JEALOUSY

怖い夢を見たんだ

 明日の七月三十一日は文月ふづきの誕生日であり、法律上は前日にあたる本日の三十日に十二歳になった。天助小学校の夏休みは、八月の三十一日まで続く。小学校の低学年の頃はその月に誕生日の子を祝う『誕生日会』が開かれていたけれども、夏休み中に誕生日を迎える子たちは夏休みが明けてからの九月にまとめられてしまって、なんだか理不尽な思いをしていた。生まれた月に長期休みがあるだけで、扱いが変わってしまうのはつらい。高学年になってからは『誕生日会』がなくなったので、肩身の狭さはなくなった。

「ここ、どこお?」

 寝間着に着替えてベッドへ入ったはずの文月は、に突っ立っている。見渡す限りの白さに、地平線も見えない。確かに地面はある。文月は両足を接地させて、首を左右に動かした。

「ここは、世界と世界の、あるいは“第四の壁”と呼ばれている場所よ」

「わっ!」

 音もなくスッと現れた見知らぬ女性に、現在地の説明をされる。文月は驚き、目をしばたたかせた。アカシックレコードに記された“正しい歴史”の世界と、そうではない世界の間なのだが、文月の頭では理解できていない。

わたくしは、が『女神サマ』と呼んでいた存在。あなたも私を女神サマと呼びなさい」

 そう言われて、文月はようやく態度を改めた。知らない空間に突如現れた不審人物に、不躾ぶしつけな視線を向けていたが、もふもふさんの言う『女神サマ』だとするならば、襟元を正して向き合わねばならない。正そうにも寝間着なので、一番上のボタンを留める程度ではある。

「へへえ、あの女神サマ! 初めまして、こんにちは?」

 時間の経過がない場所で、文月は挨拶に疑問符を付けた。ベッドに入ったのは二十二時頃なので、体感ではまだ夜中である。けれども、不思議と眠気はない。

「こんにちは。――鏡文月は、彼と、仲良くやっているのかしら?」

 おかっぱ頭と澄んだ目をしたキレイな女神サマは、文月をフルネームで呼んだ。もふもふさんからは、女神サマを『女神サマ』としか教えてもらっていない。外見に関する情報はなく、香春かわら隆文たかふみという一人の男性を白くて大きなもふもふの犬(※オオカミ)の妖精のような生き物に話しか聞いていない。

 実際に『女神サマ』と相対した文月は、女神サマを女神サマと認識した。一ミリも疑わずに、本人の言葉を信じる。女神サマの美貌には説得力があった。白衣が、図画工作の授業で見た西洋絵画に描かれているような女性の衣装に見えてくる。

「はい! もふもふさんは、わたしに優しくて、いろんなことを教えてくれるいい人です!」

 文月はムッとした表情になった。運動会の日に、貴虎の祖父から言われた言葉を思い出す。楽しいことばかりを覚えていたいのに、嫌だったことが忘れられずに尾を引いてしまう。

「彼があなたに優しいのは、あなたにがあるから。いろんなことを教えてくれるが、

 女神サマはイジワルな笑みを浮かべていた。最初はキレイな人だと思っていたのに、この言葉一つで、存在そのものが醜くなってくる。

「あなたに見せてあげましょう。彼がたどるを」

 右腕を振るうと、空間が切り替わった。白く何もない場所から、戦場となる。熱風が吹きすさび、呼吸もしづらい。

「ここは“修羅しゅら”の世界よ」

「は、ごほっげほっ!」

 返事をしようと口を開いただけで、のどの奥が焼けるような痛みがある。文月は両手で口をふさいで座り込んだ。

「戦いに明け暮れる者たちの世界。明けも暮れもない、永久の暗がり」

 どどどどど、と土煙を上げて、鉄甲を付けた馬に乗った武者が現れる。鎧を身にまとい、帯刀し、

「怖がらなくていいわ。あなたは見学に来ただけだもの。斬られない」

 文月は両手で口を塞いだまま、わなわなと震えていた。女神サマは文月を安心させるように優しい声音で話しかけてくれたものの、怖いものは怖い。

「この世界の者たちは戦い続ける。次の世界に行きたいのなら『千人』たおさねばならない。死んだら、

 文月をおびえさせたデュラハンは、を見つけて馬を走らせた。頭部がないぶん、視覚も嗅覚も聴覚もないというのに、敵の位置へと駆けていき、刀で両断して、命を奪っていく。

 デュラハンがこぶしを突き上げると、馬はいなないた。鉄甲で守られていない馬の尻に、銀色の矢が突き刺さっている。馬は痛がって立ち上がり、片手で手綱を握っていたデュラハンを振り落とした。

