渡米を果たす

 大学の不合格通知から2ヶ月後、未だ英語を話せないまま渡米した。留学は支援団体を通じてのもので、約200名の同期とともにテキサスの州立大学で集団研修が行われた。研修内容はディベートコンテスト、プレゼンテーションの練習とコンテスト、TOEFL試験対策と模擬試験、さらに現地の学生寮でのルームメートとの生活練習など、英語能力を集中的に鍛えるものだった。

 英語がすでに話せる学生は夜になるとキャンパスを抜け出してクラブへ遊びに行くこともあったが、話せない生徒はキャンパス内に残り、他の日本人同期と時間を過ごすことが多かった。

 2週間の集中合宿を終えた後、私たちは各地域へ移動した。私が配属されたのはワシントンD.C.地区で、この地区には近郊の4つの私立大学へ入学予定の生徒たちが集められた。さらに、バージニア州の私立大学とメリーランド州遠方の州立大学へ入学予定のチームに分けられて移動した。

 到着後は一旦ホテルに滞在し、翌日には各自が入寮手続きを行った。英語が話せないため、キーを受け取るまでには一苦労したが、レジデントアシスタントが非常に親切で、英語が分からないことを理解してくれた上で笑顔で部屋番号を教え、キーを手渡してくれた。

 寮に入る前に必要な物品は、布団一式だった。これは予め留学支援団体が準備しており、私はスーツケース一つと掛け布団、ベッドシーツセットだけを持って寮に移った。13名の同期の中で、私だけが他の皆とは別の寮に一人で入ることになった。英語が話せないため、心は不安でいっぱいだったが、不思議と根拠のない自信が湧いていた。

 引っ越しを済ませた後、次に必要だったのはミールカードの作成と銀行口座の開設だった。留学生が寮で生活する場合、ミールプランに加入することが一般的で、このプランはキャンパス内の全てのカフェテリアで使えるカードを提供する。カードには一日の食事回数と同等の金額がポイントとして付与され、このポイントを使ってキャンパス内の生協で食料品や日用品を購入できた。

 私の通っていた大学にはキャンパス内に銀行があったため、寮の手続きを終えた直後に銀行口座を開設しに行った。留学生には仮のソーシャルセキュリティ番号が与えられ、これがアメリカでの社会保険番号に相当する。この番号がなければ銀行口座やその他の金融口座を開設することができない。さらに、社会人になって確定申告をする際にもこの番号が個人IDとして使用される。

 英語が話せなかったため、英語が話せる同期と一緒に銀行口座を開設に行き、その後ミールカードを受け取るために事務所へ向かった。このミールカードは、学生IDに組み込まれていた。ミールカードの取得と学生IDの取得を終え、これで一連の手続きは一段落ついた。銀行口座は授業料の日本からの送金にも必要だったので、すぐに親に手紙で口座番号を伝えた。1995年当時は、メッセンジャーやLINEのような即時通信手段がなく、国際電話のカードも持っていなかったので、通信手段としては電話か手紙が主であった。そのため、口座情報を伝えるには手紙を使うしかなかった。

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