フレッシュマン

 フレッシュマン。アメリカでは、大学一年生のことをそう呼ぶ。三年はジュニア、四年はシニアと何となく意味が分かる呼び方だが、二年はソフォモアと初めて聞く呼び方だ。ESLしか受講していない留学生にとっての一年目は、本当の意味でのフレッシュマンではない。大学一年のクラスすら受講してないからだ。諸先輩方からは、数学は中学レベルだからイージーAのクラスだと言われていた。

 アメリカでは、評価がA、B、C、D、Fと五段階に分かれている。それぞれにGPAと言われる数字での換算ポイントがついている。A=4点、B=3点、C=2点、D=1点、F=0点だ。すべての成績が数字で換算され、その平均値をGPAと言う。

 私の大学では、このGPAが2.0を下回ると退学の警告を受けることになり、Fを同学期に2つ以上取ると、即退学となる。そんな時、GPAを回復させるのに役立つのがイージーAのクラスだ。代表格は、数学の101レベル、美術、体育、ダンスなど、センスを問われるものは、イージーAの部類に入る。数学は、中学レベルなため日本人にとってはイージーA。

 さて、留学生にとっての一年目は、フレッシュマン一歩手前なので、プレフレッシュマン(プレは「~より前の」という意味)とでも呼ぶのが適切だろう。まだ、大学生に属する前と言っていい。試験も論文も大方簡単なものが多く、Aを取れる可能性の高いものばかりだ。フレッシュマンに向けての準備期間だが、留学生にとっては、学問的にも生活面的にも馴らし運転の時期だ。この時期に色々と私生活では慣れることに重点をおいた。

 まずは、「現地の生の英語」に慣れることが一番の優先事項だ。ESL講師の英語には耳が慣れてきたが、他の人のネイティブな英語は依然理解不能のままである。最初の難関は、「タクシーの運転手」「フードデリバリーの注文する時の英語」そして「ルームメイトにかかってきた彼女からの電話で、折り返しの為の番号を書きとる時の英語」だ。一番身近で一発では聞き取れなく苦労した。

  「タクシーの運転手の英語」から話していこう。日本の英語の教科書は論外、恐らく日本にある英会話教室の教科書も論外だと言っておこう。それくらい現地で聞く英語は崩れて聞こえる。英会話教室のように丁寧に話してくれる人は、むしろ、社会人になってからの方が出会えるだろう。それまでは崩れた日常会話と、大学生の大好きなスラングの世界だ。

 まずタクシーに乗ると、日本と同じように行き先を聞かれる。その英語は「Where to?」と省略されることがほとんど。文法はないと思っていい。聞き出したいことだけの単語しか言わない。「Where」は「どこ」で「To」は「~へ」という意味なら見てわかるだろう。しかし、一度も聞いたことがなくて「Where to?」とボソッと言われると何を言っているのか分からない。アメリカに到着したら、教科書英語を全て忘れてほしい。教科書は、現地についてから、伊能忠敬が歩いて地図を描いていったように、自分で日々書き足して作り上げた方が、価値の高い教科書が出来上がるに違いない。

 さて、タクシーの運転手の英語、聞かれ方が分かったら、次は答え方だ。「話せない」という前提の下で何とか伝えなければならない。ラッキーな時は、運転手が目的地までの行き方を知っていて、その後の説明はいらない。問題は、自分の行き先が、有名どころではない場所の場合、特に「住宅」の場合だ。当時はナビを使っていない。タクシーの運転手がどんな行き先もおおよそ分かっているなんて言うのは大間違いで、「どうやって行くかわかりますか」と聞かれる。「こっちが聞きたい」と答えようにも英語が出てこない。

 まだ全然話せない頃は、目的地の近くの誰もが知っているところを目指してもらい、そこで降りて目的地まで歩くという方法を採用する。私の寮は、大学内に敷設された地下鉄の駅から近かったため、地下鉄の駅で降ろしてもらうという方法を採用していた。

 寮に戻ると腹が空く。しかし、カフェテリアは既に閉まっている。こんな時カップ麺でも買ってあればいいが、そういう時に限って買い置きはない。仕方なく、近くのドミノピザか中華のデリバリーを頼む。寮に配られているメニューに載っている電話番号に早速かける。

 「ドミノーズ、住所をお願いします」と言われた。『いらっしゃいませよりも先に住所か…』と心の中で思った。時々、「ドミノーズ、少々お待ちください」と言われて、すぐに保留にされることもある。大学の寮の場合、近くの配達店なら大体住所を知っているため、寮の名前と部屋番号だけで注文が完了することも多い。

 次は電話番号を伝える番だ。慣れないうちは、すらすらと数字を読むことが難しい。また、「0」は「ゼロ」と言わず「オー」と言うのが一般的で、「202」は「トゥオートゥ」と発音する。

 最後の難関は、自分の名前のスペリングだ。日本だと「かとう」と言えば多くの人が「加藤」と想像するが、「加東」や「加糖」の可能性もある。このように、英語では名前のスペリングを一文字ずつ説明する必要がある。例えば名前が「Schults」なら、「SchoolのS、ChurchのC…」と説明する。面倒な時は、ただ名詞の頭文字を並べて「School、Church、Home、Uncle、London、Texas、School」と言うこともある。しかし、相手は全ての頭文字をつなぎ合わせて、スペルをメモしてくれている。

 これと同じことが、ルームメイトの彼女からの伝言を書き留める時にも起こるが、話が速すぎて全く書き取れないことがある。何度も聞き返して書き留めようとするも、相手が気を使って「大丈夫、また折り返すから」と切ってしまうことがある。最初は、電話が切れるたびに自分のリスニング力の乏しさに落ち込み、受験勉強の英語力の非実用性に落胆したものだ。

 出前の住所を聞かれるときの英語だが、「What is your address?」と聞かれたことは17年間で一度もない。決まって「Where are you at?」だ。文字に起こすと、「言われて見れば、いでし月かも」と思えるが、聞いただけだと「ウェアユーアッ?」と早口で言われ、最初は戸惑いながら「Excuse me?(もう一度お願いします)」と数回聞き直していた。

 日本だったら、耳の遠いご年配の方にゆっくり一字一字伝える時の感じで「Where...........Are...........You..............At?」と返してくる。今度は、その表現自体が分からないため、「What?」と返すと、もう相手は切れかけている。人は切れかけている時は、実際にはもう切れているものだ。最後に「Address!」と言ってくれたことで、住所を伝えることに成功し、無事ピザとの遭遇を果たすことができた。

 本当に日本で学ぶ英語って何なんだろう。もちろん、崩れた英語を公式に教えるわけにはいかないのはわかるが、それにしたって、7年英語を勉強して降り立ったアメリカの言語は、ほぼ未知との遭遇だったと言うまでもない。

 渡米後、3ヶ月ほどすると、だんだんと英語に対する抵抗力も薄れてくるし、慣れることで行動範囲も広がることから、楽しくなり始めるころだ。フレッシュマン時のこの奮闘もようやく慣れてきたのが、大学生活が始まって3ヶ月ほど、来米時から数えると、凡そ半年後だ。試練は、この類のことが多いだろうとは思ったが、海外生活とは、そんな甘いものではないことは、社会人を経験していない私は、この頃にまだ気づけないでいた。

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