Z世代の正体

浅賀ソルト

Z世代の正体

 産婦人科の前で若い20代の女性がプラカードを掲げている。胎児のエコー写真と「お母さん、殺さないで!」というセリフが英語とスペイン語で書かれている。手書きの文字は妙に攻撃的なレタリックになっている。プラカードには取っ手がなく、四角いボール紙の下辺を持って、ラウンドガールのように入口から駐車場にかけての公道を行ったり来たりしている。病院の敷地ではない。自由の国で、誰からも文句を言われない行為だ。

 彼女は私に気づくと頭上のプラカードを胸の高さに下ろし、こちらに近づいてきた。「悩みがあるなら聞くわよ」

 どっちだろうと私は思った。話し掛けてきた彼女の表情は作り物のように友好的な笑顔だ。鏡の前で練習したのが分かる。狂信者には見えない。狂信者だと見せない訓練を積んだ狂信者かもしれない。スタイルはよく、ピンクのタンクトップにショートパンツを穿いている。健康的な太股を見せつけるようにスラリと出している。足元には活動家らしくスニーカーを履いていた。ブロンドに染めた髪を肩まで伸ばしていた。地毛は茶色。瞳の色も茶色。これぞアメリカの娘。

「あなたはどっち?」私は聞いた。「本当に中絶者に気づいた方? それともただの活動家?」

「私はただ考え直して欲しいだけよ」言い方は教科書っぽかった。気持ちはあるのだが、訓練された気持ちというか。「子供に罪はないわ」

「中絶を女の権利と言っている活動家はクミャリからの使者。私はノノニの声を聞いて仲間を集めている。中絶反対派はノノニの声を聞ける素質がある。あなたはノノニからの声は聞いた?」

「……」

 中絶攻撃者の若い女性は私の顔をじっと見た。私が自由派で、攻撃的な論争をふっかけてきた敵と認定した顔だった。この反応にも慣れていた。

 私はそうではない。「私も中絶反対論者です。勘違いしないで。この話をするとどちらからも敵認定されちゃうの。けど違うの。まずは話を聞いて」私は一気にしゃべった。「中絶賛成派は中絶を女の権利や選択権だと主張している。けどそれは詭弁で、クミャリによる策略なの。中絶を自分の権利だと思わされているだけなの」

「子供を殺してはいけないの。それがシンプルで単純な話なの。策略だとか陰謀だとかは関係ない。これは聖書とも関係ない、本当に単純な、赤ちゃんの命の話なの」相手も慣れているようで、主張がコンパクトでシンプルで早口だった。私の目を見てしっかりと言ってきた。声をかける前にもちらりと私のお腹を見たけど、このときにも確認するように私のお腹を見た。

 私のお腹に赤ちゃんはいない。そして、彼女も私を妊婦ではないと判定したのが分かった。目つきでそれが分かった。

 車のドアが閉まる音が聞こえた。路上駐車していたバンから女が2人と男2人が下りてこちらに近づいてきた。中年といえるのは女1人だけで、もう1人の女と男2人は20代前半、あるいはティーンエージャーだった。こういう活動を1人でやっているわけがない。身の危険が無いとは言えないし、プラカードを掲げて駐車場を往復するのは疲れるので交代要員がいる。

 私は近づいてくる3人をじっと見て、もちろんそれを待った。

 中絶反対派が5人揃い、あなたなんですかとか、悩みがあったら聞きますとか、攻撃と懐柔かいじゅうのやりとりの1周目を済ませた。2周目の途中でさえぎって私は説明を始めた。この5人にも気づいて欲しかった。

「この国の人間は中絶賛成派と反対派に分断されています。それはあなたも理解していますよね? この2つに妥協点はありません。お互いの主張を認め合うということなどできないからです。どちらか一方に決めるしかありません。ですから分断なのです。私は気づきました。賛成派と反対派が1つになることはないと」(「絶対に赦されない! 共存などできない! 話の通じない奴らだ!」と口を挟まれたが無視して続けた)「私は分断して得をするのが誰かと考えました。誰かがこの国を分断させようとしている。この分断を影で操っているのは誰か。分断させることでどんな利益があるのか」

「反キリストの悪魔だ!」

「本当にそうでしょうか? 異教徒が中絶に賛成して何か得があるでしょうか? 悪魔も悪魔で自分の子供が欲しいはずです」(ここで聞き手の女性はおぞましい話を聞いたように顔をしかめた)「異教徒も無垢な子供は喉から手が出るほど欲しいはずです。奴らは中絶をしても得をしません」

 ここまで話してやっと中絶反対の活動家5人は私の話を聞く体勢になった。口を閉じ、私の次の言葉を待った。私は一息ついて、全員の顔を順番に見て——中年女性は小太りだが化粧や髪の手入れはちゃんとしていた。髪は赤毛のショートでウェーブ、瞳は鳶色、黒と赤のボーダーのシャツに白いチュニック。下には白いロングスカートを合わせていた。若い女性はアジア系。三つ編みを両脇で垂らした黒髪に黒い瞳。肌が黒い。眼鏡をしていた。若い男の一人は金髪クルーカット。四角い眼鏡をしている。インテリの優等生っぽい雰囲気。気が弱そう。活動している女性のどちらかが目当てで参加しているのかもしれない。もう一人の少年は白人のデブだった。髪はくすんだ茶色。身長が私と同じで160センチ前後——あらためてゆっくりと聞かせた。

「大手製薬会社が胎児を原料に若返りの薬を開発しています。しかし、中絶は大手製薬会社が推進しているものではない。若返りの技術を製薬会社に売った、もっと大きな組織があります。この組織がクミャリです。クミャリは中絶を推進していますが目的は新人類の発生を防ぐすることです。抵抗している新人類というのは、最近、アメリカ人っぽくないアメリカ人が社会に増えたと思いませんか? 彼らは遺伝子操作された人間であり、中身は人類とまったく違います。脳の構造から違います。放っておくと人類はこの改造された怪物に社会を乗っ取られてしまいます」