「さあ、次の世界に行きましょう」

 女神サマが右腕を振り上げる。戦場から、ゴツゴツとした岩場へと変わった。先ほどよりはいくらか呼吸はしやすい。

「今度は“餓鬼がき”の世界。餓えた鬼と書いて、餓鬼」

「ひえ……」

 ハエのたかっている死肉へと群がる餓鬼が見えて、文月は鼻を塞いだ。距離は離れているのに、腐臭がする。

「餓鬼は何にでも手を出す。口にできるものならば、何でも口に運ぶ。飢えはなかなか満たされない。満たされた時に、次の世界へ行ける」

 餓鬼には髪の毛がない。腹部が風船のように異様な膨れ方をしている。そこに、枯れ枝のような腕と足がついていた。

「文月」

 餓鬼のうちの一体が、死肉から離れ、女神サマと文月に近付いてきた。名前を呼ばれた文月だが、餓鬼の知り合いはもちろんいない。

「気付かれると面倒なのよね」

 女神サマは白衣の内ポケットから杖を取り出した。その先端を、呼びかけてきた餓鬼に向ける。

「……もふもふさん?」

 その声はしわがれていて、もふもふさんの声ではない。それでも、文月にはその餓鬼がもふもふさんのように見えてきた。見た目も、白くてもふもふの犬とはかけ離れている。けれども、もふもふさんだった。

「このが愚図でお人好しで騙されやすいの代わりに、鏡文月の人生を歩めば、周りの人たちはより幸せになれる」

「え?」

「女神サマ! 俺に、!」

 女神サマの足元で、餓鬼が額を地につける。その後ろで、文月は、もふもふさんの過去のセリフを思い出した。

「もふもふさんは『わたしにはなりたくない』と言っていたよね?」

「こんな世界にぶち込まれるなんて聞いていない! だったら、侵略者と戦って、勝つより、オオカミのままでいるか、いっそのこと文月になってしまったほうがよかった……!」

 この餓鬼もふもふさんは、女神サマのご要望通り、二〇一二年十二月二十一日に侵略者と戦って勝利した後の彼である。彼は“畜生”の道としてもふもふさんの姿を得ていた。六道輪廻の転生を続けていくと“人間”の道があるので、ゆくゆくは人間へと戻れる。女神サマは、ウソをついてはいない。

「ならば“天上”の世界へ行こうかしら?」

 女神サマは杖をしまって、餓鬼を左腕で抱き上げる。それから、右腕を振るった。場所が切り替わる。この世界は雲の上にあり、他の名では『極楽浄土』という。

「てんごく?」

「そうね。そうとも言うわね」

 餓鬼の姿は変わって、文月がいつぞやの夢で見た青年の姿になった。二〇一二年、女神サマが侵略者によって人類が滅亡した世界で発見したときの姿である。

「やった、やったやったやった!」

 小躍りしているが、踊っていられるのも今のうちだ。天にあるひとやに、どす黒い怨恨が寄ってきた。志半ばで失われた魂が、彼を天上から突き落とそうとする。文月よりも背丈の低い子どもたちが飛びかかったり、足を引っ張ったりしているのが見てとれた。

「なんだよ! 来るな! おい、文月!」

 小学校六年生の文月は、もふもふさんを白くてもふもふの大きな犬(※オオカミ)としているので、青年の姿のもふもふさんは助けられない。二〇一二年のもふもふさんならば、いくらか実体化が可能となっている。しかしながら、先ほどのやりとりの後では、文月がどれだけ心優しい人物だったとしても難しい。

「俺は、次はどこに連れて行かれるんすか!?」

「あなたのような罪人にはもっともふさわしい“地獄”よ。もし抜け出せたら“人間”に戻れるわね? まあ、

 文月がもうじき目を覚ますため、今回の見学ツアーでは寄らない。その“地獄”でも、重く苦しい罰が与えられる。


「もふもふさんは、一体何をしたの? ……何をすれば、こんな目に遭うの?」

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