年生の先輩たちが主催してくれた新入生の歓迎会で、その1つ上の先輩である水野真紀と顔見知りになっていた。彼女は1つ上の学年だが、私が一浪しているため年齢としては同じ。水野真紀は小型のセダンを所有しており、運転経験もある。彼女に一度相談してみようと思った。通常、皆が夕方から夜にかけて図書館で勉強しているため、その時間に彼女を探してみることにした。

 真紀は通常、図書館で勉強していると聞いていたが、彼女が定期的にEメールをチェックする場所である端末の前でもたびたび見かけることがあった。そのため、まずはその端末が置かれている場所へ行ってみたが、残念ながらまだ姿は見えない。図書館内を彼女を探して回るには、その広さが途方もなく感じられた。「どこにいるんだろう...。こんなに広い図書館で一人を見つけるなんて、まるで針を見つけるようだ。でも、あきらめたらそこで終わりだ。もう少し周りを見てみよう。」と心の中でつぶやきながら、さらに探し続ける決心を固めた。

 

「図書館にはいなかったけど、もしかしたらコンピュータルームでペーパーの作業をしているかもしれない。あそこなら、しっかり集中できるし...」そう思い立ち、私はキャンパスの隅にあるコンピュータサイエンスの学部の建物に急いだ。

 コンピュータルームに到着すると、30台ものPCがずらりと並んでおり、それぞれのスクリーンで留学生たちが論文やレポートに集中していた。多くの学生が真剣に作業に取り組んでいる中、PCのゲームやウェブサーフィンに興じている学生もちらほら。

 ほっと一息つきながら部屋の隅を見回したところ、ついに真紀の姿を見つけた。「やった、見つけた!ここで見つけられなければ、もうどこにもいないと思ってた。さて、話を切り出すタイミングを計ろう。」心の中で興奮を抑えつつ、彼女に近づく準備を整えた。

 私は真紀の隣にそっと座り、少し緊張しながら会話を切り出した。

「真紀さん、ちょっとお願いがあるんだけど、いいかな?」

と切り出し、彼女がこちらを向くのを待った。

「実はね、AC/DCのライブがメリーランドのアリーナであるんだ。でも、そこは公共交通機関ではちょっと行きにくくて...」

 少し間を置いて、彼女の反応を伺いながら続けた。

「レンタカーは僕が手配するから、車の運転をしてくれないかと思って。もちろん、ガソリン代やその他の経費は僕が全部出すし、ライブのチケットもこちらで用意するよ。」

 「本当はこんなこと頼みたくないんだけど、他に運転できる人が見つからなくて...。もし都合が悪かったら無理しないでね。でも、もし可能なら、本当に助かるんだ。」

真紀がどう答えるか、静かに待ちながら、少し申し訳なさそうに彼女の顔を見た。

 真紀は意外なほど興味を持った様子で、目を輝かせながら返答した。

「え、AC/DCのライブ?マジで?わぁ、それは行きたい!」

と彼女は興奮を隠せない様子で言った。

「運転ね、それなら全然大丈夫だよ。実は私、ライブ行くの大好きで、運転も苦じゃないから。」

彼女は少し考えるように目を細めてから、続けた。

「レンタカーの手配もありがとうね。でも、チケットまで用意してくれるなんて、申し訳ないくらいだよ。何かお手伝いできることがあったら何でも言ってね。」

そして、笑顔で一息ついて、

「楽しみにしてるわ。詳細が決まったら連絡してね!」

と元気よく言い加えた。

 私は真紀の反応に安堵し、具体的な計画について話を進めた。

「本当にありがとう。じゃあ、チケットとレンタカーの手配が済んだらすぐに連絡するね。」

と言い、続けて

「ライブの日程が近くなったら、集合時間や場所の詳細も改めて確認しよう。」

真紀は頷き、

「うん、それでいいよ。何か準備するものがあれば早めに教えてね。」

と応じた。

「もちろんだよ。そして、当日楽しみにしてる!」

と私は笑顔で言った。彼女も笑顔で応じ、

「楽しみにしてるよ!また連絡を待ってるね。」

と言って、その場を後にした。私たちはそれぞれの学業に戻るために、希望に満ちた気持ちで別れた。




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