 5人は黙っていた。

「真相の説明はあとちょっとだけです。そうすると、中絶に反対する目的としてまったく違う2つがあります。1つは新人類の保護。彼らは人類の置き換えを狙っています。子供を護るという建前で旧人類の絶滅を画策かくさくしています。彼らが守っているのは子供の命ではありません。自分の仲間です」

 最初に私と話をしたピンクのタンクトップの少女がうなずき、そして口を開いた。「もう1つの組織は、本当の人類を選別して保護する組織ね」

 私も大きく頷いた。「生まれた子供が人の子かそうでないか、ノノニの声を聞けば分かる。区別ができない人間はなんでも殺そうとする。区別ができる人間も2つに分けられる。あっち側とこっち側。この混乱状態は敵に有利。誰が味方か分からないままお互いに殺し合うことになる」

 私はそこで口を閉じた。説明は全部終わった。

 沈黙は全員の中に広がった。この話を理解する者、理解しない者、そして理解しているのにしていないフリをしている者。5人全員が私の味方である確率は低い。表情を見てもどれがどれか判別はできなかった。無表情のままだった。ただ中年女性の表情には反発があった。私は敵認定されたようだ。

 ピンクのタンクトップの子は確実にノノニの声を聞いている。今まで自覚はなかったようだが私の説明を聞いて理解した。パズルのピースがはまるようにこれまでの違和感に気づいている。

 彼女は独り言のように呟いた。「たまにあった。中絶に反対だけど、『この子は堕ろすべきなんじゃないか』という感覚……」

 若い3人がぎょっとして彼女を見た。ありえない言葉を聞いたというその反応。それも当然だ。感覚や宗教の姿をして奴らは侵略してくる。それに抵抗するのは難しい。

 中年女性が言った。「何を言っているの、ジアンナ。子供を生きるべきかそうでないかを、あなたが選別するの?」

 私は中年女性に話し掛けた。「子供の保護は優先です。クミャリは敵味方の区別がついていません。だから子供を全員殺そうという危ない組織です。あいつらに殺された子供には、普通の人間もたくさんいます」

「全員普通の子よ。例外など認められないわ」彼女はきっぱりと言った。

「ノノニの声がまったく聞こえない人というのは珍しいです。実際には誰でも聞こえます。あなたにもあったはずですよ。『この子は私達と違うんじゃないか?』っていう赤ん坊が。実際にはもう成人している改造種もいます。大人にもいるんです。奴らは我々と似ていますが、人類ではありません。いたでしょう? 話が通じないとか、意見が合わないとかではなく、根っこの根本から何か違うという人間が。違和感のような人間がいたはずです。思い出してください」

 金髪クルーカットの眼鏡の青年がおずおずと口を挟んだ。おとなしい声だった。「ちょっと待ってください。その着々と増えている新人類っていうのは僕らのことですよね?」

 周囲にいた10代20代の3人も一緒になって私の返事を待った。

 ここまでの反応で才能がある者と敵ではないものの判別はついていた。ジアンナと呼ばれたタンクトップの少女はノノミの声が聞こえている。ただ自覚がないので自分の判別はできていない。彼女が殺すべきと感じた子供というのが人間の子供なのか、改造種の子供なのか、どちらを敵と判定する感覚の持ち主なのか分からない。人類の味方だと思われて、場合によっては完全に真逆の人類の敵である可能性もある。しかし、能力があるのは確実だ。どちら側の人間だとしても利用法がある。

 中年女性は敵ではない。ノノミの声を聞く才能はない。だがその声の反響を長い人生で聞き続けたせいで脳が揺さぶられている。周囲の影響を受けやすいただの『ヒト』だ。

 眼鏡をかけた金髪とデブの2人の男子。そしてアジア系の黒髪女子。この3人の判別がつかなかった。

 私は若者4人の顔をそれぞれ見ながら言った。「自分たちが他の人間と違うというのは分かっているはず。その馴染めなさが、同世代に対してなのか、大人や年長者に対してなのか、それで自分がどちら側の人間かは分かります」

 1人を除いて全員が私の言葉を受け止めて、自分のことを考えていた。

 例外の白人デブが口を開いた。「あなたこそ分断を煽ってるだけじゃないですか」

 私は動揺を見せず、その発言を正面から受け止めて、デブを見た。「そう言われるのは初めてではありません。私こそが分断を煽っている、と」

 こういう言い方をするからといってデブが理性的であるとか人類側であるとかは判断できない。究極的には言葉や態度、しぐさといったものも判断の材料にはならない。それどころか、人間だからといって味方であるとは判断できない。明白なのは、改造種は味方ではないということくらいだ。

「あなたが中絶を反対するのは、なぜかということを考えてください。子供を殺してはいけないという愛情を利用してくる敵がいて、利用されていないかと」

「くだらない。結局、子供を殺すことを正当化しているだけじゃないか」デブは断言した。

「カッコウは他人の巣に自分の卵を生み、自分の子供を育てさせます。ノノミの声を聞いてきちんと判断しないと危険です」

「ありもしないことを言っているだけだ」

「その目で見るまでは信じられません。実際、改造種といっても外見もしぐさも人間と同じです。ちょっとだけ遺伝子をいじられているだけです。専門の機関で調査しないと正確な判断はつきません。しかし、人間の感覚は驚くほど繊細です。『こいつは違う。改造されている』というのはすれちがっただけでも分かるのです。我々はこれをノノミの声と呼んでいます。人間がもつ本能です」

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