夜のカフェテラス(1888)

 肌寒い秋の夜、刑務所から出てきたばかりのAには、所持金がなかった。腹を手でさすりながら町をさまようAの目に、カフェテラスが映る。

 その一画だけにわいわいと、それは楽しそうに群がっている人々の一人ひとり、それがイルミネーションの電灯のように光っている。


 それで、Aはふらりと光に吸い寄せられた。


「おう、なんだ、遅いじゃねえか」


 気さくそうな五十前後の男がAにそう声をかけると、他の人々はAに椅子をすすめ、あたたかいスープやら、サラダやらを出してくれた。


「おれには何も、払うものがないんだが」


 Aはその一言が口にできないで、かきこむように食事をした。


 やがて、噛めばじゅわっと肉汁がこぼれる柔らかいステーキまでもが出されると、今度はそれをぺろりと平らげてしまった。


「そんなに急がなくたって、まだまだあるよ!」


 最初に声をかけてくれた五十ばかりの男は、目尻に皺を作って笑った。


「チョコはどうだ? 好きに決まってるよな。デザートは特注のチョコケーキさ! さあさあ、こっちに来て」


 気付けば人波があって、誰もが切り株のような、大きなケーキを取り囲んでいる。


 Aはついに言った。


「おたくら、すまないんだが」

「なんだい?」

「おれには何も、払うものがないんだ。すまねえ。刑務所から出てきたばかりなんだ。食べるものがなくて、腹が減って、だますつもりじゃなかったんだが」


 人々は顔をちょっと見合わせると、笑顔を崩さずに口々に言う。


「ケーキに何て書いてあるか、見てごらんよ」


 切り株のようなケーキには、白くて大きい看板のようなプレートが掲げてあった。そこにはこうあった。


「XXX社設立者A元社長、誕生日おめでとう!」


「ああ」


 Aは丸い目をしてそう小さく呟くと、人々の顔に見覚えがあることに気が付いた。


「ああ、Cだ。それにおまえはDだな」


 それから、Aは五十ばかりの男に目をやった。


「B! ああ、B! どうしておれは忘れてなんかいたんだろう、B、おまえだな。おれたちはずっとずっと若い頃、それもおれが刑務所から出たばかりの頃、一緒になって会社を興したんだ。あのBじゃないか」


 Aの目からは涙があふれ、Bは目尻の皺を濃くして笑った。


 それからAは、切り株にたくさん生えた蝋燭を全部吹き消してしまうために、何度も何度も息を吹きかけた。


「おめでとう、Aさん!」

「おめでとう、おめでとう!」



おしまい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

創作訓練―ゴッホ/明るい話編― 谷 亜里砂 @TaniArisa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